山本彩友美

釣りをし、絵を描く人

山本彩友美

釣りをし、絵を描く人

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はじめまして

こんにちは、はじめまして。 山本彩友美と申します。 やまもとあゆみですね。ハイ。 Twitter Instagram をやられている方はご存知かも知れません。 愛媛県をホームフィールドとし 海•川•湖•ショア•オフショア問わずルアーで釣れるものなら何でも釣るをモットーに釣り行脚しております。 たまーに、ノマセやテンヤ等餌もしますけどね。 ペン画細密画も得意としております。 よろしくお願いします致しますm(_ _)m

    • 絵を描く理由

      絵を描く理由はその趣味を持つ者皆んな 「絵が好き」 「描くのが楽しい」 など色々な思いがあって描いていると思います。 私は自然の中で育ち生き物や植物が好きでしたのでその模写をよく描いていました。 父親には 「Aさんの血を引いているからだろうね」 っと度々聞かされていました。 ※Aさんとは地元の美術館に常設展示されているほど有名な人。父方の家系がその芸術家と血を引いている話を聞いており、私が生まれる1年前に亡くなった為会ったことはありません。 最初にコンクールに出したのは

      • ACの生きづらさ

        『アダルトチルドレン』 聞いたことがある人が多いのでは無いでしょうか。 アダルト・チルドレン(AC) 子どもの頃に家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そして大人になった人たちを指す。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのこと。 どんなものなのか。 「イライラした人を見ると過激に反応する」 「本音を話そうとすると涙が出る」 「とりあえずやるができない」 「相手の声のトーンや目つきで瞬時に判断し固まる」 「自分の考えや行動が「こ

        • もう1つの趣味

          実は、釣り以外にも趣味が1つありまして… それは「細密画」 私の場合、なんでしょう? 「ペン画」でもあり 「イラスト」でもあるし 「ゼンタングル」でもあるし… 見てもらった方がはやい! これです。 これを… 組み合わせます。 この花を組み合わせて 生き物に落とし込んだものを メインに描いています。 描き方としては ミリペンで描いた後に 塗り絵みたいな方法で上から彩色。 上のマルチライナーを見てもらったら分かる通り今の所、コピックと相性が◎ ペン先が割れて

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        はじめまして

          自伝:最後に

          通信制高校と同時進行で始めた釣具屋でのアルバイト。 母親に履歴書を作られ、 急に釣具屋に連れて行かれ面接され、 採用されたと言う自分の意思とは関係なく、 強制的に始めらされたのですがここでも 色々人生が変わる場面でもあります。 (年齢が偽造されていたのはここだけの話((コソッ) 最初は陰気くさくて雇って大丈夫なんかなと当時の店長は後に言っておりましたが… その通りで、その時はまだ人が怖く、声も小さく、コミュニケーションがあまり取れずにいました。 店長とは過去をザック

          自伝:最後に

          自伝:3回目の高校

          通信制高校に入学することとなった私は、釣具屋でアルバイトもするようになり次第にオープンになっていきます。 通信制高校には、色んな人が居ました。 タメで喋って!って言ってくれる先生や 私は1年生だけど、 3年生になった同い年の女の子。 他の科目はちょっとアレだけど 数学がものすごく得意な子。 ママさんになった3歳上の子。 でも、皆んな私を受け入れ 親しく話してくれました。 同世代が苦手な私にはとても良い刺激になり、 それによって耐性も出来ていきました。 勉強だけで無く

          自伝:3回目の高校

          釣りに人生を救われた話

          「釣りに人生を救われた」 ってなかなか聞き慣れない言葉ではありますが人生が変わった転換期といいましょうか?それくらいの人生ビッグイベントでした。 まだ23歳ですけどね。 釣りに関しては歴が長い方で 祖父が漁師だった為幼い頃から 祖父に連れられ沖に出たり、 川で魚やエビを捕まえたり、 竹竿を作って裁縫糸に針を結んで タニシを餌にして川魚を釣ったりしていました。 それは遊び程度の釣りで 本格的に釣りをやり始めたのは、 父親の転職で中2の時に引っ越した時。 弟が当時はマイ

          釣りに人生を救われた話

          自伝:2回目の高校

          再入学することになった私は毎日が楽しくて仕方がありませんでした。 1個下の同級生たちでしたが仲良くしてくれ、勉強も然り、冗談やタメで話し合える仲となりました。 当時の生活スタイルは、 6:00 起床 6:15 少し復習 7:30 バス停へ 8:30 登校 17:00 授業終了 18:00 寮生と一緒に食事 18:00 補習 21:00 補習終了 22:30 帰宅 23:00 就寝 今見れば、かなりハード。 楽しかったのは勉強出来る楽しみからハイになってたのでしょう。

