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残り物は美味である。

うちではよくキムチ鍋をやるのだが、何がいいって〆のラーメンだ。食材の旨味をたっぷり吸い込んで、粘度高めの残り液に、絡ませるように麺を和えて食べる、あのしあわせ。〆ラーを食べるために、キムチ鍋をやっているといっても過言ではない。全てを吸って残った物は、美味しいに決まっているのだ。

先日、「この人のレシピなら」と信頼している和食料理人、笠原将弘氏の茹で鶏にチャレンジしてみた。鶏もも肉を沸騰したお湯で白くなるまで茹で、水で脂のぬめりを落としてから、昆布、しょうゆ、水と一緒に煮込むという、ちょっぴり手間のかかって、間違いなく美味しい一品。

茹で上がった茹で鶏は、ねぎ塩タレで頂いたのだか、タレなんかいらないくらい、ほっこり美味。「手のかかった味がする」と、彼からもお墨付きをもらった。

笠原氏いわく、残った出汁は雑炊にしたり、スープにしたりアレンジ活用できる。それなら炊き込みご飯なんていいんじゃないか? と思い立ち、米を炊く時の水を、1/2出汁に変えてみた。もちろん、我が土鍋ちゃんで炊きましたとも。

蒸し終わり、蓋を開けた時に広がる豊かな香り。(見える…!私には鶏肉が見える…!)幻視できるくらいの、鶏の存在感。ちなみにちょっと硬そうに見える粒はもち麦だ。

香りと色はしっかり出ているが、味は全くないわけではないし、おかずの邪魔をしてしまうくらいしょっぱくもない、いい塩梅。もう少し出汁の分量を増やして炊いてもいい気がするけど、私はこれと添え物でいただくほうが好き。

残っていたねぎ塩タレをちょこんとのっけて、実食。ちょっと苦くて、とろっとしたネギ塩と、お出汁の味がするご飯、めっちゃ合う。さいこう。

そして、残った出汁で作れる分だけ米を炊き、冷凍ストックしておいた残りの1個で、さらにアレンジ飯といこう。

塩鮭をフライパンで焼いて身をほぐし、骨と皮を取ったら、そこにコーン投入。全体に火が通ったら、バターを溶かし、ちょっとだけ液味噌。ブラックペッパーをがりがり。温め直したごはんと具材をボウルのなかで混ぜて器にもり、小葱を散らせば完成。

食べて、びっくり。うまいってもんじゃない。この中毒性のある旨味。かっかっかっ、とかきこむ箸が止まらない。やっぱり米のなかに、鶏が隠れているんだよな。

茹で鶏の時点でリピートありとは思っていたけど、私の心を射止めたのは、残った出汁でつくる混ぜご飯。茹で鶏から出汁ごはん、そして混ぜご飯へ…先は遠いがなんて美味しい道のりだ。

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