漱石の『文学論』が面白いんじゃね?(1)
近頃、漱石の話が多いんだが。
発端はシャーロット・ブロンテ著 阿部知二訳『ジェイン・エア』を読んだことがきっかけだった。それについてはこちらで。
漱石蔵書の『ジェイン・エア』も是非とも読んでみたいと思うものの、まずは『文学論』から。
漱石『文学論』を求めて
まずは図書館で借りてみることにする。
近隣の図書館が2つあって、図書館Aに岩波文庫の『文学論』があることは知っていた。だが、その日は図書館Bに返却することになっていて、検索してみても図書館Bに『文学論』タイトルの漱石の本はなかった。とは言うものの、全集があれば『文学論』も入ってんじゃね? 全集ならあるっしょ。くらいのノリで図書館に出かけたのだった。結論から言うと、漱石『文学論』はなかった。
図書館カウンターで聞いてはみたのである。
まず、『文学論』タイトルの本はない。それは既に検索済みで知っていた。全集になら入っているのではないか。閉架書庫まで行って探して頂いたんだが、その答えは。
「『文学論〈序〉』なら入ってるんですが」
「『文学論〈序〉』でしたら青空文庫で読めるんです。『文学論』が読みたいんですが」
「入ってないですねぇ」
は、入っていない?
全集って、そういうものか。
「全」集なので、てっきり、文字通り、「全て」が収録されていると思っていたんだが、違うのか。などと文句をタラタラ言っても仕方ない。ないものはないのだ。
その日はスゴスゴと退散した。
翌週末。
図書館Aに行ってみた。もう一冊借りたい本ができたわけで、半ばついでといった感じである。
岩波文庫であるから、図書館入口付近の文庫コーナーを探してみたんだが、ない。ここは、小説オンリーらしい。検索して見つかったのは、日本文学とやらのコーナー。文庫なので少々小さいが、あったあった。上下の二冊を手に取りいそいそと借りだし帰宅した。
漱石『文学論』を開いてみた、そしてのけぞった
そうやってようやく『文学論』を手に取り、さて、喜び勇んで開いてみた。そして、ちょっとのけぞった。
目次が、こういった調子なんである。
え?
(F+f)?
いったいぜんたい、そりゃあ、何です?
そして、本文の出だしはこうだ。
え、(F+f)なることを要す?
さらにパラパラと捲ると・・・
え、英文?
いや、もう、こっちなんか1頁丸ごと英文やし。
うーん。
これは前途多難の気配がする。
読みきれる気がしない。
はて、どうしたものか。
好きなところから読むべし
いろんな本を読んでいると時々そういうことがある。
タイトルは気に入って手に取ったのに、なかなか読み進まない。昔の私は、本のはじめからきっちり読まないと気がすまないようなところがあった。詰まったら投げ出す。借りたり買ったりしたものの読みきれなかったという本はそれほど多くはないが、それでも0にはならない。
ある時、ちょっと変えてみた。
前からきっちり読み進めるのではなくって、気になるところだけ、好きなところだけを読む。その時はたまたま一般向け科学本でオムニバス形式であったので、ならばと思い興味のあるところだけを拾い読みしてみた。すると案外に面白く、あれもこれもと読むうちついには1冊まるごと読みきった。以来、手こずりそうだったらこの手を使うことにしている。
さて、今回読みたいのはジェイン・エアに関する記述である。だから、そこだけ読めればよい。
そこだけ読めばよいんだが。
ジェイン・エアに関する記載は、どこ?
ジェイン・エアを探せ
ジェイン・エアについて、この本のどこかで記述されているはずである(多分)。それはいったいどこか。
目次には見当たらない。
パラパラと頁を捲るに、文学作品を一つずつとりあげ蘊蓄してゆく、そういうものではないようだ。
まずテーマを決め、そのテーマに合致する小説はこれこれ、もしくは反する小説はこれこれ、などという感じで論を進めているようだ。英文学作品もあちらこちらから引用している。
うーむ。
これらのどこにジェイン・エアが埋もれているんだか。
少なくとも引用は英語の原文でなされているようなので、とにかく英文の近辺を拾い読みしてみた。
すると、なんと!
