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無視された親友を親友と呼んで良いのか。

1ヶ月前のバレンタインデーに私は彼氏と別れた。
ずっと彼との関係性について相談していた親友に報告した。
私はドイツ。彼女は日本。

長い付き合いの私たちは未読スルーされても
通知からメッセージの内容を読んでいることを知っているから、
既読がつかなくても別になんとも思わない。

私は思ったことを息するように自分の考えや報告を
彼女のラインに送っていた。
Twitterのようなものだとお互い認識していたから、
話題をスルーされても気にしない。

でも既読が2週間以上つかなかった。
最後に電話した時将来について悩んでいると話していた。
彼女は日本の会社を辞めて海外へ行きたい。
でも親は安定を求めている。親のことは大切。
どこかで聞いたことあるような、
こんなことを言ったら非情だと思われるが
よくある悩みだと思った。
でもこの話題は多くの人が通るがとても重いものである。
秤に乗せた時どちらも地に着くまで落ちるだろう。
それくらい比べることができない悩みだ。

彼女は私の人生に憧れを持ってくれていた。
ただそれが彼女にプレッシャーを与えていた。
私がドイツ生活の楽しさを話し、人生の自由を語り、日本社会の息苦しさを
語れば語るほど彼女の自由になりたいという意志は強くなった。

ただ私は思ったことを息するように話していたから
それが彼女にとって最適でも日本人にとって正解でも、誰にとっての正義とも思っていない。
私の兄姉は一人は引きこもりだし、姉も正社員にはなりたくないという。
私の兄姉は精神病を抱えやすい。だから自分たちが生きやすい生き方が一番いいと思っている。何も、私が経験したこと考えたことが真実ではないのだ。我々の社会は良い悪いに分断されるほど冷たくない。

自分で自分の居心地良い場所を探すのだ。
別にこの考えだって
他人に自分の居場所を探してもらう
でも良いし、
居場所を見つけなくてもいいし、居場所なんてそもそも存在しないと考えたっていい。

モブサイコという作品は何者かになりたい男と普通に憧れる男の話だ。
これは私の考えの集大成と言って間違いない。
世の中は特別であれという、人と違う、個性のあるものであれという。
その言葉は良薬のように聞こえるがそんな魔法のようなものは存在しない。
誰かにとってその薬は副作用を伴う。

その考えが強くなればなるほど何者かになれないと感じた時、
絶望へと変わる。
その他大勢である自分を惨めに思う。

そんなことないのに。

世界に一つだけの花の歌詞。違和感を持ったことはないだろうか?
私は好きではない。

ナンバーワンにならなくてもいい。
もともと特別なオンリーワン。

こんな歌詞だったかな、ナンバーワンにならなくてもいい。
と否定した後のオンリーワンの言葉は強く身体中に響きわたる。

ただ、オンリーワンというならまだいい。
ナンバーワンと対比させているこの構図が
余計にオンリーワンへの嫌悪感を増幅させる。

まあ、いい。。
長くなったが、私の親友も同じような状況になってはいないかと心配だった。彼女の意志、選択で悩み苦しんでいるならそんな人生は素敵なことだ。
悩めることは幸せなことだ。

ただ、彼女は周りから影響されやすい。
ずっと彼女と過ごしていて、彼女は人にインスパイアされやすい
白色のように何色にも染まってしまう彼女は今、
絵の具を洗う水のように暗い茶色のようなよくわからない色になっている。

情報が多いこの現代は多くの人が自分がどうしたいのかわからなくなる。
私もそうだ。いまだにそうだと思う。

親友と連絡を取れなくなって1ヶ月。
死んではないかと心配だ。
彼女は昔、私は死ぬのは怖くない。
明日死んでもいいと思っている。
と話していた。

私は人生が苦しいから、叶えたい自分と程遠い自分に嫌気がさしていたから
死にたいと思っていた。生きたいから死にたいと思っていたけど
彼女は最初から生きたい気持ちがないと当時は語っていた。

今、悩んでいる彼女はどういった心境で生きているのだろうか。
悩みがあれば一番の相談相手だった私に何も言わなくなった。

彼女の細胞の一部のようだった私がいつの間にか悪性腫瘍に変わっていたのだろうか。

それを彼女が察したのか、一切連絡が取れなくなった。

彼女の生死に疑心を持ちながらインスタに既読がついていないか
彼女のDMを開こうとした。

彼女のプロフィール画像が黒く染まっていた。
wifiの回線が悪い私の家ではよくあることだ。
画像がうまく読み込めていないのだろうと、
wifiを切り彼女のアイコンをタップした。

User not found


消えていた。


彼女のインスタのDMにも電話をかけ、生存確認をしていた。
生きているならいいねだけ押して。何もメッセージはいらないからと。

それでも彼女はその中身を気づかずに、あるいは無視してアカウントを消した。

生きているか心配している親友のことはどうでもよかったのだろうか。
そんな親友を親友と呼んで良いのか。私は彼女との関係性に名前をつけられないでいる。

ただ、

生きていて本当によかった。


私が癌であるなら、それはそれでいい。
ただ、話を聞きたい。



来月バルセロナへ一人旅に行くんだ。
いつものように写真を送るね、美味しいご飯の画像また送るね


[追記] 2023/03/16
彼女はインスタのアカウントを消していなかった
私をブロックしていた。

どういった心境で私をブロックしたのか
少し想像してみた。
色々な可能性を探した。

だが、確信に変わった
私がガンだ。

私はもう何もすることはない。
もう学生じゃないんだから一言くらい。。
そんなことを送ったらガンを大きくするだけだ

私はラインのトークを非表示にした
もう何も感じないように、大きくならないように。





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