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命の営み④ 命日に想う

1月9日は私の父の命日です。


昨年のこの日、
『父の命日に寄せて』
という記事を書きました。

この記事にも書きましたが、
父のお骨は、京都の大谷祖廟にあります。

お墓はなく、
かつて住んでいた実家ももうないので
そこにあった立派なお仏壇もなく、
今はもう母の住むアパートに
小さな小さなお仏壇が
ちょんと置いてあるだけ。

父が亡くなったのは、
19年前の今日。
今の夫は当時まだ恋人で、
結婚も考えていないような時期です。

もちろん、娘達は
実物の父の姿を
見たことあるはずありません。

けれど、会ったことのない
『ぶつだんじいちゃん』は、
確かに娘達の中に生きていて、
会話の中に自然と出てきます。

11月24日の父の誕生日が近づくと
ぶつだんじいちゃんの誕生日だ〜
と、娘達は思い出してくれます。
そして、
ささやかなお祝い(?)をします。

もちろん生きていて、
その目で見て、
その手で触れられ、
声を聴けることは
何よりも尊いです。

父にも、娘達を見て欲しかった。
抱いて欲しかったし、
海に連れて行って欲しかった。

それは叶わないことなんだけれど、
私や、母や、夫が、
ごくごく自然に父の話をしているのを
娘達はよく聴いていて、
その人物像を彼女達なりに
心のなかに描いているようです。

折に触れ、娘達から
ぶつだんじいちゃんのさぁ、
なんて話が出てくることに、
私は幸せを感じます。

考えてみると、
私もまた、会ったことのない
曽祖父のことを
あたかも一緒にいた事があるかのように
話せるのです。

それは、母や祖父母、曽祖母が
あれやこれやと曽祖父のことを
日常的に話していたからでしょう。

生きていること
亡くなっていること

生きていることに
大きな意味はあります。
だけど、
心の中に生き続けていてくれることも
とても尊いと思いたいのです。

それは生き残っている私の、
捉え方なだけで、
勝手な解釈だという側面も
あるかもしれません。

だって、父はもうこの世にいないわけで、
『きっと喜んでくれているだろうな』
『幸せを願ってくれているはず』
なんてのは、勝手な思い込みですもんね。

では人はなぜ、
それでも、愛した故人を
ずっと想い、心の支えにし、
心の中に生き続けさせるんでしょうか。

それはただの記憶で、
『心の中で生き続ける』という
『捉え方』をしているだけなのでしょう

でもそんなの
寂しいから、
なんか、切ないから、

”生き続けている“と解釈して、
自分を支える力の一つにしている、
といったところなんでしょうか。


* *


今年の父の命日も
記事が書きたくて、
どうしようかな、と思い
父のことを昨日から考えていました。

日々、人は死に、生まれている。
そんなことから
ぼんやりと考えを巡らせ
今私のこの命が繋がれていること、
その奇跡にまで考えが及びました。

そこで、命の営み。
このシリーズに入れようと
思いつきました。


勝手な解釈でもいい、
都合の良い捉え方でもいい。

私の心の中で、父は生きています。


見た目が49歳から歳をとりません。
69歳になる父は、
どんな見た目になってるだろう。

相変わらず、
白髪混じりの長い髪を束ねて、
早朝の海に出かけるのかな。
いや、70歳で波に乗れるのかな?

そして、娘達の心の中にも
確かに存在しています。
父の血は流れ、
受け継いでいっています。

この場合の
『生きる』
『存在する』は、
概念でしかありません。

でも、
こうして
確かにこの世に存在していた“命”は
記憶の中に、
『心の中に生き続ける』
ことができています。

今の、今日の私は
そう思っています。


私もこれから歳を重ね、
様々なものに触れることで
考えが変わっていくんでしょうけどね。



* *


父だけでなく、
大好きな大好きな祖父母、
それぞれの命日は私にとって特別です。

その日は、生前の故人に思いを馳せて
好物だったものを食卓に出します。

定期的なお墓参りや、
法事はもうほとんどありませんが、
命日とお誕生日はこうして
父や祖父母の話でひと盛り上がりします。


命が実際に存在して、生きていた。


その営みは、語り継がれることで
姿はきえても、
今生きている私たちの感情を
揺さぶって、時に力をくれる、
そうやってまた、
新たな命の営みの糧となります。

そうしてこれは、
なにも血の繋りが必要では決してなく、
良く使われる『命のリレー』とは、
血の繋がりは最重要ではないと考えます。

曽祖父母の間には子供ができず、
祖母は養子でした。

大切な大切な娘だと、
曽祖母は話してくれていましたし、
先に亡くなった祖母の棺に
すがって離れず、
大泣きしていた曽祖母の姿は
わすれられません。

また、祖母はすぐ近くに住む
子だくさんのおうちのこども達を
我が子のように可愛がり、
叱咤激励し、お美味しいものを食べさせ、
大変好かれていました。
(幼い頃は、とても嫉妬したの
よくを覚えています。)

祖母の最期が近づいた時、
そのうちの2人は、
取り乱したように、祖母が息絶えるのを
受け入れられないと号泣していました。

中学生ながらに、
心底愛する人の死の衝撃の大きさ、
それを自らも、
また自分以外の人達の表情からも
それぞれの感情は計り知れないと
強く思いました。

* *


結婚後は、夫の祖父母も同じく、です。
夫から聞く昔のお話も、大好きです。
義母も本当に、
いろいろな話をしてくれるんです。

このように、、、
生きた軌跡、
その命が営んできて、残していくもの
それを語り継いだり、
懐かしんだりすること、
一番、私に合った供養の仕方です。

かつてあった『命』は、
そのとき懸命に生きて、
周りを思いやり、愛を持って接した分、
その命が尽きたとしても
語り継がれることで
存在できるんだなと、思うのです。


親戚が多く、
年配、超年配の方も多かったので、
子供の頃からお通夜、葬儀、法事が
とても多くありました。


色々な大人達それぞれの死生観を聞いたり
死に触れることの多い環境で
命や、その存在の不思議さ、
尊さを自ずと考えるように
なったのかもしれません。


身近な人や動物の死は、
本当に寂しく、辛いものです。

けれど、時を経て
今日もこうして思いを馳せていると、
毎年毎年、違った感情が生まれます。

父の歳に少しずつ近づいてきたこと、
子供達が大きくなってきたこと、
父のように、会社を設置してみたこと。

自分の成長の分、
思い出す父や祖父母の姿も変わります。


生きていたら、父はなんて言うかな。

命は尊くて、大切なもの。
ここにある限り
何よりも守るべきもの。


そんな事を娘達と話しながら
今年の命日も、父が好きだった
鮪を食卓に並べます。



長い記事となりました。
最後まで読んでくださって、
ありがとうございました♡

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