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『Overnight』 第4話 “Do you hear me? My voice”

第4話
Do you hear me? My voice

銀座の冬は冷え込む。
「うー、寒いねまりんちゃん」
「ほんと寒いです、ゆうかさん」
その日は22時すぎから、看護学校に通っているまりんちゃんと外で客引きをしていた。目元のセクシーなキャットラインすらかわいらしく感じるのは、19歳という若さ故だろうか。

銀座は規制が厳しくて、一歩でも路上に出ると、周囲のお店のキャッチから厳しい視線が飛んでくる。だから客引きといっても、コートを羽織ってお店の軒先で立っているだけだった。
まるで「たちんぼ」みたいだ、と私は思った。このまま借金を返せなかったら、私もそこまで墜ちるのだろうか。

そこに、20代前半の若い男性2組が通ったので、まりんちゃんが、
「お兄さん、一緒に飲みませんか〜?」
と声をかけたら、
「お、かわいいじゃん。隣はおばちゃんだけど」
と、彼らは足を止めた。こういう煽りは慣れっこなので軽口を叩いていたら、そのまま入店してくれることになった。やった、暖かい店内に入れる。
しかし彼らはまりんちゃんだけを指名し、私はしっかりと外され、控室へと戻った。これも慣れっこだ。

その日は朝から嫌なことがあった。
私がサポートでついている営業担当者が朝一のアポイントをすっぽかし、顧客からの怒りの電話を私が受けた。
「別にすっぽかすのはいいんですが、御社への信頼はなくなりましたね」
「だからイマドキの若い子は…」
たしかに営業担当者は24歳だけれど、私はその10歳年上なんですよね、と思いながら、
「大変申し訳ございません。本人にも言って聞かせます」
などと、その場をしのぐための言葉を紡ぎ続けた。久々に疲れた。

その一部始終を横で見ていた部長は、忙しいアピールをしながら、
「ありがとう。手が離せなくてごめんね」
と言って、タバコを吸いに出て行った。
「タバコを吸う暇があるなら、営業担当者に指導してくれよ」なんて言えない。派遣社員は立場が弱いのだ。

そんなことを思い出していたら、
「ゆうかちゃん、ちょっといい?」
と、控室に店長が入ってきた。そしてタバコをくわえながら、
「この前ゆうかちゃんがついた松田さんが今来ているんだけどさ、ゆうかちゃん何か言った?すごい怒ってて」
松田さんは60歳を超えたベテランの遊び人だ。私はこの前席に着き、連絡先を交換した。その流れで18時から同伴するように言われたが、「日中の仕事があるから」と断ったのだ。派遣の退勤時間は19時だった。

「あ……同伴を断ってますね。昼職の時間と被っていて」
「それか。松田さんはプライドが高いから、断られたことが許せないんだろうね。今日は店内で荒れ狂っているから、ゆうかちゃんはこっそり上がっていいよ。あれはこのままシャンパン3本は開ける流れだよ」
「うわ……今日のメンバーあんまり飲めないですよね。すみません…」
客がボトルを空けたとき、お酒に強いメンバーがいないと皆に大きな負担がかかる。いつも“お酒要員”だった私は余計に申し訳なくなった。
「まあ、あまり気にしないで」
と、私をなぐさめるように長めのキスをしてから、店長は去っていった。今日は彼もきっと、かなり飲むのだろう。

時間は23時、夜はまだ始まったばかり。金曜のこの時間に帰路につくのは珍しかった。周囲には人が多かったが、なんだか一人になりたくて、銀座から隅田川まで自転車を走らせた。

隅田川は私が住む茅場町のシェアハウスからほど近い。川の両脇はきれいに舗装されており、ベンチが点々と並んでいる。早朝や日中は健康的なランナーが走っているのをよく見かける。
私は道路わきに自転車を止めてベンチに座り、コンビニで買ったアルコール度数9%のストロング缶を開けた。
自転車のカゴでシェイクされてしまったのか、「プシュー!」とものすごい音を立てながら盛大に中身がこぼれていく。ここが野外でよかった。家だったら大惨事になっていた。

