子どもでも大人でもなかったあの頃『ネバーランド』(恩田陸)
たぶん人生でいちばん読み返している、恩田陸の『ネバーランド』。年末年始に実家へは戻らず、寮への居残りを決めた男子高校生3人+1人(実家組)が束の間、大人たちから解放されたひとときを過ごす青春小説だ。
私が初めて本書を読んだのが高校生の時で、当時は描かれる主人公たちが同世代とは思えないくらい大人っぽくて、憧れに近い思いで好きだった。彼らより年上になって読むと、それぞれが抱えているもののしんどさに気がついて「まだ高校生なのに…」と苦しくなった。
読む年齢、気分で色んな見え方のする作品だ。寮の固定電話で恋人の連絡を受けるような時代背景で、そこには“ノスタルジックの魔術師”という異名にふさわしい恩田陸ワールドが広がっている。
30歳の5月、ふと気になって久しぶりに読んでみる。すると、高校生が酒飲み慣れすぎだろとおかしくなった。
「寛司、何やってんの?」
「熱燗の準備」
「俺、日本酒飲めないぜ」
「俺は好きなんだ。このくそ寒いのにビールじゃすぐ出ちまう」
単に悪ぶって酒飲んでる俺カッコいいとか、俺らしかいないしこっそり飲んじゃおうぜ! って友だち同士の悪ノリでもなくて、彼らは大人が日々の癒しを求めて晩酌するように、酒を飲んでいる。
「俺、どこかでビール買ってくる」
美国はかすれた声で言うと立ち上がった。
「俺も行く。統は?」
「俺、残るよ。ウィスキーを買ってきてくれ」
統は怒ったような声で答え、二人から顔を隠すように椅子に座り直した。
大人顔負けに、酒で気分を紛らそうとする彼らが抱えているもの。それは、まだ高校生である彼らにはどうしようもない質のものだ。大人たちの勝手に振り回されて、傷ついて、でもまだ自分が大人たちの面倒になるしかない年齢であることのもどかしさ、やるせなさ、みたいなもの。
例えば、熱燗好きで頼りがいのある寛司。離婚協議中の両親がどちらも親権を欲しがっていて、わざわざ帰省を避けた寛司のもとを訪れる。
なんともやるせないのが、4人だけの寮にズカズカと踏み込んでこようとした両親に激昂し、悔し涙さえ浮かべた寛司の想いが、やっぱりきちんとは大人に理解されないだろう、ということだ。
「嫌だな」
美国はぽつんと呟いた。光浩がテーブルの上に腕組みして尋ねる。
「何が」
「きっとさ、今ごろ寛司の両親は、『私たちの離婚がこんなに息子を傷つけてたなんて思いませんでした。あの子は昔からしっかりしてたから。でもやっぱりまだ思春期の子供だったんですね』なーんて言ってるんだぜ。(中略)そんなふうに勘違いするから、ますます寛司が腹を立てるんだ」
高校生の彼らは、どんなに大人っぽくても、世間では子どもだ。しかし不倫したり、離婚に子どもを巻き込んだり、そんな大人たちを相手にして、どうして子どものままでいられようか。
大人ではないけど、子どもでもない。
妙に青臭い気持ちになって、本を閉じる。色んな感情で胸がいっぱいになって、ヒリヒリとしていたあの時代、
確かに自分にもあったよなあ、と思い出す。
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