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27歳の夏。私が、ただのインフルエンサーからハイブリッド型経営者に転身した本当の理由。

皆様、はじめまして。
❝ソーシャルの力で、次世代型のブランドやPRソリューションを創る。❞をビジョンに掲げるアジア最大規模のインフルエンサー・マーケティング企業タグピク株式会社の創業ファウンダー/代表取締役の安岡あゆみです。

noteは、以前に登録だけしなかなか投稿する機会がなく、書きたい記事ネタだけを温めていたのですが、本日より、私のキャリアを振り返る意味も兼ね、私の半生を綴ってみたいと思います。

広くスタートアップ起業家全般のことを書きたいと思ってますが、特に①現役バリバリキャリアウーマンの女性で次の一歩に踏み出せない方、②いつか女性経営者を目指したいけどまだ挑戦できる領域が決まってない方、③SNSが好きでビジネスに触れてみたいと思っている方に自らのキャリアパス構築の一助となればという想いからつらつらと書いてます。

7年前に創業したタグピクというホスピタリティの高いとても素敵なメンバーが集まった会社を世の中の人たちにもっとモット知ってもらいたいというちょっと自慢話も混ぜつつも、初めての執筆のため拙い文章で大変恐縮なのですが、軽い気持ちで読んでもらえると嬉しいです。

まずは自己紹介も兼ねて、今まで100万回は聞かれたであろう、【なぜ、起業したのか?なぜ、タグピクを創業したのか?】について語りたいと思います。

2010年、(株)ピアラ(東証一部:7044)に入社。
約3年間、同社のブランド事業部が運営するアパレルブランドの立ち上げからプレスとして携わる。
2015年9月、「インフルエンサーのべーシック・インカムを創る。」をビジョンに、国内最大規模の約6,000名のインスタグラマーを束ねるタグピク(株)を創業。
タグピク(株)のファウンダー兼代表取締役として、ブランド企業のSNS運用コンサルティング事業及びインフルエンサー・キャスティング事業を統括。
タグピク子会社のマルシェ株式会社において、D2C支援ソリューションの開発責任者として取締役会長を兼任。
現在のSNS総フォロワーは3万人。

未経験でアパレルブランド立ち上げ

タグピクの創業秘話に入る前に少しだけ前職の話をさせてください。
タグピクのコーポレートサイトのイメージにその面影がでているかもしれませんが、私の小さい頃の夢は、”デザイナー”でした。
小6の夏頃から、本格的にティーンモデル活動を開始しました。その後、活動の過程で洋服やブランドに触れる機会が多く、高校卒業後はその洋服やブランドの”好き”をそのまま仕事にしたいと思い、文化女子大学(現在の文化学園大学)に進学します。そこでは、ファッションに関わるビジネス全般から、アパレル商品企画やブランドマネジメント等を学びました。
兎に角文化は課題が多く卒業するのが大変な学校で有名なのですが、朝から晩まで学校に通い、合間に読者モデル・ブロガー活動に勤しみました。

私の初出演雑誌です。原宿の竹下通りで声掛けていただきました。

卒業と同時に、運よく前職の株式会社ピアラ(東証PRM:7044)の飛鳥社長にお声掛けいただき、ブランド事業部とレディースブランドの立ち上げメンバーとなりました。

今思うと、未経験でファッション好きなだけの私にブランドの立ち上げを任せてくださった当時の社長には本当に感謝の念に堪えません。

自分のブランドを作りたい!そういう強い想いを持っている子は周りにたくさんいましたし、かといってそう簡単にできることではないので、私はなんてラッキーなんだ!と思い、話をもらったとき、二つ返事でそのプロジェクトに参画しました。

