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四天王寺 大古本祭り

四天王寺 大古本祭りに行ってきた。
とんでもない程の人混みでもないが、大体はコンスタントに人がいて、どのテントにも、どの棚の前にも、何人かの人が常にいる。一番多いのは年配の男性。概ね、私よりも年配でいらっしゃる。探し方もとても熱心に見受けられる。その次に多いのは年配の女性。女性も私よりは年上の方が多いようだ。後は、私くらいの年代の人がいて、若い方もチラホラという感じだろうか。それから外国人の方もポツポツ。四天王寺に観光に来てついでっぽい人から、がっつり探してますという感じの人までいろいろ。

並んでいるのは本に限らず、LPなんかもかなりの数があったりする。シングルレコードもある。古い雑誌、ジャンプやanan、DVDや掛け軸、古銭なども。

古書店というのは、馴染みでないと意外に入りにくかったりすることがある。扉をくぐるとにらみのきいたおじさんかおばさんがいて、客は少なく、気のせいだろうけど監視されているような感じもして、買わずに出るのが躊躇われたりする。その点、こういうような青空市はいい。棚から棚をふらふらと歩き回っていても気にならない。というか、訪れる客はみなそんな感じだ。欲しいものはあるがここにあるのかどうかもわからず、なんとなく乱雑に並べられた多数の本に紛れ込んでいるのを微かに期待しつつただひたすら探す。そんな感じなのだ。

大古本祭りに到着したのは、11時半頃。それからふらふらと漂い気がつけば15時半。げっ。昼食も取らずに4時間も本の背表紙を眺めていたわけか。図書館といい書店といい、背表紙眺めてるだけなのに何故こんなに時間が経つのか。不思議でならない。

さてと。
買った本を記録しておこうかと思う。

手に取った順から。

野上弥生子随筆集

とても綺麗な文章を綴られる方だ。前に読んだのが、やはり岩波文庫の『大石良雄・笛』だった。頁をめくって次の一文を読んで買おうと決めた。

子供の足がだんだん達者に運べるようになったとき、私は彼のために、赤い緒の小い草履と小い羅紗の靴を買いました。

『野上弥生子随筆集』お守の記

「小い」は転記誤りではなくって本にそう書いてある。「ちいさ」と振ってある。

表紙にも書いてあるが、漱石の推薦が文筆活動のきっかけだったようだ。漱石というのは、交際範囲が広いというか、面倒見がいいというか、時に感嘆する。


朝永振一郎『量子力学と私』

ついつい手にとってしまった。息子はその名を読めなかった。「ともながしんいちろう」。ノーベル物理学賞を受賞した方である。氏の研究は、ちょうど大戦中の頃ではなかったか。世界中が戦いに吹き荒れていた時代で、科学も研究も国際的な交流が絶えていたころである。ほぼ同時に同じような研究が各国であって、それで3人同時受賞になったと聞いたことがある。研究を始めたころには専門教官がおらず、また研究中も戦争で交流が制限されるなど大変だったろうと思われるが、さらにノーベル物理学賞を受賞されているのであるからなんともすごいことである。


ルイ・ドゥ・ブロイ『物質と光』

こちらもノーベル物理学賞を受賞した方である。ド・ブロイの著作が翻訳されているとは知らなかった。しかも岩波文庫で。光は粒子と波の二重の性質を持つが、だったら物質も粒子だけでなく波の性質を持っていてもおかしくないでしょ。そう言ったのがド・ブロイである。買うか買うまいか、一瞬怯んだ。読み切れるのか、あまり自信がない。それでもいつか読んでみたいという気持ちの方が勝った。


漱石全集14

「14」だけじゃわからん。
収録されているのは『文学論』である。

先日記事にも書いたのだが、まだ全部読みきっていない。「まだ」どころか「まだまだ」といった感じである。これはどの解説を読んでも書いてあるのだが、とても簡単には読み切れない。なので、できれば手元に持っておきたいと思っていた。読みたいときにちょっとめくりたい。

漱石はとにかく出版部数も多くて古書にまわるのも多くて、簡単に見つかるんじゃないかなどと思っていたが、意外にないんである。漱石そのものが、ない。いわんや『文学論』においてをや、である。岩波の漱石全集があったが、「書簡集 上中下」の3冊しかない。書簡集も気になったが、1冊¥800-。3冊で¥2,400-。ふむ。

などと思っていたらようやく見つけたのが本書である。『文学論』を全集にいれるなんてどこの出版社だろうと思ってみたら角川書店であった。少々意外な気がする。画像ではわからないが箱入り全集のわりに小振りである。少し小さいのだ。文庫の一回り大きいくらいである。これで文学論が入りきるのかと思ったが、開いてみると二段組になっている。であればはいるか。¥100-だし。というわけで買ってきた。

持ち帰って裏表紙を捲って「ああ」と、¥100-なることに納得した。

64) 6月4日
旭山書店にて
◯◯蔵書

と銘打って(?)あるんである。
◯◯は個人名である。
本が読めるのなら別に構わない。

「ああ」と思ったのはもう一つあって、英文に翻訳がついていない。英語ができない私にはホンマに「ああ」である。特に小説は訳しにくい。さらに古い作品になるとなおさらである。機械翻訳がどれだけ頑張ってくれようか。


漱石全集15

並んでおいてあったのでつい買った。
『英文学形式論』と『文学評論』が収録されている。
『文学論』とは別にそういうものもあるのか。
パラパラと捲るとこちらにも英文が散見される。
うーん。じゃあ読みたくなるじゃん。


探したけどなかったもの

暮しの手帖 10号

あったんである『暮しの手帖』が。
「え? ええっーーー!」である。

だがしかし。

人生は思うようには進まない。
『暮しの手帖 1971年 10号』が、ない…orz
だよなぁ。

まぁ、いい。
いつか縁があるだろう(多分)。
こうやって気長に探すのもまた一つの醍醐味なんである(多分)。

宮武外骨

あまり名前は知られていないが、明治期のジャーナリストである。「みやたけがいこつ」と読む。なかなか読めない。大阪府立図書館に和本があるが持ち出し禁止である。復刻されないかなぁ。

大古本祭りにも和本が山積みしてあったりするんだが、たいていは手習いのようなものらしい。書道とか囲碁とか。宮武外骨があったとしても値段は高そうである。気にしつつ探してみたんだが、見つからなかった。


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