偶々の運命

「こんなに可愛いのに、こんな思いをしてるなんてかわいそう」

母に連れられ会わされた、母の同僚らしい人間はそう言った。
私に同情したような目を向けて、心からそう言っているようだった。
ここには、多感で人生経験の少ないまだ若い女の子が、とか、そんなような意味も込められていたのだと思うけれど、
とにかく気持ちが悪かった。

どうして、生身の人間を目の前に、その人生を美化して悦んで、挙句かわいそうなんて言葉が吐けるのだろう。

私の外面が他人の目にどう見えているかということと、
私の魂がなにを感じてどんな色や形をしているかということは
全く、なんの関係もない。

母は涙を流していた。"おたくの娘さんは優秀ね"と言われたときと同じような、どこか満たされたような顔をしながら。
心底気分が悪かった。

私が涙で消費される空間で、
その場の誰も、私のことを見ていなかった。

これは、戸田真琴著『そっちにいかないで』を通した私の、
どこまでも醜い自分語りの返歌である。



高校生の頃、時々軽い抑うつ状態に傾くことが既にあった。
母は私の心を訊ねることなく、「お願いだからいつものニコニコの○○ちゃんに戻って」と泣いた。

あぁここでは辛い顔や悲しい顔をしてはいけなくて、
私の感情がどうであろうと笑って元気に過ごして"あげて"いなくてはいけないのだと思った。
今思えば、私の心理的な安全性がここにはないことを、頭のどこかで悟ってしまったんだと思う。
私は、自分の話をしようとすると声が出なくなった、

そういえば中学生の頃、私の精神が軽い登校拒否を起こしたときも、
母は私と何も話すことなく、担任を呼んでいたな。
家まで来た担任は、私に明日は行きますと言わせて帰っていった。




私が感情を完全に自分から切り離してしまった頃。
あるとき母は、石を買ってきた。
パワーストーンみたいな、天然石とか、そういった高そうなやつ。
視える人に私の写真を見せたら、「この子、写真は笑っているのにずっと泣いているよ、」と言われたからだって。

すべてが可笑しくて苦しかった。
その人にだって私が泣いていることがわかるのに、ずっと過ごしてきた母親はなんにも気づかずその事実に衝撃を受けて石を買い与えてきたんだから。
((視えないものやスピリチュアルなものを否定する意図はないよ、私もオラクルカード好きだから))

それでも母は私が毎日何を考えて何を感じて何に泣いているのか、今日なにを思って過ごしたのか、私に尋ねようとはしなかった。
だから私も毎日毎日ばれないように泣いていた。

母が満足するようにその石を腕につけて過ごした私は、熱を出して
1週間以上40度近くの熱と頭痛諸々の症状に苦しんだ。本当にうける。
コロナかもしれないと思ったし、別にこのまま死んじゃえばいいなと思った、



だけど、親でも、私より長く生きた人間でも、私より人間のことを分かっているわけではないし、人間関係や愛のことを知っているわけではないのだろう、
私の家族として存在する彼らは、子どもとの、長女との向き合い方が分からなかったんだろうなと考えるようにしている。本当に、本当にそう思う。
けれど、そう考えることで自分の心に折り合いをつけて、考えないようにしている自分もいる。

ーー切るなら、机でも、皮膚でもなく、見えないものを切らないといけないんだ。
『そっちにいかないで』の帯に、こんなことが書かれていた。

私がタトゥーを入れようとしている理由が、この一文に詰まっていた。
その帯を見たとき、
この本を読み終えたら、私この文章を書こうと決めていた。


いつもの私に戻ってと泣かれたこと、

お医者に寂しいという感情が欠落していると言われたこと、

質の悪いカウンセラーに「素の自分なんて普通の人は考える必要すらない、初めに母親が認めてくれることなんだから」と言われたこと、

ここまでの文章を自分で書いていて、呆れて笑いが止まらなかったこと、

あの頃私がどんな気持ちで、ずっと深夜徘徊を続けていたか。


そんなもの、全部全部私のこれからのお守りにして、昇華して、
ここからしか見えなかった私の光を、ずっと大切にしていくために、
これからちゃんと私の魂を愛して生きていくために
私がちゃんと怯えず他人に愛を向けられるように、

小さくていいから、私の片割れを刻んでおきたいと思った。


なんて、ピアスも怖くて開けられないくせに、
そんな精神だけずっと持っている。



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