浮足立った気持ちでプロジェクトを開始してから、数ヶ月。

現実は、そう甘くはなかった(笑)…。

当時のプロジェクトチームは、社長と同じくOL兼読者モデル・ブロガーとして活動していた友人2名と私の3人のメンバーのみ。ブランド立ち上げと言うと聞こえは良いですが、コンセプト設計、商品デザイン、その後の生産管理やプロモーション活動まですべてが私たちの仕事でした。
加えて、PRの一環として読者モデルやブロガーの活動も続けていたため、早朝から撮影に行き、その後出社し事務作業をし、展示会前は終電過ぎまで準備に追われる日々。来る日も来る日も、コンビニのお弁当片手に、ただただ目の前の業務と向き合っていました。
展示会ギリギリのタイミングで、韓国にある東大門へセレクトや、工場へ直接交渉に行ったり、睡眠時間ほぼ0の出張もありましたね。
子会社では自社ブランド展開もしているので、今となっては当たり前のことだと思えるのですが、当時はちょっと想定外、でも、事件だらけの毎日は意外と楽しく刺激的でした。これはスタートアップも一緒だなと感じます。

中でも一番苦戦したのは、”プロモーション”領域のお仕事でした。
12年前の当時、アパレルブランドのPRのスタンダードと言えば、著名な雑誌への出稿。ですが、如何せん新規事業なので、なかなか予算を付けてもらえません。数百万円の予算を毎月投下することはできない。でも、商品を売るためにブランドを世に広めなきゃいけない。

メンバーみんなで知恵を振り絞って考えたのです。

その時にふと発したのが「自分たちの友人の読者モデルやブロガーに商品を配ってブログに書いてもらったり、雑誌のスナップで着てもらったりお願いしてみません?」という一言。

私たちが自分のブランドコンセプトにあった子に直接依頼して、気に入ってくれた商品をPRしてもらう。当時はインフルエンサーという言葉はなかった時代でしたが、この時の思いつきプランがタグピクの創業のきっかけとなりました。

当時の社長は二つ返事でOKをだしてくれ、その”拡散プロジェクト”は走り出しました。

その後、スタイリストさんからもお声掛けいただくようになり、たくさんのモデルさんや女優さんにも着用していただいたのですが、一番心に残っているのは、今や人気女優兼モデルのN.Sさん(今でも一番の推しです)が某番組で着用してくださったときのことでした。
私たちはその放送をわくわくドキドキしながら見ていて、最後テロップでブランド名が出てきた時には手を取り合ってみんなで喜びました。
が、特に商品は売れず。
あれ?放映されたよね?私たち以外にもみんな見れていたよね?
と思いながら業務に戻ると、その日の夕方いきなりECの注文が殺到しました。
え?時差?なんて思っていると、ショップの店長から電話が来て商品が完売してしまったので追加発注をしてほしいとのこと。慌てて在庫を確認するとEC分の在庫も品切れ。何が起きているかもあまり理解できていない状況下の中ふとお昼の番組で着用してくださったNSさんのブログを見ると今日の衣装として投稿してくれていました。
そうです、このブログがきっかけでギンガムチェックワンピース(今でもしっかり商品名覚えています。)がヒット商品となりました。

この時、私は心の底から「SNSの力って凄い…。」と感じたのです。

多くの人が視聴しているであろうTVでは全く反応がなかったのに、ブログ1投稿でこんなにたくさんの人が動くことにとても感動し、同時に今後こういった今でいうインフルエンサーマーケティングがPR手法のスタンダードになるのではないか、と思ったきっかけとなりました。

その後、私は3年間という短い会社員生活にピリオドを打ち務めた会社を退職するのですが、今思えばお利口さんで模範的な社員ではなかったなと思います。
アパレルブランドを立ち上げてその売上を伸ばしていこうというタイミングにも関わらず、カラコンブランドを作りたいと社長に直談判したこともありました。もちろん即却下されました(笑)
私も経営者の立場になったのであの時の社長のご判断は正しかったと理解できますが、当時は悔しくて半泣きで会議室を後にしたことを覚えています。
こんな突拍子もない提案に向き合ってくださったり、社会人経験も業界経験もゼロだった私たちに様々なことを経験させてくださった社長には本当に頭が下がる思いです。

