すすむ秋、のこる夏
久しぶりにのんびりお散歩をした。
季節の香りと新鮮な空気を身体いっぱいに摂り込んで。
健康診断へ
朝。数ある提携クリニックの中から藤沢にあるクリニックを選び、雇入れ時の健康診断の予約をしていたので空腹のまま向かう。
前職では月に4回以上夜勤に入っている者は半年に一回必ず健診があり、私も該当。退職前に健診をしたばかりで検査結果が手元に届いていたので、もしかしてそれを提出すればスキップできるかなと思って相談したけれど、採血項目でほんの数種足りないものがあったために、結局すべての健診をもう一度やり直すことになっていた。
少し前に体調を崩し、高熱と咳嗽の影響でしばらく声を失っていた。
まだ謎の筋痛と咳嗽が残り、絞り出してようやく出るようになった声はかすかすのハスキーで可愛くない。
職場ではインカムを使うので、この声がどう聞こえているのだろうか。ちゃんと聞こえているのか心配なところだ。
高熱と全身痛で当然食欲はまったく無く、魘されて睡眠さえまともに取れない日が続いていた。
服薬しなくてはいけないので何かしらをお腹に入れなくてはと、意識が朦朧とする中で梨を食べていたことだけは記憶に残る。気管支や肺には白い食べ物が良いと言われていて、「梨と桃なら食べられそう」という身体の訴えはあながち間違ってはいなかった。瑞々しい梨と桃に救われた臥床期間。人生でこんなにも長く横になっていたことはない。
熱が下がると、蓮根やびわの葉にも救われた。
大好きなゼロコの大道芸を観に行きたくて。ちょっと回復した気分の良い日に飯田橋に会いに向かったけれど、途中で身体が長いバスの待ち時間に耐えきれなくなって体調不良となり、辿り着けずに帰宅したこともあった。
職場復帰はしたものの、回復途中の私の身体は野菜をまだまだ欲している。
私の身体とエネルギーは本当に野菜と果物と穀物が源なのだとつくづく感じる。
写真は駅へ戻る途中に見た風景。
今日は前を通り過ぎるだけだった、学問・武芸・芸事にご利益のある白旗神社へも、また日を改めて御参りに来ようと思う。
ブランチ
健診が終わって1つ戻ったお隣の善行駅にある、お野菜をたくさん食べられるお気に入りのカフェ『八〇八(やおや)』で今日の1食目を取ろうと決めていた。ここでは採れたてのお野菜も直売している。
健康診断のため朝ご飯を食べずに出て来たので、健診中にはお腹がぐうぐう鳴っていた。いつも朝ごはんをしっかりと摂るので、抜くとぜんぜん力が出ない。
「サラダめし」と「日替わりプレート」と「かきあげ丼」の三種類でいつも迷う。どれもお野菜もりもり。
前回、今も仲良くしていただいている前の職場の先輩方と待ち合わせて来た時には、みんなでサラダめしを頼んだ。で、“次来た時はかき揚げ丼を頼もう”と決めていたのに。やっぱり今日もサラダめしを頼む。
空きっ腹だったし、1食目だし、サラダめしはそれはそれはもうとっても美味しかった。
顔よりも大きな木のボウルにもりもりに盛られたお野菜をむしゃむしゃ食べた。底にあるご飯をお豆腐に変更することもできる。
お味噌汁は具がごろごろ。そこも私好み。
大豆のフムスと、サラダにかかる特性のにんじんドレッシングが本当に美味しい。
お友達登録をしているので、特典で帰り際に「好きなお野菜をおひとつどうぞ」と、野菜をいただいてお店をあとにした。
左肩にかかったお気に入りのトートバッグの中では、相棒のカメラとゴーヤが隣り合わせに並ぶ不思議な光景が出来上がった。
曼珠沙華を愛でる
さらに4つ戻ってきた高座渋谷駅で下車。向かうは“神奈川 花の名所百選”にも選ばれる『常泉寺』。花のお寺と呼ばれている。
もうすぐお彼岸なので、もしかしたら少し早い彼岸花(※以下、曼珠沙華)を観られるかもしれないと思いながら、真夏日の気温を刻みながら照りつけるまだ夏の陽射しを全身に浴びて歩く、歩く。
途中、私の歩く速度より少し速い大きな雲が太陽を隠し、歩く道の先をどんどん暗くしていった。じりじりと照る陽射しが遮られ、正直ほっとしてありがたかった。
栗や柿の木にはもうすっかり大きな実がつき始めている。お散歩ができていなかった間に秋はかなり進んでいた。
栗ご飯を炊く日も近い。
秋も楽しみがいっぱい。
不老門をくぐると…
さっそく存在を放つ紅い曼珠沙華が出迎えてくれた。感激。
その他にも種々様々な草木花が目に飛び込んできて足を止めたくなったけれど、ぐっと堪えてまずは参拝。
御本尊は聖観世音菩薩。
寺務所にも伺いご挨拶をして御朱印を頂いた。そろそろ1冊目の御朱印帳も終わりがちらりと見えてきたので、紅白の曼珠沙華の織られた御朱印帳を購入した。今持っている御朱印帳は文具屋さんで買ったので、2冊目はどちらかの寺院で購入したいと思っていた。
