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77・78日目 バンコクの宿にて中原中也の詩集を読む

海外に行くための準備は前日に始め、ギリギリまで必要なものを求めて街を走り回り、結果いくつも忘れ物をしてきた僕であるが、出発の1週間前にはすでにリュックに入れていたものがある

中原中也の詩集だ
中原中也が好きとかではない、読んだこともない
なんなら詩集すら読んだことないし、全く知らない
持ってきた理由はただ一つで、この旅のきっかけにもなった「深夜特急」の中で沢木さんが中国の詩集を持って行っていたからだ
僕も漢詩にしてやろうかとも思ったが、もちろん持っているわけないし、それ以前に沢木さんのように僕ごときが漢詩に向き合えるとは到底思えなかった
そこでずいぶん昔に父から借りてからずっと本棚で忘れさられていた中原中也の詩集に白羽の矢が立ったのだ
気張って借りていた二冊ともリュックの中に詰めてやった

本を取り出そうとしたら同じポケットから友人の診察券が出てきた
反対側のポケットからも
どうやら出発日空港まで見送りに来てくれた奴らが入れていたらしい
久々に海外での日本の友人を感じた瞬間であったが、
感動…!は全くせず、なんなら懐かしさすらも覚えず、ただしょーもねー笑としか思わなかった

旅に出る前はホームシックとまではいかなくても、もっと日本が恋しくなって、友達との久々の交流なんてなかなか心動くものだと思っていたが
SNSが発達した現在はこのような感情になることはまず不可能な気がする
たまに通話しても、特に日本の自分の部屋から電話しているのと特に変わらないテンション感だし
Twitterをひらけば日本の都知事選なんかのわちゃわちゃとかも入ってくるし

よくありがちなシーンとして、離れ離れになった後に、空を見上げてきっと同じ空を見ていると、感傷に浸るようなのあるじゃないですか
これほどの機会はないと思って、出発前日の夜少し散歩して、空を見上げて日本の空を覚えておこうなんてやってきたが、
海外で空を見上げたところでそれで別に感傷に浸るなんてことにはならない
空が現状ある物の中で唯一の接点だった昔と違い、何倍も密な、近すぎるくらいの接点をネット上で持ててしまう
ただ単純に引き裂かれるような気持ちで残してきた想い人がいないからかもしれないし、僕の感受性が低すぎるせいかもしれないけど

ここしばらく、宿の共有スペースでまったりとした時間を過ごしているという話を先日したが、ここ最近のそういった過ごし方は読書にもぴったりだった

マイ宿ー!
一泊600円代で飲酒喫煙スペースもあって居心地良い

詩集の話に戻るが、
今まで詩なんてものは、国語の授業でやった有名な詩と、よくあるアーティストの詩集みたいなものしか触れてきていない
中原中也がそういう文体なのか、私がこれまで考えることを放棄してきたのかわからないが、(きっと後者がデカいだろうか)
かなり繰り返し読み込まないと想像しづらい
想像しづらいというか、視界に入っているものがは同じでも今までに自分で想像したことのないような感性を通じて描かれていて、同じかどうかは定かではないが、ひとまず詩の映像を描くだけでも苦労する
そしてそういった表現に感心するばかりだった
例えば、春の夜の一節
そんな風に思ったことないなぁみたいな

月光うけて失神し
庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)

春の夜

加えて情景の他に内容があって感情があってストーリーがあって背景があって
なんとなく月が比喩でこういう感情なのかなとか思っても、どこまでが詩に沿えているのか…
短い文章ではあるが読み返すと同じ箇所でも違った印象を感じさせたり、想像の糸口すら掴めないような箇所もあったり
理解なんて、果てしないように思えた
まだそんな読んだわけでもないので、しばらくは美術館に行っている時のような感じで、主観的に詩に向き合っていくでいいかなとは思っているけれど

音楽にも素晴らしい詩はたくさんあるが、音楽に合わせている以上、詩のスピードが決まっていて、やっぱりそういうのと比べると結構回りくどいというか
歌詞っていうのはやっぱり結構素直な傾向があるなと再認識した

夜はタイの魚料理食った
なんて名前の魚だったか忘れたけど、多分屋台によくあるやつと近い
白身魚のフライみたいなやつ、美味しかった

今日の自立散歩のお供
the pillowsのFLCLサントラ
東南アジア思ったより黄色のベスパたくさんでもう感動も薄れた

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