自伝:幼少期
生まれは愛媛県南予の海、
育ちは愛媛県南予の山奥、
当時住んでいたのは山奥の小さな集落、川、山、小さな池、田舎臭が漂う場所。
父方の祖母・母・父・弟・姉の私で住んでおりました。
朝は姉弟そろって保育所に行き、
夕方の迎えには父が来てくれそのまま工場へ。
父は締めの書類を片し、
私たち姉弟は間に工具で遊んでいた記憶があります。
締めも終わり、父と家に帰ってきたら、
父がアマチュア無線や当時珍しかったPCが趣味だったので一緒にPCを弄り散歩ついでにカブト狩りや魚取り、花火、ゴミ焼きが日課でした。
母は難病でしたが配送会社へフルタイムで働いており、帰ってくるのは夜中やそこらが多かったと思います。
散歩から帰ったら母が帰宅し、家族揃って夕飯食べてお父さんとお風呂入って寝巻きに着替えて寝床に着く。
土日に入れば家族みんなで街にお出掛け。
ここまでは穏やかな田舎暮らしでした。
ここからしんどい話になります。
簡単に言えば祖母からの虐待。
父母に隠れてしていた為に発見が遅れてしまい
今でもPTSDで苦しんでます。
「殴る蹴る」「食器を投げつける」
「何もしていないのに罵倒する」「人格否定」
当時これが普通なんだと思っていました。
祖母の気に障らないように細心の注意を払い
(これでも罵倒されるのですが……)
何もしてなくても「ごめんなさい」
怒られなくても「ごめんなさい」
そんな日々が続きます。
ですが父と母と家族全員で出かける時は
気前が良くおもちゃを買ってくれました。
それも毎週。
祖母は、
「お金で気持ちを買っていたのだ」
っと思っております。
因みに祖父は、
事故で20-30年間入院しており数ヶ月に1度日帰りで家に帰ってきていました。
甘える時期に甘えることができなかった私は自傷行為に走る事になります。
「深爪になるまで噛む」「引っ掻く」
「髪の毛を抜く」「腕を噛む」
これをする事によって
「今日も生きている」「生きられる」
っと安心感を得ていました。
もう1つ幼少期に苦労した事があります。
それは霊感が強すぎる事。
苦手な方もいらっしゃるかも知れません。
何も無いところに話しかけたり、
生まれる前に事故があった所を指を刺したり、
何日に亡くなるのかを分かっていたり、
会ったことのない亡くなった人物の特徴を言ったりした事があったそうです。
それも祖母からの虐待がエスカレートする要因に。
こんな感じで幼少期を過ごしました。
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