ご住職の撮った白い曼珠沙華のポストカードを頂いた。新しい御朱印帳の縦の白い長方形の部分には、御在院の際に文字入れをしてくださるそうなので、近く、また訪れたいと思う。
いよいよ散策です♪
なぜだかものすごく惹かれた樹。
しばらく枝垂る葉のカーテンの中で静養した。この樹に対する言葉では言い表せない「好き」という本能が働く。自分でもなぜだかわからない。初めて触れるのに懐かしいような、思い出すことなんて出来ない前世の記憶をどこかで探しているような、説明のつかない感覚。葉にもそっと触れた。
他にもお散歩を堪能されている方々がいたけれど、みな素通りしていて、誰も見向きもしていなかった。
【追記】
後々調べたら『龍爪樹』や『枝垂槐(シダレエンジュ)』と言うそう。不思議だけれど、私は尽く龍にご縁がある人生を送っている。何かを感じたり困った時はいつも『龍』が現れる。
最強の縁起樹らしく、エンジュ=延寿から長寿、鬼門に植えると魔除けに、その他にも安産、出世の樹木、幸福の木と言われているのだとか。花や蕾は生薬になるらしい。調べてさらに嬉しくなってしまった。できることなら記念に葉っぱがほしい。
次にお寺を訪ねた時は、寺務所に寄った際にこの樹のことについていろいろと伺ってみようと思う。次にどんなお話が聴けるのか、本当に楽しみ。
先程の門脇に咲いていた紅い曼珠沙華のところまで戻り、左右をゆっくりと眺めながらもう一度進み直す。
白い曼珠沙華も咲いていました!
例年では白から先に咲きはじめ、続いて紅が咲き始めるのだそう。
でも院内にはまだつぼみが目立つ。
紅白両方の咲いているところを観ることができたのは本当に嬉しい。来て良かった。
おやおや…?
色とりどりの曼珠沙華…ではなく、
一見、彼岸花に似ているカラフルな花々は実は違う名前のつく、違う属性のお花だったりする。
他のほおずきたちは、
すでに次の様相。
シャッターが止まらない。
ここはミツマタで有名なお寺だけれど、曼珠沙華のお寺でもあり、鬼灯のお寺でもあると言いたい。
…と、思っていたのだが。
いやいやいやいや、
名前も知らない植物が他にもたっくさん。
『花のお寺』で間違いない。
すごすぎる。
通いたくなった。
きっと通う。
絶対通う。
きちんと手入れもゆき届いているのに、自然のままの部分は豊かな自然のまま。その塩梅が素晴らしい。
木の葉にお手紙を書くなんて風流でステキだなぁ。私も書きたくなった。
小さい時はしていたのに、大人になってからしていないことがたくさんある。
この、木の葉のお手紙もそうだ。
今でも郵便で木の葉の手紙を送れると聞いた。
書いたらちょっと読みにくい部分ができそうな少し大きめの葉っぱを見つけた。秋らしい色合い。
読みにくい部分のあるお手紙、なんだか楽しそう!と、いい大人がひとりでにまにまお散歩をする。
葉がフリフリしているツワブキを初めて見ました。こういう種類があるのかな。味は一緒なのかな。
お散歩の最後に現れたのは白い曼珠沙華。紅ではじまり白でおわり、お散歩が締まる。
茎が伸びきる前に下方で花を咲かせる個体をよく見かけた。
雨が少ないとそうなるそうで、毎日観察されているお寺の方がそう話されていた。
たとえ成長が遅くたって、
茎が短くたって、
みんなと違ったって、大丈夫。
焦らなくていいんだよ。
曼珠沙華は曼珠沙華。
他の個体からは見えない景色が、
きっと観えているはず。
そう思えた。
駅までの帰り道、あまりに暑くてお店に入ってあずきのかき氷を食べた。
スイートポテトが今日から始まったからと、ご好意で試食をつけてくださり。
かき氷とスイートポテトが同じトレーに並ぶ光景なんて未だかつて見たことがないな…なんてそんなことを考えていたら、店員さんがまったく同じことを仰ったので笑ってしまった。
ここでもすすむ秋とのこる夏を同時に感じた。
お散歩師
ところで。
今回の記事を書き始めたくらいのところで、「お散歩しに」という文字に変換したくて「おさんぽしに」と打ったら、「お散歩師に」と予測変換に真っ先にでてきた。
そんな職業があったらいいなぁ。笑
私はお散歩師になりたい。
大切なものやことや人は遠くにではなく、いつもすぐ近くにあると改めて感じる。
癒しや気にかけてくれる人も。
あたり前だけど、大事にしてくれる人を大事にしたい。
いろんなことを日々たくさん抱えているけれど、今という瞬間に最大に集中して、私は私のペースで移りゆく季節を慈しみ、目の前の人たちと物事をまっすぐ純粋に誠実に見つめていけたらいいな。
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