見出し画像

「The Absurd and The Sublime ギイ ブルダン展」

「The Absurd and The Sublime ギイ ブルダン展」
シャネル ネクサス ホール




ギイ・ブルダンは1970年代を代表する伝説のファッションフォトグラファーです。私が彼に興味を持ち始めたのはNARSのコラボの時に真っ赤なネイルをつけた複数の手が女性の顔を覆っている写真を見た時。え〜かわいい〜〜〜誰これ〜〜〜って感じで出逢いました(印象が雑)

その後、ソフィア・コッポラが映画「マリー・アントワネット」でメイドに靴を履かせているシーンの構図がギイ・ブルダンのシャルル・ジョルダンの広告で撮影した写真をオマージュしているということを彼女のインタビュー記事から知って、なるほど彼の写真って確かに撃たれたような衝撃と強度があって一度見たら忘れない。オマージュしたい気持ちめちゃくちゃわかる。

と、そんな感じで、今でも一切色褪せない革新的な表現についてもっと掘り下げていきたいなと思い、彼の作品を見ていくようになりました。



今回会場となっているシャネルネクサスホールは銀座の店舗ビルの上階にあるギャラリーなのですが、今回初めて行きました。ハイブランドのギャラリーってきちんとおもてなししてくださるので、気分が上がりますね♡

会場に入ってまず目に飛び込んできたのがばっさりと鋭角に切り取られた壁。その切り取られた部分から会場の奥まで見通せるので空間全体の圧迫感が一切なく、且つそのソリッドな表現によって洗練された空間になってて、ギイ・ブルダン特有の前後のレイヤーをうまく使ったユニークな構図の魅力とも呼応してる。ぎゃー素敵な演出!



展示されているのは初公開の初期のモノクロの作品、フランス版VOGUEなどファッション誌に使用された写真、シャルル・ジョルダンやCHANELやクロエの広告で撮影した写真などがありました。



やはり印象に残ったのはシューズブランドのシャルル・ジョルダンの広告シリーズですが、写真集やインターネットの画面上で見るものと違い、プリントされた写真の色の鮮烈さよ。目に飛び込んでくるその強烈な色彩からは微塵も俗っぽさは感じられず、異常なほど完璧に洗練されていて、尚且つめちゃくちゃ挑発的。色や陰影にめちゃくちゃ色気がある。いやぁああかっこいいぃいぃってなりました。

1つ1つの写真にはサスペンス映画よろしく危険な香りとミステリー性が感じられるのですが、それのストーリーを想像するだけでドキドキする。綺麗な写真やな〜って通り過ぎる感じではなくて、思わず立ち止まって見てしまう。「息を飲む」ってこういうことなんやと思う。

しかも靴の広告なのに、商品のことは二の次、むしろ三の次ぐらい傍に置かれてて、構図やストーリーがとても重視されてるのですが、それによる求心力がありながらも、靴が持つ力もやっぱりすごいのだと改めて思わされました。

これは個人的に今まで自分が仕事をしてきて実感してることなのですが、やっぱり「ハイヒール」ってとてつもなく美しい造形物だと思います。ハイヒールを1足置いてみるだけで、一気に写真の濃度が上がる。匂い立つというか。彼もそういったハイヒールが持つ魅力に魅了されたのだと思いますが、にしてもハイヒールの使い方がうますぎて悶える。


師匠のマン・レイは唇の形や丸みのある身体のラインなど女性の持つ“らしさ”みたいなところを斬新な構図で切り取りましたが、そこには「エロ」や「セクシー」という概念はなかったように思います。それに対してギイ・ブルダンよ。マン・レイの構図の妙に加えて「官能性」「性的な暗喩」が山盛りてんこ盛りです。しかし、そこに下品さや野暮ったさは一切なく、信じられないほど上品。ハイヒール!真っ赤な口紅!鮮やかなネイル!濃いアイメイク!網タイツ!ってなってくるとおいおい重過ぎるぜ?ってなるはずやのに。なんなん。ディタ様の極上のバーレスクも彼女の普段からの美しい立ち振る舞いがショーに表れていますが、彼もすごく洗練されたお人やったんやろうか。あまり彼について多くが残っていないそうで、ますます気になるところ。

御存命中は雑誌のクレジットに自分の名前を載せることはほぼ無かったそうで、写真集を出すことや展示をすることも拒否したそうです。なかなかにミステリアス。彼の美学に反することやったんかな。



さて、ギイ・ブルダンは実は最初しばらくは画家を志していたそうです。どんな絵描いてたんやろうと思っていくつか調べてみたのですが、なるほど完全にシュルレアリスム。モチーフの組み合わせの奇抜さや無意識下の欲望、構図のおもしろさ等はあれど、残念ながら「よくある」って感じで絵では彼のやりたい世界観が表現しきれてない気がしました。(失礼)

ちなみに私は「絵やったら自分の思った通りの世界観が表現できるのにな〜〜〜」って思うことが良くあります。実際に頭でイメージしているものを1つ1つ揃えるのはとても骨の折れる作業な上に、できることできないこともある。環境や天候によって左右されたりだってする。いつだって理想通りなんかにはなりません。

でも彼にとってはカメラを使ってこの「偶然」の力を生かす能力に長けていたのだなぁと思いました。人間が持つ有機的な魅力はもちろん、ハイヒールのように造形物が持つ力、瞬間の熱・匂い・光と影という絵では表現しきれないものが写真では表現できるのだということ、また写真は事実だけが切り取られるわけではなく、虚構を限りなく事実に近い形で演出することだってできるという写真の魅力にも改めて気づかされました。(なんか今日の感想まじめやな?)



最後に、本展の中でもお気に入りの1枚があるのでぜひ紹介したいのですが、フランス版VOGUEに掲載された、たくさんの黒い傘の隙間から目だけを覗かせてこちらを見る女性の作品です。これ、大好きな小村雪岱が描いた「おせん」の挿絵との類似点がたくさんあるんです!!!洋の東西を問わず美に対する感覚が同じアーティストを見つけるととてもとても興奮します。

雪岱の方はおせんちゃんが鬱陶しい男から傘をさす人たちの合間を抜けて逃げる様子を描いていますが、対してギイ・ブルダンの方は埋もれることのない女性の強さみたいなものが際立つ写真。表現しているものは違えどどちらもハッとする瞬間の美しさがあってたまらん。

雪岱の余白の感覚とギイブルダンの感覚はとても近いものがあると思いました。



というわけで、言葉少なに写真で伝えるというスタイルも含めて確固たる美意識に惚れ惚れ。

彼の求めた美と、その時代の女性が求めた「こうなりたい」という憧れの意識がうまく呼応したのも運命だったと思います。勢いよく社会に出て行けるようになった女性たちがファッション誌を開いたらこんな写真で彩られていたなんてどれだけ心が踊ったやろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?