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今日の本|「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ
あんまりフィクションばっかり読んでると、現実社会に適応できなくなりそうだから、一時期は控えるようにしてました。
単純に、ノンフィクションとか伝記の伝える「真実」が面白い、というのもあり。
でも、少し前に、SF作家のエッセイ「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」(アーシュラ・K・ル=グウィン)を読んでいて、ハッと気づくことが。
ノンフィクションは事実であり、フィクションはデタラメに過ぎないと言う言説に反論、
ノンフィクションにもデタラメなのはいっぱいありますよ。
(中略)
そして逆に、私たちが多くの真実を学べる小説もある。いや、問題はそこじゃない。問題は──私にとっての問題はストーリーを語る才能に関することだ。
そうねー、同じことを語るにしても、その語り方で全く趣が変わり、嘘はほんとに、ほんとが嘘に聞こえることもあるよねー。
ノンフィクションだって、語り手のフィルターを通した「物語」と捉えることができるわけだし。
ほんと・嘘、の二項対立だけでなく、誇張・歪曲・暗示のようなグレーゾーンもある。
結局、その語り口に誘われるように、気づいたら最後まで読まされてる。
改めて「語り手」に敬意を示しつつ、最近はフィクション祭りです。
✳︎
昨日から読んで、さっき読み終わった「ザリガニの鳴くところ」(ディーリア・オーウェンズ)。
ずっと読みたかったのに躊躇していたのは、
読み始めたら、物語に引っ張られてどっぷり浸かってしまうなー、この手の本は!!
というのと、それだけに、
あまり面白くなかったらどうしよう、がっかり度合いが大きいなー!!
で揺れてたから。
(よく、「読むべきか迷うなら、5ページくらい読んでみて判断しましょう」と言われるが、私は5ページではまったく判断できないので、結局買って、一か八か)
結局、この本は前者でした。
物語のいろんな要素が詰め込まれていて、早く続きを読みたくて、仕事もさっさと切り上げ、目を血走らせながら、読まされてしまった。
主人公の感じる全ての感覚を、私も読みながら一緒に感じてしまえた。
痛かったり、喜ばしかったり、味わったり。
動物たちの鳴き声まで聞こえてくるようで。
あぁ、読み終えたくなかった。
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