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知られざるスーパースター|「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」増田俊也

柔道家・木村政彦。戦前、史上最年少で「全日本選士権」を制し、1949年に優勝するまで一度も負けず、15年間、不敗のまま引退。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と言われた、日本柔道史上、最強の柔道家。
こんな偉人が、今ではほとんどの人に忘れ去られてしまった理由とは—

2012年発行のこの本は、第43回大宅壮一ノンフィクション賞と第11回新潮ドキュメント賞を受賞しています。
当時、本屋で平積みになっていたこの本のインパクトの強さを、よく覚えています。
煽情的なタイトルと、表紙の木村という人らしき筋肉隆々の男性、読めるもんなら読んでみろ!と言わんばかりの分厚さ。

木村は大正6年、砂利採りで生計をたてる、熊本県の貧しい家に生まれる。
砂利採りで鍛えた強靭な体で、ガキ大将に。
柔道に出会い、県内強豪校に入学。
拓殖大学柔道部師範「鬼の牛島」こと、牛島辰熊にスカウトされ上京。それ以後、牛島と師弟関係になる。
柔道の天才児木村は、牛島が成しえなかった、悲願の天覧試合を制覇。
木村は15年無敗という記録を打ち立て、柔道界のスーパースターとなる。
そんな中、忍びよる戦争によって、徐々に柔道が遠ざかっていく。
戦後の混乱期を経て、ふたたび柔道を、とプロ柔道を旗揚げするも失敗。
ハワイ興行に出向いた先で、当時アメリカで流行っていたプロレスに出会う。「プロレスは金になる」と感じた木村。
同じころ、後の力道山が、朝鮮相撲が強いことを見込まれ来日。
相撲界での活躍を夢見て日夜稽古に励むも、朝鮮人である自分への差別や金銭問題から廃業。
次の道を模索する中で、「プロレスはビジネスになる」とかぎつける。
政財界や裏社会の大物たちを巻き込んで、「昭和の巌流島決戦」といわれた、木村政彦vs力道山戦に向かっていく―

発売当初から気になってはいたものの、分厚さと格闘技は門外漢であることに気後れして、5年くらい前にやっと手に取った本です。
柔道なんて知らないのに読めるかなー、と読み始め、読み終わるまで、頭の中は柔道一色に。
本を読んでいない夫にまで、木村政彦の強さや力道山のいやらしさを力説する始末。
柔道経験者の筆者による綿密な取材、臨場感と緊迫感のある描写で、柔道の「じ」の字も知らない私でも、最後まで目を血走らせて読まされてしまいました。
筆者の木村政彦に対する思い入れが強いため、読んでいるうちにそれが乗り移ってきて、どうしても力道山が「いやな奴」にしか見えなくなっていきます。
力道山側から見た「真実」はまた違うのかもしれません。
それでも、この本を書いてもらわなかったら、多くの日本人はいまだに偉人・木村政彦を知らないままだったと思います。
その意味で、この本はすごい。
歴史や運命の大波に巻かれるような疑似体験ができるので、淡々とした日常に飽きているとき、無意識に手に取り読んでいる気がします。


今、ドジャース移籍が話題になっているメジャーリーガー大谷翔平選手ですが、木村政彦も、当時はこんなかんじのスーパースターだったんじゃないかな~と思います。
人間性はちょっと、いや、だいぶ違うかもですが。







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