12年前のブランドリーフレットの写真です。ちなみに真ん中が私です。

25歳の秋。退職からの独立。

そんなこんなで、SNSの力と個のパワーをビジネスにしたいという強い想いはあったものの特にその後のキャリアプランなどなく、退職し独立。
ここでも私は運がよかったのかと思いますが、読者モデル時代の繋がりでいくつかお仕事をいただきました。
例えば、ブロガーキャスティングの下請けだったり、ヘアサロンのSNSコンサルだったり、後々今の事業にも繋がっていきます。
会社員時代は時間も拘束されていたので、余裕ができ、かつ務めていたときよりお給料もUPしたのでそれなりの満足感は得られました。
(後に、上場企業と取引するにあたりフリーランスだと契約ができないので法人化しました。)
ですが、ピアラ時代に仲間と切磋琢磨しながら取り組んだ時の刺激や、大きな目標をクリアした時の達成感は味わえずどこか物足りなさを感じ、同時に、私が一人でできることの限界も実感していました。
そんな複雑な心境の中、フリーランスから一人法人という2年間を過ごしていました。

2015年、夏。タグピクを創業。

ついにタグピク創業まできました!

さて、ここからが本題のタグピク創業秘話なのですが、9年前までさかのぼります。
その日は今でも親友のYちゃんと一緒にニューオータニのナイトプールのレセプションパーティーに遊びに行っていました。
そのあと、「お世話になってる知人の経営者の人と、焼肉食べるので来ない?」と誘ってもらい、この日の為に減量していた私は、二つ返事で参加させてもらうことに。
そこで出逢ったのが、共同創業者の泉。(出会ったタイミングでは200フォロワーしかいなかったはずですが、)今では72万人のSNSフォロワーを有する肉テロです。
私と泉は年齢も離れていますし、経歴も全く異なるので、よくどういうきっかけで創業に至ったのですか?と聞かれるのですが、最初の出逢い白金にある”焼肉ジャンボ”のお肉の会でした。ちなみに、もう一人いらっしゃったのが、経営者インフルエンサーとしてネット界隈で多大な影響力を有するウィルゲートの吉岡さんです。

少し話は逸れますが、当時私はブログよりインスタに夢中でした。
2012年にFacebook社がInstagramを買収して以降、日本でも徐々に浸透していましたが、当時はコミュニケーションアプリというより画像加工アプリの要素が強く、周りの読者モデルやブロガーの子達の間では❝インスタを使うとスクエアのおしゃれな写真が撮れる❞と人気でした。
おしゃれなSNSアプリは今まで私の中ではなくて、当時ブログに投稿する写真は全てインスタで撮影していたのですが、次第にその写真にいいねやコメントがつくように。ほぼほぼ外国人の方からのアクションでしたが、写真とハッシュタグのみで表現ができるので言語が違ってもコミュニケーション取れることにとても感動しました。
インスタ個のパワーを掛け合わせることによって、新しいトレンドを産み出せるのではないか、と思いその時事業の方向性が決まった気がします。

当時、創業者の泉とは月一で情報共有ランチをしていたので、その考えを話したところ、「じゃあ、一緒に会社やろうよ!」と言われたので、私は二つ返事でその提案に乗りました。
じっくり読んでくださっている方はお気づきかと思いますが、私の二つ返事で実行したことは後々のターニングポイントとなっています。
ラフすぎますよね。(笑)
でも、それくらい勢いがないと起業はできなかったと思います。
そんなこんなで、自分の気が変わらないうちにと思い、一か月でメンバーを集め登記をしました。
これがTAGPIC という小さな会社の誕生です。

TAGPICのキーカラーはREDです。

皆さま、ここまでお読みいただきありがとうございます。
長くなってしまいましたが、これがTAGPIC創業秘話です。
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また、読んでくれた方で、今後のキャリアとか悩んでる方や、タグピクに興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら是非DMください。

採用も強化しておりますのでこちらもぜひ!(最後にちゃっかり宣伝ですみません)
RECRUIT

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