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【発達障害と診断されるまで~精神科閉鎖病棟入院中に倒れる】

  入院中のある日、入院仲間の部屋でお喋りをしていた時に、私は意識を失って倒れました。

 その友達の話によると、倒れた後、すぐに看護師さんを呼んでくれて、私は担架で運ばれ、大騒ぎになったらしいです。(そりゃそーですわww)

 意識が戻ったとき、激しい頭痛と気持ち悪さと、そして、見たことのない景色が目の前にありました。

 私は脳外科のICUにいたのです。
 傍にいてくれた旦那氏の話によると、あと数時間意識が戻らなかったら開頭手術をすることになると告知されていたそうです。知らない間にCTやレントゲンを撮ったり、家にいたはずの旦那氏が私の傍に来れるくらいの時間は意識を失っていたみたいです。

 私は意識を失って倒れた際に、病室の床に頭を強打。脳内で出血し「急性硬膜下血腫」になっていました。かなり厳しい状態だったと聞きました。
 もし開頭手術になった場合の死亡率は65%、社会復帰できる人は18%と非常に予後の悪い外傷なのだそうです。(今これを書くために調べて知ったので、とてもびっくりしてますw)

 意識が戻ってから数日間はICUで過ごしたと思います。昼夜も時間も分からない空間だったのでよくわかっていませんが、その後数日間脳外科の一般病棟に転棟し、結果的に1週間ほど脳外科に入院していた…はずです。

 精神科閉鎖病棟では、自殺自傷や治療拒絶などの予防のため、持ち物から行動まで徹底的に管理されていました。
 病棟の外に出るには許可が必要ですし、許可が出たとしても付き添いの誰かがいないと出られませんでした。
 薬を飲むときも、口を開けて本当に飲んだかの確認がされます。
 入浴も、看護師さんの監視付き。部屋にはテレビもラジオもありません。携帯電話も持ち込み禁止です。
 そのくらいしないと自分を傷つけてしまうような状態の患者が入院するのが閉鎖病棟です。

 そこに数か月入院して、その感覚に慣れていた私が、脳外科の一般病棟に転棟したときは、とても不思議な気持ちに陥ったのを覚えています。
 自由すぎてびっくりw 
 とはいえ、頭痛が完全におさまったわけではなかったので、おとなしく過ごしているうちに、精神科に転棟になりました。

 精神科の主治医には「治療を一からやり直しましょう」と言われ、入院が長引くことになりました。

 精神科に戻ってからは、また意識を失って倒れるのではないかということで、看護師さんたちの監視がより一層厳しくなりました。
 もし途中で倒れていたら困るからと、夜間にトイレに行くときは車いすを使うように言われました。面倒くさくて歩いて行くところを見つかったら、看護師さんにずっと脇を抱えられて歩くことになったりしました。

 そんなある日、ふとした瞬間に思い出したのです。

 私、そういえば、「てんかん」だった!

 自分でもすっかり忘れていたのですが、私は高校時代にてんかんと診断をされ、治療をしていました。就職して仕事を休めなくなったことと、発作が起こらなくなっていたこともあって、治療を自主的に中断してしまっていたのでした。

 後々になって分かったのですが、その頃に飲んでいた「三環系抗うつ薬」にてんかん発作を誘発する副作用があったのです。既往歴にもてんかんのことなんて書いていなかったので完全に私のミスなのですが。(完全に忘れていたし、うつで脳みそがうまく働いていなかったので思い出せなかった…)

 主治医も私が突然倒れた理由に納得し、てんかんの治療も再開することになりました。

 そんなこんなで、私は半年間入院して、1月に退院することになりました。

 続きはまた次回^^

 以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*)

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