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25冊目のモーニングページを終えて

陽が登るのが遅くなってきて、光目覚まし時計を復活させる。

ベッドを抜け出してもまだ朝の気配はなく、キッチンの明かりをつける。カウンターごしに差し込むその光をたよりに、ダイニングテーブルでノートを開く。

2023年11月18日。25冊目のモーニングページがおわった。

前回はネット注文のタイミングが悪く、次のノートが届くまでに数日の中断があったけど、今回はすでに26冊目が待っている。

ノートの終わり、そしてはじまりのこのタイミングで、ちょっとした振り返りをしてみたい。

モーニングページの道具について

モーニングページ歴4年にして、ついに書く道具のマイベストが決まったなと思う。アピカのプレミアムCDノートと、エスターブルックの万年筆エスティ シーグラスだ。

ノートは書き終わってからラベリングする

ノートについては、以前のnoteでお気に入りとした紹介したアピカノート歴が長い。つるっとした紙質で、ペン先がひっかかることなくさらさら書ける。

ただ、1冊のノートを使いきるペースが早くて、直近の9冊は通常の約3倍のページ数をもつアピカプレミアムCDノート(=紳士なノート)にアップグレードした。ずっしり分厚く、毎日書くモーニングページにちょうどいい。

モーニングページを終えてからメンテナンスした日

24冊目の途中から万年筆を使いはじめた。誕生日に夫から買ってもらったエスターブルックのエスティ シーグラスだ。森を映す湖のような静謐さに一目惚れだった。

物としての価値とか、雰囲気が格好いいからとかではもちろんない。万年筆のよさは、筆圧をかけずとも流れるようにインクが出てくる書き心地だ。

ときどき、あまりにさらさらと書きすぎて自分でも読めないうねる線みたいな行間もあるけれど、手をとめずに「ただ書くために書く」「脳の排水をする」ためのモーニングページとは、とても相性がいいと思う。

書きっぱなしでいいのかな?

そしてこのごろ気になっているのが、「書きっぱなしにしがち」ということだ。週に1度、振り返りをしている時期もあったけど、その習慣は自然消滅してしまった。

脳のなかの掃除をするために吐き出したものを、わざわざ拾い上げるというのもおかしな話。けれど、書きっぱなしってどうなんだろう?

最近読んだ「書く瞑想」(古川武士/ダイヤモンド社)で、このモヤモヤを解決できそうな内容があった。書く瞑想、いわゆるジャーナリングを紹介した1冊で、「考えないで呼吸するように書く」という内容はモーニングページに通じるものがある。じっさい、本文のなかに「モーニングページ」という言葉も出てくる。

そして本書いわく、「書いたもの=自己理解の宝庫」であり、書きっぱなしは非常にもったいないという。

多くのジャーナリングを経験して達する限界は、書きっぱなしになってしまい、それ以上の自己対話が進まないということです。

「書く瞑想」(古川武士/ダイヤモンド社)

人の本質的な変化は、気づき(洞察と着想)から生まれます。 書きっぱなしでは、深い気づきに到達することができません。

「書く瞑想」(古川武士/ダイヤモンド社)

書きっぱなしにせず、月に1回は俯瞰して内容を整理し、そこから気づき・洞察を生み出すことで自己改善と自己発見は進みます。

「書く瞑想」(古川武士/ダイヤモンド社)

月に1度、ひとりカフェを開催しようと思う。時間は1時間。あらかじめ開催日を決めておいて、スケジュールに加えておくこと。

マストだけど義務ではなくて、楽しみのひとつとして予定していきたいな。


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