愛想が取り柄の私は「個人営業」を簡単には手放せなかった
こんにちは、西園寺えるです。
今日は、私が営業にしがみついていた理由。
まだ手放したとは言えないけど。
それは愛想がいいことが圧倒的に有利だから。
なぜならAIに愛想、感情はないから。
(最近は愛嬌はあるよね…)
文学部卒。営業するしかないと思った
就活時、AIに奪われない仕事はなんだろう、そのなかで私に出来ることはなんだろう、と考えた。
学歴と愛想を両方生かせる、大規模採用の金融機関の個人営業担当はピッタリだった。
当時はかなり愛想の良さとコミュ(障だらけの集団をまとめるためのコミュ)力が強かったので、自己分析は出来てはいたんだろうなあ。
他人軸で生きてたけど、他人からどう見られているかはしっかりわかっていた。
AIに取られない私の取り柄は?
さて。
noteを書き始めて、というか、
休職して、愛想を封印した生活をして思う。
AIに取られない私の取り柄は?
それは未来志向かもしれない。
豊かな感受性かもしれない。
無限に頭の中から出てくるアイデアかも。
新しい知識に触れて考え続ける力かも。
別に、愛想に頼らなくても、
私はAIに負けないのではないか?
負けないというか…
競合しないというか、逆に使いこなす事で日常の煩雑さに縛られず、眠れるクリエイティビティーをより解放できるのでは…?
武器を入れ替える
「愛想」や「可愛らしさ」という武器を捨てることで、より内面にフォーカスして、自己プロデュースできるようになるのではないか。
欲しい武器は、「表現力」。
文章だけで伝える力も、
文章をどう装飾して表現するかも、
コピーライター的な、魅力的なタイトルの表現法とかも。
人間にしか導き出せない表現力を磨きたいな。
それでは。
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