見出し画像

「生命の庭 8人の現代作家が見つけた小宇宙」

「生命の庭 8人の現代作家が見つけた小宇宙」
東京都庭園美術館



「岡上淑子展」も「ルネ・ラリック展」も東京都庭園美術館で開催されてる展示にずっと行きそびれてて、大好きなアール・デコ様式&宮家やのに行ったことがないなんて私はなにをしてるんやろと思い、アトリエ遠藤のメンバーと一緒に行ってきました。


とても天気のいい日で、鳥がぴよぴよ鳴いてて、空気が澄んでて、美術館を取り囲むお庭の木々が赤や黄色に色付き始めているのを眺めながら歩いてるだけで既に大満足。入り口前には早速加藤泉さんの作品が左右の狛犬の横にさりげなく展示されてて、新人の番人やのにその威風堂々たる佇まいに「良い…」と期待が高まりました。


この企画展は8名の現代アーティストの作品が、朝香宮家が実際に住まれてた1930年にできた御邸宅内の様々な部屋や廊下に展示されてて、まずはその時代を超えた違和感のあるコラボレーションという点にかなりグッときます。この建築物の特異さは行った方はわからはると思いますが、アール・デコ様式とはいえ、西洋と東洋の美が合わさった内装になっているので、文化の境界を超越しているかのように思える。個性的であり、無個性の要素もある。

だからなのか、いずれのアーティストの作品も空間の持つ力に引っ張られることはなく、逆に空間と息が合っている気さえするし、さらに言うと強度が上がりまくってて、真白なキューブに展示されるよりも感受性が刺激されて更にいい見え方ができたように思います。ほんまにこれは至高の体験。

特に、光による傷みをあまり気にしなくていいものも多いからか、大きな窓のカーテンを全部開けてくださってて美しい光が射し込んでた点が最高で、こうなると今回のテーマも相まってか自然のライティングに勝るものはないなぁと唸ってしまうほど作品が生き生きしていたように思います。

アートが設置される場所や空間って、実は美術館じゃない方がその魅力を発揮する気がしていますが、庭園美術館のように元は家やったっていう建物をそのまま生かして美術館として使用するの、むちゃくちゃいいなと感じました。

とはいえ庭園美術館には「新館」があり、そこの展示スペースは白のキューブなのですが、ここに展示されていた作品ももちろんとてもとても素晴らしかったです。こちらは作品そのままの姿(まずはなにもつけずに召し上がってくださいって言われるやつ)のものと、空間含めての展示で、アートはそれをどこにどういう形で展示するかもとても大切な点やなぁと改めて思いました。



さて、私がいいなぁと思った作品の1つは加藤泉さんの一連の作品です。両性具有のように性別に対して明確に表現されるイメージをあまり持っていなかったのですが、男、女のペア作品があり、しかもそれが展示されていた部屋が元食堂だったのと(天井にパイナップルとザクロを象ったルネ・ラリック作の照明器具がある)、この企画展のタイトル「生命の庭」からして、これはもう「アダムとエバ」やろと勝手に想像しました。

この企画展では「希薄になりつつある自然と人間の関わり、人間の本能に潜む自然への意識」といったテーマで8名の現代アーティストが作品を展示されていますが、ここでいう『自然』とは“植物や動物、川や海”といったものだけではなく、“人間”も自然の一部という意味で問われています。

つい最近もアトリエ遠藤のメンバーで「アダムとエバ」についてミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の天井画の絵を見ながら想いを馳せる機会がありましたが、天地創造においてアダムは『土』から産まれた(ちなみにエバはアダムの肋骨から生まれた)という話が私はわりかし気に入ってて、「私達人間はなんら特別な存在でも崇高な存在でも無くて、元『土』やから」と思うと驕り高ぶって自然を破壊しまくってるのがあかんことやって容易に気付けるし、自然の一部として人間が正しい判断をしていかなあかんなぁと思う。

加藤さんの描く&つくらはる人物って顔面や身体にいろんな要素がミックスされてて、植物や動物や昆虫や性別や年齢とか感情とかいろんな固定概念や隔たりをぬるぬると超越してくださるから、よくわからへん作品多いし、時々作品の展示場所とか明かに笑かしにかかってきはるけど、楽しそうに作ったはるのが人間が物を作るべくして作ってるっていう原始的な本能って感じですごい好きです。



次に気に入ったのが佐々木愛さんの「鏡の中の庭園」。漆喰のみで製作された真っ白な作品はパッと見、花やなぁ綺麗やなぁって感じなのですが、目をこらしてみると梅があり、紫陽花があり、ススキがあり…?と四季関係なく植物が共存しているように見えたので、もしこれがカラーやったら派手な着物の柄みたいに混沌としていて色彩も鮮やかですごい眩しかったやろなと思いました。日常見る花の色って実は私たちが生きている地球においてすごい威力を放ってる気がする。

この前知ったところなんやけど、人間が見えているお花の色って花に光があたったときに色素に吸収されずに花の表面で反射する可視光線の色で決まるそうで、光を吸収するためにお花自体が持ってる色素は主に4種類あってそれぞれの色素が色を決めているそうです。花が内包している色の魅力に生命の神秘を感じずにはいられへん…。

ちなみに白い花にはそもそも光を吸収するための色素が無いそうで、全ての光を乱反射させるから白に見えるそうです。

それらのことを鑑みると、この白い作品は「何色にも染まる無垢な白」という解釈とは逆で「何色にも染まらない強固な白」というアイデンティティの確立を感じるような気がしました。



そして、山口啓介さんの「原植物の花図」と青木美歌さんの「Wonder」の造形がとても似通っていたのもものすごく興味深い点でした。青木さんの作品に対して、「これは植物?」「球体の部分は細胞(心臓)で根っこのようなものは血管?」という印象を持ちましたが、球体の部分はおそらく様々な生命で、これらが営みを続けるために必要な水であり食べ物(動物や自然)であり、愛情であり、生きるために必要な様々なものを吸い上げている、その目に見えない生命の繋がりを表現しているということだと思うのですが、どちらも根っこと花を想像させる形であることから、生命の根源であり、繋がりをも感じさせる自然界のデザインって改めてかっこいいなぁと。神は地球誕生年のデザインアワードで最優秀賞を獲得してるはずや。



というわけで、ここには書ききれへんぐらい、1つ1つの作品から想像できること感じることがたくさんあり、存分にみんなと語り合ったので世界が眩しく感じられたのか、美術館を出て、庭園内を歩いてるだけで自然のなにもかもが愛しくて、「蜘蛛の巣が綺麗やなぁ」「お日様の光ほんまにあったかいなぁ」「あそこの花かわいいなぁ」などと慈しみまくっていました。地球美しいわぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?