ゆたかさとは心のゆとりである

「ゆたかさとは」

大人なら誰しもが一度は真剣に考えたことのあるテーマだろう。

私自身、ここ4年と10ヶ月近く、ほぼ毎日のように考えている。

私が子供の頃、「ゆたかさとは、お金があることだ。」と、親や学校の先生からそう教えられた。バブル全盛期に小学生だった私にとって、お金があることこそ「ゆたか」なのだと考えることはごく当然だったし、そういう世の中だった。父は忠実なエリートサラリーマンで、私が起床する前に家を出て仕事へ行き、私が就寝した後に帰宅する生活を送り、平日に私や妹達と顔を合わせることはまず無かった。日々会社へ尽くし時間と労力を提供して報酬を得ることはその時代には当たり前のことで、世の中の能力ある立派な父親は、朝から晩まで会社に貢献し家族のためにお金を稼ぐと決まっていた時代だった。

私が小学6年生になると、父は転勤を命じられた。年頃の私を転校させては可哀想だという思いから、父は家族と離れて暮らす道を選択した。所謂、単身赴任というやつだ。父は青森へ移り、母と私と妹達は横浜に残った。母は、父が単身赴任になってからはいつも不安定だった。私は不穏な家庭を飛び出して夜遊びを繰り返し、家に帰らない日が増えていった。そんな状態が5年続いたある日、父は会社にこう言った。

「もう単身赴任は出来ません。家族のそばにいたいのです。」

父の出世の道は潰え、違う部署に追いやられ、土日も仕事に出なければならなくなった。これが会社という組織の現実なのだということを、私は高校生にして知った。

そんな家庭で育った私は、今から4年と10ヶ月前に夫を亡くした。子供二人を養うために、私は父の姿を思い出しながら必死に働いた。帰宅してから家事をこなしたら余裕で0時を過ぎる毎日。満員電車が唯一の自分の時間だった。それでも、そういう生活を疑問には思わなかった。

私の母はよく言っていた。「お金が無ければ幸せにはなれない」と。私は日々「これで子供達を幸せに出来ているはずだ」と自分に言い聞かせた。

ところがある日、私は体調を崩した。稼ぐために沢山の仕事を引き受けるようになってから一年も経たないうちに、突然一睡も出来なくなった。そして難聴になった。私は、父のようになれなかった自分を責めては、この先一人で子供達を養っていくプレッシャーに押し潰されそうになった。

そんなある夕飯時、娘が私のそばへ来て言った。

「ママが幸せならなんでもいいよ」

その時、久しぶりに自分の心と向き合った。自分は幸せなのだろうか…。そして思い出したのは、私が子供の頃の父の姿である。

私は、父が幸せに見えたことは一度たりとも無かった。そして気付いた。

心にゆとりがあり、幸せであることこそ、真のゆたかさなのだ。


私は今、仕事を減らし子供達や自分の心と向き合うようにしている。体調は少しずつ回復してきたようだ。

#ゆたかさって何だろう

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