答えを見つけられない最終回


恋について、さまざまな視点から思考を凝らした一週間だった。

自分の恋を振り返る事はもちろん、実際に恋をしている人から話を聞いたりした。
思い出した人たち(勝手に思い出に召喚された人たち)は、みんな元気に過ごしているのだろうか。きっと、割と近くでどうにか普通に生きてるんだろうなぁと思った。


恋って、多分一生つきまとう。
あの時の恋、今の恋、未来ではどういう恋をしてたいか。
そして、一生気が抜けない理由の一つとしては、人生は何事も突然だからということ。
出会いはある日突然に起きるし、芽生えないと思っていた感情はどこからともなく突然湧く。
そして、過去の恋愛は突然蘇ってくる。

まぁ、そんなことを言ったって、わからないもの。防ぎようがないもの。
恋をしている自分のことを、客観的に見れる人なんて、とってもすごい人だ。
ふわふわしたその気持ちを抑えて生きる人々を例えるなら、風船が飛んで行かないように、空を見上げながらぎゅっと紐を握っている子どもの様子によく似ている。

だから、私はこれからも一人でいいんだって思い込んでても、ふっと風が吹けばどうなるかわからないし、ずっと一人でも平気なままかもしれない。
そのくらい突然に、そして勢いよく吹く風のことを、恋と呼ぶのだろう。





あなたを待ってる、とか
あなただけしかいない、とか

私には、あまりにも美しすぎる言葉だ。
誰かの「あなただけ」になってる人たちも美しいし、そういったことを想える(言える)人たちも、美しい。

その人のもとへ行ったまま帰ってこない自分の心を、その人に託して生きている人もたくさんいるんだろうなぁと思うと、人が人を愛す理由がよく分かる。自分にも相手にも心があるからこそ成り立つもの。人間の知能がここまで発達しててよかったな!と思うし、時には「ばかでありたい」と思う時もある。(まあでも、ある程度は賢くあった方がいい)



いくつになったって、無限に恋する。
年齢や性別を理由に、恋を諦めることはしなくていいと思う。
そして、真心はいくつあったっていいけど、恋心はひとつ。
そういう美しさを持つ反面、繋がれていた手を離される時があまりにもきつすぎる。

恋心が、真心によく似た「親切心」に変わってしまうと、それは恋じゃなくて、いろんな方向に矢印が向いてる状態になるんだろう。「優しいだけの人」の方向、「自分が傷つきたくない人」の方向。
恋はそうやって、カメレオンのように色を変えて、いろんな「心」に擬態できるし、その逆も然り「恋心」は、他の心にも真似しやすい。
だから、こんなにも答えが見つからないんだろうな。

人の言葉の節々から心を読み取り、それは恋心なのか、親切心なのか、下心なのか?と、そういったことを「ほんのり」と見分けられるような人になった時、恋をしたいと思えるのかな。

そういうときに、初めて「縁石ブロックの上を歩く人」になれるのかな。




p.s. 約一週間の連載は一応今日で終わります!
私がこれの読者だったら「答え出なかったじゃん💢」って思いますし、書いてても「答え出なかったじゃん💢」と思います。
これの続きは、自分が恋をし始めた時に書くと思います。恋とは一生都合のいい感じに向き合っていきたいです。もやもやっとした感じの総括になりましたが、読んでくださった方々ありがとうございました!また近いうちに連載もの書きます。

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