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『Overnight』 第7話 “Let's get started now”(終)
第7話
Let's get started now
「ゆうかさん、今日でラストって本当ですか?」
「えー、さみしい!」
「結婚するんですか?」
出勤するなり、女の子たちに囲まれた。ああ、皆かわいい。目の保養。
「いやいや、結婚しないって。もう一回、正社員になろうかなと思ってさ。残業や出張もあるだろうから、なかなかお店に出られなくなるの」
そういって、私はいつものドレスに着替える。もうこの戦闘服を着ることもない。たぶん。
「ゆうかちゃん、まさきくんが指名したいって」
「えー?葵さんいないから大丈夫かな?今行きますー」
店長に呼ばれ、慌ただしく控室を出た。
**
あのあと、水野さんと付き合うことにした。
悲しい過去を背負いながら、でも素知らぬふりして軽やかに生きている水野さんに、私は急速に惹かれていった。もう一度、人を好きになることがあるなんて、とても驚いた。
しかし、なぜ水野さんが私のことを好きでいてくれているのか、よくわからない。
私が問いただすと「いつも一生懸命だから」「話していて楽しいから」「守りたいと思えたから」などと、その時々で正直な回答をくれた。
その誠実さの裏には、あまり本音を言ってくれなかったという元奥さんとの一件があるのかもしれない。
私はそんな彼の言葉をまだ受け入れられていないけれど、信じたいと思った。
そして水野さんは、私がホルモン屋で泣きながら話した過去や、現在置かれている状況、そして将来について、時間をかけて一緒に考えてくれた。
この先、どうするのか。
借金をどうやって返済するのか。
夜の仕事を続けるのか。
どんな人生にしていきたいのか。
これまで私が逃げて逃げて逃げまくっていたことに一緒に向き合ってくれる人がいるなんて。これにも私は驚いた。
私のやりたかったことってなんだろう。
有くんと一緒にいたときも、自分から明確に将来を描いたことがなかった。だから、有くんのプランにまんまとハマってしまったのかもしれない。
35歳のいま、私は初めて自分で自分の人生を歩もうとしている。
「俺と結婚して、仕事を辞める?」
と水野さんは言ってくれたけれど、私はその道を選ばなかった。今の私は水野さんに圧倒的に及ばない。こんなに差がついた状態で結婚したくなかった。
「私、やっぱり働きたい。もう一度しっかり仕事して、自立したい」
そうして、誰よりも自立していると思うけどね、と水野さんに笑われながら、正社員としてバリバリ働くための計画を立てた。
借金は自己破産してゼロにする。夜の仕事は辞める。
シェアハウスは退去し、ひとまず水野さんの家で同棲することにした。居候にはなりたくないから、少額だがお金を入れる。
転職に関しては、就職先を探すことも考えた。でも結局、以前から誘ってくれていた今の会社で正社員に転換した。
上司たちに相談する前に篠田ちゃんに伝えたら、
「じゃあ私も派遣の契約、更新しようっと!実は辞めようか悩んでいたんだよね」
と明るい表情で教えてくれた。
人生の軌道修正は、案外すんなりとできるのかもしれない。その手段はいつも手の届くところにあった。
でも私はずっと自分の世界に閉じこもっていたから、その手段を選べなかった。
これまで何も変えられなかったのは、私の弱さが原因だ。でもそれを自覚したら、急に道が開けてきた。
Shall we go now? Without fail
(行こうか?絶対に失敗はしないよ)
Let's get started now
(さあ、始めよう)
「ゆうかちゃん、おつかれ。上がっていいよ〜」
皆より少し早く、店長が声をかけてくれた。一緒に控室に行き、お互いのタバコに火をつける。
「で、男とはどこまでいってるの?」
「同棲、くらいですかね」
「……そっか、さみしくなるな」
と店長は私にキスしながら言った。
「一回くらいヤっとけばよかったかな」
そしてしっかりと抱きしめてくれた。
「珍しい、ハグなんて」
「だってさみしくて」
「またまた〜」
と言って、私のほうから体を離した。
すると店長は、私の顔に触れながら、
「でもよかった。初めてお店に来たときは、捨てられた子犬みたいだったもん。今はきちんと栄養を与えてもらっている成犬の顔をしてる」
と言って、もう一度ハグをした。
「え、その話、初めて聞きました」
「だって初めて言ったもん」
そう言って少し笑った店長はどこか切なげで、私は初めて彼に色気を感じた。でも気づかないふりをした。
「今までありがとうございました」
「うん、今度はお客さんで来てね。ボトルおごるから」
「はい、必ず」
そういって、私は控室を出て、お店を後にした。
朝方に帰ったら、大輝がリビングでテレビを観ていた。この時間に大輝が起きて待っているのは珍しい。待っていてくれたのかもしれない。
「起きてたの?」
「うん」
「あー、疲れた。今日で夜の仕事も終わり」
「そっか、お疲れ」
私もリビングのイスに腰を下ろして、買ってきた水を飲む。そうして訪れる無言の時間。彼との間にはあまり言葉がなく、物理的なふれあいがあっただけ。
「大輝、私、来週ここを出ていく」
「うん」
「今までありがとう」
「うん」
大輝は相変わらず無表情で、何を考えているのかよくわからない。
「……俺もそろそろ引っ越そうかな」
「え?」
「何でもない。おやすみ」
「お、おやすみ」
大輝、引っ越すの?という言葉を飲み込んで、私たちはそれぞれの部屋に入った。
Hang out, why don't we? Let me know something
(適当にぶらぶらしよう?いろいろ教えて)
What happened since then, man, and from now on what will you do?
(ねえ、あれから何があったの?これからどうするつもり?)
『これからどうするつもり?』への答えは、少しだけ明確になった。
でも、夜はこれからも続いていく。
時には過去に絡め取られ、元の来た道を引き返してしまうかもしれない。
だからこそ、しっかりと根を張って。
漆黒の夜に溺れないように。
隣を歩く人の光を感じられるように。
終
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