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人の心理と小道の存在

リヨンに行ってきた。

3日間、おおむね天気もよく。坂の道を登ったり降りたり、定番のポール・ボキューズでランチしたり。って、敷居高そうに聞こえるかもですが、ランチは4000円くらいで食べられちゃうのです。

5区の石の店Mineraliaは種類が豊富。次の立体作品に使おう!と、アンモナイトをしこたま買って帰ってきた。保守的で冷たい、なんて噂も聞いてたけど、明るく親切な人が多かった。

小道の少ないリヨン


そんな感じで、人は明るくて親切な印象。が、街については、抱いていたイメージと少しちがった。

ふたつの川や丘があり、たくさんの表情がある素敵な街なんだけど、なんというか、落ち着かない。雑然としてるというか、ココが都市の顔、みたいなのが見えづらいのだ。

多分、街がうまくデザインされている感じがないのだと思う。別にそれは、一から十まで計画しようよ、ということではない。それでも、生き生きした街にしようという努力の積み重ねは、きっと街の表情を増やしていく。

たとえば、地下鉄のサインが読みにくい。最終目的地の駅名が紫でライトアップされ、フォントも細い。駅のプラットフォームはオシャレにデザインされているのに。

また、たとえば道路がほぼどこも碁盤の目になっていること。抜け道があまりなく、遠くから通行人のすべてが見渡せる。逆を言うと、隠れられる場所や立ち止まれる場所がほとんど無い。

パリとリール、それぞれの魅力


町の魅力って、発見だと思う。ちがう角度から見たら建物が全然違って見えるとか。道がタテヨコだけだと、建物もタテヨコの部分しか見えない。

「あ、ここってこっち側から来るとこんな風に見えるんだ」
みたいな小さな発見が、平凡な生活を楽しくしてくれるんじゃないかなと。

例えばパリ。大通り〜小道まで、いろんな表情の通りがある。大通りには、どや!っていう尊大さもあるけど、一旦裏道に入ると、まったく違った顔になる。恥じらいや哀しみが同居してるというか。いい意味で自己矛盾があって可愛らしいなあ、なんて、私などは感じてしまう。
もちろん、エリアにもよりますが。

また、交差点の中洲に、ホッと一息つける小さな広場があったりするのもいい。かなり隠れた中洲。たいていそんな場所にはベンチと街路樹が二、三本あって、ひっそりした日陰を作ったりしている。

なぜ中洲ができるかというと、基本三角形→放射状に道路が交差するよう街がデザインされているから。
ものすごく迷いやすいけど、あれがパリをユニークな都市にしていると思う。

先月行ったリールも良かった。北方のベルギーやオランダに近いだけあって、フランスの他都市とガラッと雰囲気がちがう。


旧市街の道も生き生きしていて、迷路のような石畳の小道がたくさんある。壁の向こう側に隠れた小さなアトリエだとか、17世紀のちょっと潰れそうな赤レンガの古い家屋の私道をひょいと覗くと、中庭の蔦が美しかったり…だとか。

道、道ってうるさいけど、「探索したくなる」「覗き込みたくなる」道の存在って、町にも人にも大事なもの。なんだな…と、今回のリヨン旅行を通して思った次第です。

あくまで、個人的な感想ではあるんですが。

ちなみに東京が面白いのも、多分に小道のせいだったりするんじゃないかと。何か出てきそうな意味不明の小道や坂は、人間の脳を知らないうちに刺激してくれているのかもしれない。複雑に発達したニューロンのように。

町並みが人の心理に与える影響。
いろんな町を訪れながら、またゆっくり考えてみたい。

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