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刑事とともに内省を深める|「冷血」髙村薫

一家四人強盗殺害事件の長編犯罪小説。
犯罪小説は、グイグイ読ませるエンタメ要素の強いもの、と思ってこれを読み始めると、良い意味で裏切られます。
加害者の犯行動機、そこに至るまでの衝動や生い立ち。
加害者を理解したいと努める刑事・合田。加害者に向き合う中での内省。本件と並行して扱う別の事件からの気づき。
読む人によっては、長い!冗長!そんなに深い心理の分析は要らないから、早くストーリーをすすめてくれ!と思うかもしれません。

時系列に沿って物語が進んでいきます。
当たり前ですが、どんな凶悪な殺人事件でも、加害者を含め、生きている人には生活があり、時間が過ぎていく。


どんな被疑者のこころも日々変わってゆくし、取調べではつねに過去を振り返るかたちになるため、脚色や捨象や健忘の洗礼も受けてますます自分でも訳がわからなくなるのが日常だった。

「冷血」下巻 髙村薫


加害者も、時間とともに感情に波が生まれ、言葉にならなかったり、虚勢を張ったり、後知恵で供述が変わったり。
それは合田も同じで、事件発覚当時と同じ考えを持ち続けることはできない。
その丁寧な描写が、このフィクションを、よりリアルに感じさせることにつながっています。


そうそう、現実は、こんなふうに、他者を理解することはむずかしく、そもそも自分のことすら理解していないことに気づいて、なかなか結論にいたらず、もどかしい。
でも、全く関係ないことをしているときに、長い間考え続けていたことがぱっとひらめいたり、核心に迫ることがある。
だから、ムダに思えるような普段の生活とか、時間が必要になることもある。
合田の目を借りながら加害者を見ていくうちに、自分のものの見方を振り返り、内省を強いられるような、文学的な読書体験をさせられます。


長い物語のなかで合田がたどり着く洞察、

これが、生きているということではないだろうか。生きることの大変さは死ぬことの比ではないというほかはなく、そう思うと、生きている者が死について云々することの無意味さが、あらためて身に沁みるというものだった。

「冷血」下巻 髙村薫


これは、合田と一緒に事件とその周辺を読みすすめてきた読者も、自分を重ねて読むことができるのではないでしょうか。
この洞察にたどり着くまでの、ごちゃごちゃとした内省そのものがエンタメ。濃密な時間だった。

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