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マイノリティの苦痛

私は、当初、いじめを声にあげたマイノリティ(少数)側だった。
加害側と呼んでしまいたい、私へのいじめに乗っかっている者を含めた彼女たちは、マジョリティ(多数)側だった。

マイノリティ(少数)側には疑問に思えていることも、
マジョリティ(多数)側になると殺し合いも容認される現象が起きる。


私を犯したいじめ

錯覚しかけた第2の私像

今まで、私へのいじめの内容を記録に残してはいたが、私が感じていた私へのいじめレベルというものも残しておこうと思う。

私へのいじめの程度は、
死を感じる。殺されてしまうのではないか?という恐怖をもつまでへの執拗な追い込み。
私個人を特定しているということから、
顔を見せることも
名前を知られることも
存在というものを知られることが恐怖になっていった時期がある。

私は、自分の名前を人前で言うことが出来なくなるほどの恐怖の渦の中にいることに、当人ながら、この状況を直に受け入れることが難しかった。

マジョリティの彼女らの嘘と思い込みが事実になってしまう。

誰か、私に気づいて!!!
私の存在、人格が、彼女らの想像(妄想)の中の第2の私像に覆われる。

虚言と思い込みによって作り上げられた私。
名前は私だけど、私じゃない。
私についての話のようだけど、私のことじゃない。
それは、私じゃない。

真実は、私にしか分からない。

何度も何度も何度も。
声を上げる。

いじめ終了に至るまで、
・長期間であるということ。と、
・マイノリティであること。という状況が、
私でさえも彼女らの想像(妄想)の中の第2の私像が私であると。錯覚しかけた。
もうそれでいいかなって。

世間の中に埋もれる、声をもあげることが出来ず犯されるがまま、ただただ、その場で自分でも自分を殺てしまう人たちが私には浮かんだ。

周りも、自分自身も洗脳されていく。

それは、私ではない

確かに、一時は、彼女らの想像(妄想)の中の第2の私像も私の一部である=私そのものと、私自身も混乱した。

もしかしたら、一部かもしれない。と。
それは、私なのかもしれない。と。

自分で自分を責め殺す。

息ができず、苦しくなる。

時間だけが経っていく。

無。

そこに、奥底にいた私という今の状況に疑問を持つ私がかろうじて私に問いかける。
私は、どんな人間?
どんなことが好き?
どんなことが嫌い?
どんなことに興味がある?
どんなことを楽しいと思う?
どんなことで笑う?
どんなことで怒る?
どんなことが心地よい?
そこは安全ですか?
何を大切にしている?
何が大事?
何をしてみたい?
何をやる?

私は、知っている。
分かっている。
彼女らが捉えている私が、私そのものではないことを。

彼女らの想像(妄想)の中の第2の私像、それは、私ではない。

私が知っている私。

彼女らは、関わった時間的にも、距離などの物理的にも、私を見ていない。

私を知らない彼女らが、私という人間を評価し、他へ押し付け(侮辱罪、名誉毀損)、罵ることに、私は身震いするほどの不快感と内にしまえないほどの疑問を持ったのだった。

作られた事実は、証明できない

私に関しての情報の真実は証明出来るけど、
作られたでっち上げの事実は、彼女らには証明はできない。

実際に、そうなんだ。

私は、躊躇することなく、堂々としていていい。
そのままで。私のままで。

私を責めなくていい。
好きなことをしていい。
嫌なことは、しなくていい。
興味があることは、挑戦していい。
楽しいと思うことは、やっていい。
思いっきり笑ったらいい。
怒りも必要な感情だ。
幸せになっていい。
自分で選んでいい。
大切なら大切にする。
大事なら大事にする。
してみたいなら、試してみたらいい。
やったっていい。

彼女らの妄想の中のでっち上げ私像。
なんじゃそれ?
誰の受け売りですか?

私は、これからも、
私の生き方を、私の気持ちを、私の事実を信じる。

そして今、
いじめを声にあげたマイノリティ(少数)側だった私は、その枠を向け出している。




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