          自伝:2回目の高校

          自伝:1回目の高校

          1回目の高校と敢えて表現させて頂きます。 なんとか滑り止めで入れた高校に遠方でしたが入学する事が出来ました。 幸いにも友人にも恵まれ 辛いながらも頑張り1学期の終わり、 通信簿を渡された驚愕することになります。 偏差値35-40無い学校とは言え 学力は学年1位、評定が4.9。 内部進学したら医学部に進学できる評定。 担任に何度も確認したけどもこの事実は変わりませんでした。 その後、例外で通常学科では受けられない 特進の補習も参加させて頂くようになり、 英語のインターン

          自伝:1回目の高校

          自伝:中学校(後編)

          勉強に手をつけなくなってしまった私の成績は社会系科目以外は全て最下位。 担任には、 「お前は高校など行けるはずない。」 と言われてしまい 凄く落ち込んでしまいました。 学校の授業は一切でなくなり、 フリースクールと塾の全面協力で 小学校から中3の範囲まで再度学びなおし、 勉強スタイルを見直しました。 起立性低血圧の薬も飲んでいましたが 睡眠薬の影響もありかなり辛い為夜に勉強し、 当時の主治医のお勧めの勉強法を聞き、 ADHDの挙動を活かして時間を気にせずランダムに教科

          自伝:中学校(後編)

          自伝:中学校(前編)

          そんなこんなで小学校を卒業し、 中学校にあがります。 学校規模が同級生が10人弱から70名超になり 大きな変化があった中学校時代。 担任が美術部の受け持ちであり 初めて自分を受け入れてくれた先生でした。 この先生がいなければ生きてなかったと思います。 海外を経験し日本に帰国され教師をされている方で英語教師と美術教師を両方熟す珍しいタイプの先生でした。 朝が辛く起きれなかったのなら、 「部活だけでも来てよ! 絵描くの好きでしょ?」 学校を休む時には、 「絵見せてよ!」

          自伝:中学校(前編)

          学校に行けなかった理由

          自伝では小3の秋に虐待も終わりを迎えました。 では何故まだ学校に行けないのか? という点で振り返って考察してみました。 理由としては、 1.起立性低血圧で起きられなかったから 2.PTSD・パニック障害があったから 3.劣等感を感じてしまうから 4.学校教育に違和感を感じていたから の4つがあるかなと考えました。 まず、 1.起立性低血圧で起きられなかったからについて 「起立性低血圧」 簡単に言いますと、 起立後の血圧低下が長く続いてしまう状態。 通常では自律

          学校に行けなかった理由

          自伝:小学校高学年

          小3の秋頃、祖母が学校から帰るといなくなっていました。 「あれ?買い物でも行っているのかな?」 っと待ってみるも帰って来ず 母親からいなくなった理由を告げられます。 いなくなった理由は、 人を殺しかねないと 役場と 私が通院している病院、 母親が通院している病院、 その3つが手を組んで私達を守る為に 祖母を強制入院させたのです。 その時、生き延びた心地がしました。 やっと痛みから逃れられる。 強制入院後に判明したのは、 「認知症で私たちを判別できなかった。」

          自伝:小学校高学年

          自伝:小学生低学年

          そんなこんなで保育所を卒業し小学校入学へ… 全校生徒60人弱、 同級生10人弱の小さな小学校でした。 最初は通えていたのですが 途中から過呼吸や動悸、腹痛に悩まされ、 入学から3ヶ月で不登校となりました。 パニック障害・ADHDと診断され リハビリに励むこととなります。 当時の生活サイクルは 7:00 起こされる 7:10 起こされる 7:20 起こされる 7:30 起こされる 7:45 学校から電話 8:00 起こされる 8:30 祖母からの罵倒 9:00 学校から

          自伝:小学生低学年

          自伝:幼少期

          生まれは愛媛県南予の海、 育ちは愛媛県南予の山奥、 当時住んでいたのは山奥の小さな集落、川、山、小さな池、田舎臭が漂う場所。 父方の祖母・母・父・弟・姉の私で住んでおりました。 朝は姉弟そろって保育所に行き、 夕方の迎えには父が来てくれそのまま工場へ。 父は締めの書類を片し、 私たち姉弟は間に工具で遊んでいた記憶があります。 締めも終わり、父と家に帰ってきたら、 父がアマチュア無線や当時珍しかったPCが趣味だったので一緒にPCを弄り散歩ついでにカブト狩りや魚取り、花

          自伝

          久しぶりに書きます。 突然ですが自伝を書こうかと思います。 「急に何やねん」と思われるかもしれませんが自分の過去を見つめ直し前を向く為にね。 普通の生き方とは少し?まぁまぁ? 違うので戸惑われる方もいるかも知れません。 古参のTwitterやInstagramのフォロワーさんには分かるかも知れませんね。 どういう人生を歩み、 こういう釣り人になったのか。 つらつらと書いてみます。