結果主義と過程主義

世の中には結果が全てという結果主義と、結果よりも過程を大切にしろという過程主義がある。結果主義においては過程はどうでもいい。結果が良ければどれだけ他人に迷惑をかけようとも、自分を痛めつけようとも別に問題ない。結果の為にアル中になろうとも薬物依存になろうとも、周りの人間から嫌われて孤独になろうとも目的が達成されればそれらの過程は正当化される。

一方で過程主義においては、結果が出なくても、それがどれだけ自分にとって悪いものでも、過程において他人に迷惑をかけない、自分を労る、不正をしないことが善とされる。

例えば1億円を稼ぐという目標を掲げた際、結果主義にコミットすれば詐欺も覚醒剤使用も睡眠時間をどれだけ削ることも正当化される。そして結果を出すのは早ければ早いほど良い。一方で、過程主義にコミットすれば、たとえ一億稼ぐのに50年掛かっても詐欺や窃盗といった犯罪に走ることもなく、自分を労り健康的な生活を送りながら行動することが推奨される。それこそ結果が達成出来なくとも、他人を傷付けることも自分を痛め付けることもしなければそれは良い過程を選択していたので善となる。たとえ結果が達成出来なくとも。しかし、結果が達成出来ないのであれば、初めから目標を建てることが無意味になってしまう。結果を求めない目標を建てるとは、一体何なのだろう。人は目標を達成したいから目標を建てるのであり、結果を指向しない努力というものは何か矛盾を感じる。結果のためなら犯罪行為も辞さないという結果主義の問題点は多くの人が認識しているが、目標を掲げ努力するなかで結果などどうでもいいという過程主義にも問題が潜んでいる。結果主義は結果のために過程を疎かにし、過程主義は過程のために結果を疎かにしている。両者には他方を疎かにしているという共通点がある。であるならば、結果主義同様、過程主義にも改善の余地があるはずだ。そして、この記事で両者の共通点が見出された。このことからこの二つは同じものであり、止揚されるべきものだと私は考える。


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