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食欲と嗜好|「貧乏ピッツァ」ヤマザキマリ

ヤマザキマリによる、食に関するエッセイ。
イタリア人が食べる普通の食事、日本の素晴らしき食文化、世界の食事のあり方。
「文化」は、いったん外に出て別の視点を借りて眺めなおしてみると、新しい発見がある。
ヤマザキマリさんの視点はもちろん、イタリア人の夫や姑、友人、息子など、まわりの人の視点で食文化を捉えなおしていることで、読者にも新しい気づきがある。

共感したのは、ファーストフードをめぐる考察。
「 グルメ大国で毎日どんなに美味しいものを食べ続けていても、時々ふと制御できない欲求をそそるファースト・フード。」
著者はファーストフードを毛嫌いする姑に「あんたは食に対して節操がない」「うちの息子にその姿勢を強制するな」とまで言われているが、その息子である夫が、マクドナルドでハンバーガーをむさぼり食う姿を見かけてしまう。「お母さんには内緒にしてあげる」と慰めても、どこか罪悪感のある夫。
うしろめたさを感じつつ食べるマクドナルドは、やっぱり食のグローバル化にもっとも成功した企業だ。
たしかに、各地の国際空港のマクドナルドは、いつも満員のイメージ。人種別なく、大きな口をあけてむさぼり食っている姿は、なんか滑稽で、でも強く共感できる。
旅でどんなにおいしいご当地グルメを食べても、いや、だからこそ、マクドナルドにがっつきたくなるよね(個人的には、マクドナルドよりきつねうどんかな)。


あとは、一杯の赤ワインについて。
著者の17歳でイタリア留学。
イタリア到着後、心細さと長旅の疲れで、涙があふれそうになる中、はじめての食事。
すすめられるまま、薄められた赤ワインを口にしたとき、「胃袋がたちまち活力を取り戻した」。
それ以来、ワインは食欲を促すために飲むものと理解できたが、コロナ以降、リモートでの仕事、外食の機会も減り、ワインは少しずつ嗜好品としての趣が強くなる。
ワインは食の伴走者でしかなかったのに、ワイン自体に味わい深さを求めるようになっていったのですね。
状況が変われば、食に求めるものも自然と変わっていきます。
「あのときにこんなものを食べた、あんなものを飲んだ」
数々の食事を内省してみるのは、けっこうおもしろい。
表紙のイラストがすでに、「まだお金がなくて、おなかをすかせて食べたあの味!」を想起させます。

食に関するエッセイって、本当に面白い。
ほんとうは、健康のために、食事はただ腹を満たすだけの栄養があればいいのかもしれないけど、たった一皿、たった一杯について、こんなに熱く語れる人類を、いとしく思ってしまう。


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