隅田川の上流側には東京スカイツリー、下流側にはお台場。日中は船上バスや遊覧船が行き交う。川の水は、実はドブのような緑色をしている。でも東京の人々はそんなこと気にも留めていない気がした。
そして夜には、日中の賑わいから一転して静けさを醸し出し、すべてを飲み込むような漆黒に変わる。
私は夜の隅田川が好きだった。その漆黒を見ているとだんだんボーッとしてきて、ふいに引き込まれそうになる。

そのときLINEが入った。水野さんからだった。
あの日バーで飲んだあとにお礼のやりとりをしたが、そのあとは特に連絡を取っていなかった。
「ゆうかちゃん、今日お店にいないよね?たまたま寄ったんだけど、金曜なのにいないなと思って」
そうか、水野さんは今お店にいるのか。
「今日は早上がりしちゃったんです。すみません」
そうサッと返信してスマホをしまった。すると、またスマホが光って、
「俺だけ抜けるから、会えない?」
どうしようかな、と思っていたら、しびれを切らしたように着信があった。もちろん水野さんからだった。面倒くさい。

「はい」
「ごめんね、電話して」
「いえ……」
「……元気ない?」
「いや、そんなことないです。お店、盛り上がっていませんでした?」
「盛り上がってたよ。なんかやたらシャンパンが空いてて」
「ですよね。楽しんでくださいね」
そういってこちらから切ってしまった。なんだか今日は調子が悪い。思わず水野さんに打ち明けてしまいそうだった。
今日、私は必要とされなかったんです、と。

すると、水野さんからまた着信が来た。
「……はい」
「ごめんね、しつこくて。なんだか心配で」
この人はなんでわかるんだろう。消えてしまいたい私の気持ちを。ストロング缶で少し酔っていた私は、
「水野さんに私の気持ちなんてわかるわけがないです」
とつい強い口調で言ってしまった。

すると水野さんは少しの沈黙のあとに、
「そうだよね、ごめんね。でも俺も今日はゆうかちゃんと飲みたかったんだ。今どこにいるの?外だよね?」
その口調が、ますます私の調子を狂わせる。有くんとも店長とも大輝とも違う、優しい響き。
私は観念して、
「茅場町の裏手の隅田川沿いにいます。でもこの辺は飲み屋がないので……」
「そうしたら、築地で待ち合わせしない?うまい寿司でも食べよう?」
その言葉を聞いたら、急にお腹が減ってきた。普段から食欲なんてあまりないのに。
「わかりました。では25時に築地本願寺の前で」
「ありがとう。じゃあまたあとで」
そう言って、水野さんは電話を切った。約束してしまったなら行くしかない。お寿司に免じてがんばろうと、私は冷え切った体を再起動させた。

そのあと水野さんと落ち合い、近くの回らない寿司屋に入った。
このあたりの飲食店は深夜も営業している。銀座から近いという事情もあるのかもしれない。周囲には、明らかに訳ありのカップルもいた。
私たちは周りからどう見えているんだろう。

「ゆうかちゃん、どれくらいお腹減ってる?お任せでいい?」
「そこそこ減っているので、一人前は食べられそうです。好き嫌いはないので、お任せで」
「わかった。……すみません」
そうして水野さんはスマートに注文したあと、お茶をすすっている私に向き直り、
「……元気ないね」
とぽつりと言った。

「そんなことないですよ?ただ寒くて」
「君は嘘が下手だよね」
「いやいや〜。あ、お酒が来ましたよ。乾杯」
そういってはぐらかしながら、熱燗で乾杯した。冬の熱燗ほどホッとする飲み物はないと思う。まもなくして寿司も来たので、私たちは黙々と飲み、食べた。

