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疲れた頭にアガサを。非日常味わう「無実はさいなむ」感想

私が読書をする理由のひとつは、“ここ”ではないどこかへ行きたいからだ。実生活の喧騒や煩わしさからちょっと距離を置いて、心を平坦に物語を浴びたい。

そんな気分の時、うってつけの読書が本格ミステリだ。絢爛たる世界観はすぐ非日常へと誘ってくれるし、謎重視の様式美に溢れたストーリーが、生活に疲れた頭にはちょうどいい。

アガサ・クリスティーの「無実はさいなむ」は、彼女の小説で私が手にした6冊目のノンシリーズ。今まで読んできた作品、どれも甲乙つけがたい面白さだったけど、これは個人ベスト1位、2位を争う。なぜこんなに面白いのか、首をひねってしまうくらい大好きだ。

母殺しの罪で服役、獄中死した男が実は冤罪だった。しかし男の家族は喜ぶどころか動揺し、冤罪を証明した主人公に「もう終わったことだったのに!」と、全員が敵意をあらわす。男が冤罪だとすると、彼らの母(あるいは妻、雇い主)を殺した真犯人は家のなかにいて、のうのうと一緒に暮らし続けていたことになる。

なにが悲劇って、男の冤罪が明るみになったことで、無実の家族まで疑惑にさいなまれ、疑心暗鬼に陥っていくことだ。真犯人が名乗りをあげるはずはなく、すでに逮捕できるだけの証拠が出てくる見込みは薄い月日が経っている。

こんなあらすじを言うと、生活に疲れた頭に追い討ちじゃないかと思われるかもしれない。もちろん答えは、ノー。

思うにアガサ作品の魅力って、ミステリであると同時に滑稽なくらいシンプルな人間劇、ってことだ。

そりゃあミステリだから謎はあるけれど、フタを開けてみれば必然であって複雑さなんて一切ない。シンプルな愛、憎しみ、動機。まるで「人間とは」の答え合わせをしているみたいで、ある意味でモラルや裏表のない、登場人物たちの素直な反応は“ここ”とは大違いだ。

たとえば、自分のことを愛していると言いつつも「私は殺していない」という言葉を信じてくれないフィアンセがいたら? 自分にだけ愛情を向けてくれる妻以外の女性がいたら? ネタバレになるから多くは言えないが、こちらがごちゃごちゃ考えて思い煩わされる必要はなく、安心して物語に身を委ねてしまえばいい。

ちなみに個人ベスト1位、2位を争うもうひとつの作品は、呪いによる連続殺人がテーマの「蒼ざめた馬」。オカルティックなモチーフと、神父殺しからはじまる不穏な物語が私の好みに完全一致している。

「無実はさいなむ」は自分の好きと面白いが一致した作品で、おしゃれでいう「似合う」と「好き」が重なったみたいな奇跡的1冊。一方で「蒼ざめた馬」は、自分の「好き」が突き抜けた1冊で正直、どっちが上とか下とか…考えるだけ野暮だ。

ここはシンプルイズザベストなアガサワールドに習って、どっちも最高に好き! ってことで締め括ろう。


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