Kaulaを桜染めする・日本でフラをする
kaula(カウラ)とはハワイ語で、紐、コード、結ぶという意味がある。
イプヘケと手首を固定するのに、このkaulaを使う。
わたしのkaulaは、イプヘケを購入した際に一緒に買ったもので、綿の生地が三つ編みされている。自分で太さを選ぶのだが、わたしが選んだのはイプヘケの大きさに対して、少々細めだった。作り直そうかとも思っていたが、長さを変えたり、工夫しているうちに、馴染んできたので、そのまま使っていた。
わたしのハラウでは、パウー(スカート)やキヘイ(袈裟のようなもの)、その他衣装を草木染めする慣習があり(わたしが入ってからとても多い)、いずれkaulaも染めたいと思っていた。
パウーが、草木染め(シュロなど緑の草)+八重桜で染めたこともあり、kaulaも桜で染められたら、という希望があった。何より、イプヘケが「桜色にしたい」と言っているような気がした。
桜には縁がある。これまで住んだ場所の家の目の前に、桜の木があるのだ。生まれ育った家の目の前に桜の木があった。その後、初めての一人暮らしの家も、そして今住んでいる場所にも桜の木がある。一人暮らしの家から、今の家まで、少し落ち着かない時期もあったけれど、結局、わたしは桜のある場所に根を生やす習性があるのかもしれない。いつでも桜の木に守られているような気がする。たぶん、これから引っ越しをするとしても、桜の木があるところになるだろう。
生まれ育った場所の、産土神も、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)様。桜の神様なのだ。我が家は、キリスト教の祖父母の影響で、小さい頃は神社にお参りはしなかったが、友達とお祭りに行った。大きくなって、ようやく自分の意思でお参りするというのが叶うようになり、海外に旅行する際など、詣でるようになった。
木花咲耶姫には姉の磐長姫がいる。シスターズなのだ。ハワイにも、ペレとヒイアカというシスターズがいるが、その神話はどこか共通するものがある。どちらも、姉妹は表裏一体のところがある。
フラで旅をする間に、木花咲耶姫と磐長姫と向き合う機会に恵まれた。こうした「神ごと」というのは、自分の意思とは別のところで、ご縁というものがあって動かされている気がしているが、両神様とご縁をいただき、一周回って今は、わたしは木花咲耶姫様のエネルギーとのご縁が強いと感じている。桜だけが好きな花ではないが、強い縁を感じている。
ところで、小さい頃から自分が「日本人である」という意識は、とても低かった。それは、たぶん海岸を埋め立てた新興住宅地で生まれ育ち、核家族で、祖父母の信仰心から、神社仏閣、日本の文化に触れる機会が少なかったからかもしれない。あとは自分の個性として、どこか人類皆きょうだい、差別を嫌い、博愛的な精神を持った子どもだった。(ものすごく友達たくさんではなかったが)
逆に夫の両親、特に義母が「〇〇藩は〜」「自分たちが◯◯藩であることを忘れないで」などと今でも言うので、江戸時代のことが今でも続いているんだと驚愕する。一方こちらは、関東大空襲の焼け野原から、復興してきた一家なので、その違いに驚いてしまう。同じ日本でも、全然違う。
わたしが「日本」を意識したのは、英語を習い始め、海外へ短期留学する経験をしたことによる。それから、比較文化に興味を持ち始めた。広い世界を知って、初めて、自分がどこから来たのか、強く感じるようになった。
ハワイと関わるようになり、それは強くなった。ハワイアンは、自分がハワイ民族であることの誇りを強く持ち、愛している。
あるハワイアンのフラダンサーに「わたしたちにはレフアがあるように、日本には桜があるでしょう?レフアの戦士というのがいたの。日本にも桜のように散るというのがあるでしょう?」と言われたことがある。レフアは、ハワイを代表する、ハワイアンにとって大切な花なのだ。溶岩の大地に咲き誇る、真っ赤な花。とても繊細で摘めばすぐにしおれてしまう。桜も、皆が春を心待ちにし、とても儚く、そう、桜のように散るという表現がある。
心が切なくなるような表現ではあるが、大切な命は、大切な花で表現されるのは同じなのであろう。ハワイアンにはレフアが、日本人には桜が感覚として肉体に刻まれているような気もする。
こういった背景があって、kaulaを桜染めさせていただくことにした。
元の白いkaulaをほどき、布を洗って、桜の色を入れていく作業は、ある種のイニシエーション、儀式のよう。
自分で染めたものが、生活の中にちょっとでもあると、心が落ち着く。
これからどんなフラができるだろうか。
Lani
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※今回の染めは、はなまい染師のしほさんにお願いしました。
素敵な時間をありがとうございました💓
kaula桜染め 写真集