「……で、何かあったの?今日」
水野さんは言った。私が黙っていたら、
「言いたくないならいいんだけど、君はいつも無理をしている気がして。こんなことを言うとデリカシーがないのはわかっているんだけれど、別れた妻もなかなか本音を言ってくれない人で、あるとき急に不満を爆発させて出て行ってしまったから、俺はなんだか不安なんだ。君が急にどこかにいってしまう気がして」
と、ゆっくりと、でも一息で話した。今さら、水野さんの「俺が」って男らしいな、なんて思った。

私はふう、と息を吐いたあと笑顔を作って、
「今日は日中に営業担当者の代わりに怒られたり、私の都合で夜のお客様の気分を害してしまったりしただけです。どちらももう終わったことなので、大丈夫ですよ」
と話した。そう、どちらも大したことではない。ショックを受けるほど大きなことでも、私の根幹を揺さぶるようなことでもない。

でも水野さんは、
「でも全然大丈夫じゃないって顔をしているよ。この前も思ったけれど、君はずっと無理しているように見える」
と、いつものまっすぐな目でこちらを見てくる。
「そんなことないです。今どちらの仕事も楽しいですし、たまに会う男性もいますし」
私は目を反らして熱燗を飲みながら、心ばかりの幸せアピールをしてみた。そして、
「そろそろ食べ終わりますし、帰りましょうか。今日は私がお支払いします」
と席を立った。もう一緒にいるのが苦しい。尋問されているみたいだ。
寒さが手伝ったのか、思ったよりも熱燗を飲んで酔ってしまった。これ以上水野さんと一緒にいたら、私は自分を手放してしまう気がする。

「いや、もうカードを渡してあるから。タクシーで送るからちょっと待って」
大人の水野さんは私をなかなか離してくれない。若い男ならすぐに振り切れるのに。
外に出ると、夜の3時を過ぎているのに周囲は外灯の明かりでまだ明るかった。少しだけ酔いが覚めてくる。
「私、家が近いので歩いて帰りますね。今日はありがとうございました」
と言ってすぐに、しまったと思った。その隙を突いて、
「じゃあ、歩いて送っていくよ。俺も始発まで時間があるし。もちろん家には上がらないから」
と言って、水野さんは歩き始めた。ああ、早く一人になりたかったのに。

「水野さん、ホテル行きます?」
と私は提案した。ホテルに入って一回寝てしまえば、気が済むだろうから。
「素敵なお誘いだけど、君をこれ以上泣かせるわけにはいかないよ」
「いやいや、泣いてないですよ」
「見た目はね」
そう言われて、私はどうしていいのかわからなくなってしまった。頭よ、動け。いつものように淡々と行動して。決してウェットにならないで。

「水野さんは、何でもお見通しみたいな顔をしてる。それがすごく嫌」
そんな私の思いとは裏腹に、口が勝手に言葉を吐いていた。
「私の何も知らないくせに、知った顔をして」
「……ごめん」
素直に謝られて、ハッと我に返った。
「……私こそごめんなさい」
顔を上げたら、ふと水野さんにキスされた。すごく優しく、触る程度に。
「……ごめん、つい。俺はね、たぶん君が好きなんだ。どうしても気になるんだ。だからつい考えを巡らせて、先走ってしまった。反省してる」
築地から茅場町まで続く大通りに、私たち二人しかいない。
「ごめんね、こんなおっさんが。不甲斐ない」
「……いえ、ありがとうございます。言葉だけでも嬉しいです」
と私は言った。嬉しいなんて思えなかったけれど。私に最後にこんな言葉を投げかけてくれたのは誰だっただろうか。

そのまま無言で茅場町の駅前まで歩き、
「ではここで」
と別れようとした。すると、水野さんが、
「また電話してもいいかな?君の声が聞きたいときに」
「はい。大丈夫です」
「よかった。ありがとう」
そう言って、上品なハグをしてから、東京駅方面へと歩いていった。私はその背中が小さくなるのを見届けてから、反対側の横断歩道を渡った。

With daylight, here's to You
(日の光と共に、これは君への祝福)
Do you hear me? My voice
(聞こえてるかい?僕の声が)

数時間後、また鮮やかな朝が来る。


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