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書くことに「なぜ?」はいらない。映画「フレンチディスパッチ」が最高だった【感想】

映画館ロビーに並んだフライヤーのなかで、ひときわ気になる存在だった「フレンチディスパッチ(THE HRENCH DISPATCH)」。

ティファニーブルーをくすませたようなグリーン地がきれいで、カラーとモノクロが入り混じった人物プリントが印象的。

蛇腹を広げてみると、フライヤーというよりはいっそ小さなアートブックと言っていいほどモダンでおしゃれなミニポスターが連なっている。

正直、このフライヤーの見た目だけで鑑賞を決めてしまって「どんな話?」かイマイチ分かっていなかった。てっきり人気雑誌編集部を主軸に添えたフランスのオムニバス映画(史実に基づく)と思い込んでいて、見終わってから「雑誌は架空」「アメリカ映画」と気づいて大分驚いた。

“フレンチディスパッチ”をどうにか入手できないものか本気で考えていたから、存在しないと分かったときの喪失感たるや…。

本作は、フランスの架空都市で発行される人気雑誌「フレンチディスパッチ」の名物編集長と個性あふれる記者(ライター)たちの物語だ。

名物編集長が急死してしまい(!)、彼の遺言に基づいて「フレンチディスパッチ」の廃刊が決定。私たち観客は、最後のフレンチディスパッチに掲載された、記者たち渾身の特集記事や文学作品を、オムニバス形式の映像で見ることになる。

そのストーリーのひとつで、ある記者が「あなたの記事は食をテーマにしたものが多いが、それはなぜ?」と質問を受けるシーンがある。

すると記者は「なぜ? という質問は不愉快だ」ときっぱり言い放つ。それからしぶしぶ、その質問に答えようとはするのだけど、いかにその記者が何かのために書いているのではなくて、自分が見たまま、あるいは感じたままを書いているだけなのだと思えて印象的だった。

名物編集長は、そんな才能あふれる記者たちにとことん甘い。文字数をはるかにオーバーしていても、特集テーマから内容が外れてしまっていても、記者たちが書き上げた文章に意見を言うことはあっても、否定はしない。広告を小さくしてでも、そのまま掲載しようとする。

大前提として、編集長は彼らの才能を買っているからであって、記者たちがやりたい放題のワガママ集団、というわけではないことを付け加えておく。そして現実の記者がそんなことをしようものなら一瞬でクビか、会社そのものが倒産してしまうだろう。

けれど、私はこの編集長と書き手の関係が、単なる絵空事ではないと思う。書きたいと思うすべての人の心に、この名物編集長を住まわせることが理想的だと思ったからだ。

「なぜ?」なんて関係ない。書きたいことを素直に書けばいい。のびのびと書けばいいのだと、編集長は書き手を静かに見守り、時に背中を押してくれる。そして彼らの個性は美しく光る。

私は編集部のラストシーンが特に好きだった。きっと素直に書きたい人たちが集まったら、自然とああなるのだろう。書くことに悩んだり、疲れたりしたら、フレンチディスパッチの編集長と個性溢れる記者たちのことを思い出したい。


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