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【第2章】運命の薬との出会い

青森の大学生活

1997年春。

僕は青森で大学生になった。

遅い春だった。

都内の国公立大学も夢じゃなかったけど、僕はこちらの大学に進学するしかなかった。うつ病で偏差値がガタ落ちしたからだ。

体調もイマイチ。

・下痢

・突発性難聴、耳鳴り

・相変わらずのうつ症状

周りの人より、キツい大学生デビューとなった。

春の出会い(精神科編)

入学式を済ませ、僕がまず始めたことは、病院探しだった。

病院を探さないことには始まらない。薬にも限りがあるからだ。

何箇所か探したけど、僕が出会った診療所は、1箇所だけ。

60歳くらいのおじいちゃんが経営する診療所だった。

「じゃ、薬はこちらに変えましょう」

こう言われ、僕の薬(デパス)は「粉薬」に変えられた。

ここでは素直に先生の意見を聞くほかなかった。

春の出会い(友達編)

意外なことだけど、僕は青森で良い友達にも恵まれた。

茨城ではいじめられてばかりだったけど、普段つるむ友達が4人も出来たのだ。

他にも友達以上、知人未満の人がたくさん!

僕は何だか嬉しかった。

それとは裏腹に日々の体調は悪かった。

薬が粉薬に変わったからだ。

耳が聞こえなくなったり、身体がピリピリ痒かったり。

医者はその都度「薬の配合」を変えてくれたが、ほとんど効き目はなかった。

なかなか人生、うまくいかないものだ。

崩れ落ちるユートピアと運命の薬との出会い

季節も5月が来て6月が来る頃、物事に変化が生じ始めた。

大学の授業が僕向きじゃなかったのだ。

僕は、経営・経済学部に入学したのだけれども、それが全くつまらなかった。やりたい学問じゃなかった。

それと時を同じくして体調も悪化した。

度重なる難聴、再発するうつ。

耳が突然、聞こえなくなったり、身体がピリピリ痒かったり。

おかしな症状が続いた。

もうダメかな…と思いかけた時、大学と病気、両方に救世主が現れた。

つまり物事が好転し始めたのだ。

まず大学は、退学して良いことになった。親からお許しが出たのだ。

「大学辞めたい」

「それもいいんじゃない?」

あっけない結末だった。

「えっ?それだけ?」という感じだったけど、本当にそれだけだった。

それから薬の方も、思いがけず良い薬に出会えることになった。

それが

・ソラナックス

・リーゼ

・ドグマチール

という黄金の薬だった。

こちらも一度、錠剤に変えてみましょうか…という先生からの提案。こちらも意外な結末だった。

運命の出会い(薬編)

家に帰って飲んでみると、僕はひどい眠気に襲われた。

夕方から「グーグー」。

でもこれが青森での生活のハッピーエンドだった。

なぜなら1夜にして病気が回復してしまったから。

翌日からは難聴もうつも、なぜか消えていた。

こんなことがあるんだ!!という不思議な感覚だった。

その代わり僕はたくさんの物を手放した。

・大学の友達

・退学という学歴

・入学費用、引越し費用

しかし僕は約1年間悩まされたうつ病とオサラバ出来た。

表裏一体の結末だった。

(第二章へ続く)

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