見つかったのである。
見つけたのは
「バーサ!」
という一単語(笑)。
ジェイン・エアに登場する一人の人物の名前である。
この一言でどの場面かわかってしまふ(笑)。わかってしまうけど。「え? ここ引用する?」という感じでもある。
そして下巻にももう一ヵ所。
「ジェーン! ジェーン! ジェーン!」
ジェイン・エアを読んだことがあるなら、きっとわかるよね。
さらに、これも見つけた。
「ねえ、あなた」とベネット夫人がある日、夫に言った。
読んだことがあれば、これもわかるよね。ジェイン・エアじゃあないけれども。こちらは実に3頁以上が引用されている。漱石は何と言ってるんだろう。
解説を先に読む
ジェイン・エアの前にちょっと脱線して。
本書には英文の引用が多い。数頁ほどにわたる長い引用もある。その引用毎に翻訳文がある。先の『ベネット夫人云々』の部分にいたっては3頁以上も引用されており、長々と英文が続く。その翻訳も読んだのだが、ふと気になった。
この翻訳は誰の翻訳ぞ?
どうにも漱石の時代のものではないように見える。
なので、下巻にある解説を先に読んでみた。
で、下巻の末尾から開いてみると・・・。
なんと!
索引があるではないか!
まさか、まさか?
Jane Eyre 上 239、241、242 下 181
ジェイン・エアがどこで取り上げられているのか、一目瞭然だったりする(笑)。
ジェイン・エアは見つかったんでもういいです。
というわけでもなくて、文学論で取り上げられた作品が一望できるわけだ。
さて、翻訳であるが。
結論から言うと翻訳は本文庫のために改訳されたもののようだ。岩波文庫は以前にも漱石『文学論』を出したことがある。1939年のことだ。比較文学者である亀井俊介氏に注解者として改版の話が持ちかけられたのは、前版から経過すること半世紀弱、1988年になる。本書の出版はさらに20年弱を経た2007年になった。Wikiで亀井俊介氏を確認したところ、残念ながら昨年2023年の8月に逝去されていた。
本書の基本は明治に発行された文学論である。漱石が鬼籍に入ってから久しい今になって改版とはこれ如何にと思うのであるが、一つは注釈を改めること、そしてもう一つが翻訳である。
明治の版では、なんと、翻訳がなかった。
うーむ。
翻訳があっても読むか読むまいかといった状態であるのに翻訳なしとなるといよいよ読み難い。
漱石の文学論に限定して話すと、岩波書店では次の版があるようだ。
1939年 『文学論』文庫版
1966年 漱石全集
1995年 漱石全集
2007年 『文学論』文庫版
1995年の全集は、この文庫と近接している。その1995年全集の第十四巻の注解も、本書を注解された亀井俊介氏が担当されている。全集と文庫。同時進行といった様相だ。
さて、翻訳であるが、その全集にあたって翻訳も一新することにした。前1966年版は、既訳のものはそれを利用し、なければ注解者が訳すということであったらしい。既訳の利用はいろいろなところから取り出すわけで、訳者も様々になる。早く出来上がるのかもしれないが一貫性がない。
「一人の翻訳者で翻訳を改める」
逡巡した結果、それに行き着いた。
英文引用は膨大である。改訳となると大変な作業であるが、膨大であるからこそ引用はこの文学論の要であり軽々にはできないという、注解者亀井俊介氏の思いが伝わる。そして、翻訳は東京大学同僚イギリス文学専門の出淵博氏に依頼した。それが、1995年全集である。
その全集の翻訳であるが、注釈と一緒にまとめて巻末に収められた。だが、文庫版となるとそれでは不便である。そもそも、全集と比較して、文庫版の読者層は広い。一般読者に読みやすくするということも重要になる。結局のところ、講談社学術文庫にならって、引用英文毎に、その直後に翻訳を付けることとなる。だが、そうすると、巻末にまとめた全集の翻訳とは印象が異なるのだそうだ(そうなると、全集の翻訳も読んでみたくなるのだが)。だが、全集で翻訳を依頼した出淵博氏は1999年に他界される。結局のところ、出淵博氏の翻訳を基本に、講談社学術文庫の訳も参考にしつつ、注解者である亀井俊介氏が翻訳された。それがこの文庫版である。
なんとも、知らないところで多くの労力が成されているものだ。100年以上前の漱石の文学論を現代の人が少しでも理解し楽しめるように。
この解説も読んでいて楽しい。すっかりはまって書き連ねたらこんなになってしまった。肝心の文学論の面白さを、未だ何一つ語っていないのだが。
まあいい。
続きはまた今度にしよう。
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