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応援を行動に、つながりに、結果に、【vol.12】 まるちゃん(養護教諭)「生きづらさ」

こんにちは!シリーズvol.12です!(もう番号と更新の時間軸がおかしいことになっている。これもオンラインのありがたみです!)


#Nonameschoolオンラインイベント 、本日はまるちゃん(養護教諭)による「生きづらさ」についてでした。

展開できない内容もあるので今回は登壇内容に限らずお話を聴いて感じた「生きづらさ」について自分の考えも併せて書いて見ようかなと思います。

(いや、もうほとんど自分の話です)

講師紹介:まるちゃん

まるちゃんさん(Twitter@youkyoulife)は現在、大学院生であり、学校事務職員であり、養護教諭であります。生まれつき視覚障害をもっており、盲学校に通学した経験、入退院による人間関係の変化、身近に死と向き合う機会というのを一般的な人よりも多く経験している、深い使命を持っていそうな方です!

今回のイベントをきっかけに知ることができた方ですが、27年間割とハッピー人生を送ってきた私とは本当に狭い世界でみてみると対照的で、このような機会を経てリンクしたことに驚きを隠せないのですが、学びの多い出逢いとなりました。

養護教諭に対して持っていたイメージ

養護教諭の先生は、私の中で大きく2つのイメージがありました!

(1)学業を学ぶ過程で教諭になったサバサバ系
基本、保健室に来ても微熱なら教室に返す。陽キャが遊びに毎日保健室にいくがうざがられて、突き放されるそれが日常。早口。頭が切れる。職員会議でもがんがん発言する。根っこは優しい。

(2)養護教諭に憧れて教諭になった天使系。
保健室に来た生徒とは何十分でも対話をする。いつも保健室には人がいる。ぬいぐるみが追いてある。詩集が置いてある。疲れたときの憩いの場。とにかく寄り添ってくれるマザー。

ものすごく極端な表現をしましたが、割と共感してくれる人は多いのではないかと予想しています。

しかし、今回のまるちゃんさんとの出逢いは、また自分のなかでのバイアスがはずれたきっかけになりました。

そもそも養護教諭って〜、女子大出身のひとって〜といったようなバイアスが自分の中にもまだまだたくさんあることをぐいっと感じさせられたんですよね。

具合が悪くなりました

私はもともと「エンパス」の気質を持っています。エンパスとは、簡単にまとめると共感力が極端に強いひとのことをいいます。(すべてのひとが本来持っているものだと思いますが)

小学生のときはクラスに女子が20人弱、男子が数人という珍しい男女比率の学年で1学級クラス替えがなかったことから、男子の「居心地の悪さ」に反応して女子でありながら「男子」として6年間過ごすという選択を自然とした過去があります。 
※ 割と陽キャでハッピーな明るい小学生でしただが6年間原因不明の頭痛を持ち合わせてたのはそれが理由だと思っています。

ただ、根がハッピー野郎なので、私は「居心地の悪さ」や「生きづらさ」を自分の世界から排除するという方法を無意識的に身に着けてきました。

そのため時折「サイコパス」と呼ばれることもあります笑

泣いている人や悲しんでいる人、大きな悩みやトラウマを持っている人に対して、自然体で向き合うと一気にひきずりこまれてしまうので、生きる世界を別の場所に置いて自分を守っています。

「この人は違う世界の人」「なんで泣いているのだろう。わからん」という意識に自動的に自分の脳をプログラミングするのです。

だから卒業式とか、誰かが亡くなったときとか、誰かと別れるときも基本的にはあまり泣きません。誰かと映画を見ているときもあまり泣きません。(ひとりだといつでも号泣できます。)

まるちゃんさんの登壇中、具合が悪くなりました。

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これはきっと言語化するならば、自分の中で「怖い・・・」「受け止められないかも・・・」といった排除の意識が過剰に反応したのかもしれません。なんなら波動ですぎて、ブレイクアウトでの意見交換中zoomも永遠にリロード状態になるという私のmac book proまで大変なことになるというミラクルも起きました。

しっかり話を聴きたいのだけれど、超具合悪い。アクセスしたくないと身体が反応している・・・そんなもやもやとの葛藤をしていました。

センシティブな内容だと思ったので、予めまるちゃんさんにDMで投稿の可否を確認したのですが「あゆむさんの感じたまま」「あゆむさんの言葉で」と素敵な後押しをしてくれました。優しすぎる・・・。感謝でいっぱいです。

「生きづらさ」を構成するもの

まるちゃんさんは「普通」を求められたときに、生きづらさを感じると言っていました。

「普通」ってなんだろう
「生きる」ってなんだろう

テーマを広げるとまとまりがつかなくなっていくのですが、私も実は常に生きづらさは感じています。黒いオーラを放っている人や、エネルギーバンパイアには過剰に反応してしまうし、24時間居心地よくいたい。瞑想中や、意識世界ではこんなに気持ちが良いのに、どうして現実世界はこんなにも苦しいのだろうといつも思っています。

言葉にすると一気にチープになってしまうのですが

「じぶん」を創造するために生きている

すなわち、遊ぶために生きているのかなと考えています。世の中にある「正解」「常識」と呼ばれるものに「苦しみ」や「正義」「批判」を感じ、その感情が自分自身を司っていく。

だから、正解はなくて自分が感じたものをどのように解釈しどのように扱っていくかが「生きる」っていうことと捉えていきたいですね。

そう考えると、世界に起きるすべての事象が「生きづらさ」であり「じぶん」をつくる要素のひとつひとつであると言えます。

私たちに何ができるか

まるちゃんは、養護教諭として子どもたちに選択肢を広げていきたいというお話をしてくれました。健康という定義もひとによって異なるように、捉え方の幅が広ければ広い程、自分の人生の選択肢が広がっていくためですね。

陰の世界で気づきを重ねてきた優しくて深〜いまるちゃんと、陽の世界で気づきを重ねてきたわたし(本当は陰と陽は共存しているものなので、こんな言葉で表現したくないのですが。)

イベント中に、ものすごい反応が私のからだの中に起きたわけなのですが
最終的に「選択肢を増やしたい」、「気づきのきっかけを与えたい」、教育を通してやっていきたいことのテーマがつながるということに感動と喜びと、セカイの原理を感じました。

まるちゃんであったら
養護教諭や、障害を持っていること。


私であったら
家庭科教諭や、コーチングをしていること。

肩書きや育った経緯は手段でしかなく、本質はつながっていました!

そのことに、自分の反応と身体と心と向き合って、気づけた良い時間でした(1週間くらいかかったけれどw)

生きづらさと付き合っていく

誰もが持っている生きづらさ、それを排除したり、目をそむけることをしてきているところがあるのだなと改めて気付かされる出逢いでした。

ただ、手放しても手放しても、やっぱり感情がある限りは一度感じた感情は出てきます。それを「どうしたい?」と常に問いかけながら過ごすことが生きていくということであり、それと向き合うきっかけや、機会を与えていくことが大切です。そんな生き方をしていきたいと思いました!!

ありがとうございます!


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