見出し画像

複業の報酬について考えてみた

労働から抜け出したい!

複業で報酬を頂くことを考えた時に、いくらに設定するか、とても悩みます。もちろん相手のある事で、一人で決められるものではないものの、自分の中で基準をもっておくことの大切さを、今ヒシヒシと感じています。

前の外資系の会社では、基本的に働く時間は自由なので、成果に対して報酬が決まっているような感覚がありました。
(とはいえ、業務量がハンパないので、実質は拘束時間も長く、時給換算したら、、、涙)

一方、今の日系の会社は、労働時間に対して報酬が決まっている感覚があり、その中身の濃さが反映される感じがありません。もちろん時間あたりの単価は、その人のスキル等に応じて違いがあるけれど、労働時間が減れば、比例して減る、、、という構図。

当たり前と言えば当たり前だけど、業務量が比例して減るかというのはかなり疑問で、中身や密度より、結局「何時間コミットするのか」で決まってしまうのです。

でも、複業においては、労働時間で報酬を考えることに、どうしても違和感を感じる自分がいます。

それは、ライフスタイルを変えたいから。

平日5日間 × 8時間 の労働時間はそもそも前提としたくない・・・
それだけ働く前提なら、フルに会社員として黙々と働いていた方が割に合うかもしれない。
まぁ、この「黙々と」というところに込められた本音は、こちらの投稿に書いた通りで、平日5日間 × 8時間をそういった仕事に費やすのは辛い・・・

大げさかもしれないけれど、淡々と「ただやるだけ」という血が通っていない時間の使い方は、人生後半戦では避けたいのです(これ、かなり本気)。

本業の仕事が嫌いなわけではないけれど、四六時中やっていたいか?と言われると、土日なんかには、もちろんやりたいとは思わないし、
平日5日間 × 8時間を費やすことは、「報酬=我慢料」的な解釈が自分の中に出来上がっちゃうには十分な拘束時間なのです。

わたしの労働単価って??

逆に、何時間位であれば、「報酬=我慢料」と思わずにいられるのか??

でも、これ、拘束時間で決まるわけではないような気がする・・・

というのも、複業に関わることは、あまり仕事を仕事と思わない感覚があって、土日であろうと夜であろうと、考えていることが楽しいから、拘束時間という感覚にならずにできちゃう感覚があります。

でも、一方でそれを労働時間として報酬の対象とするのも、なんか違う気がする・・・

報酬の対象にした瞬間、時間で拘束された感が出てしまうジレンマが、、、

そして、当然、労働時間で報酬を考えたら、今までの収入を減らさないようにするには、同じだけの労働時間が必要になってしまう・・・
もちろん、単価設定を高く出すという方法はあるけれど、自分の時間単価がいくらが妥当か?ってすごく難しい、、、。

特に、私は管理部門だったので、お客様に工数 × 単価でお金を頂くようなことはしてこなかったので、給与を労働時間で割る方法しか時間単価がわからないのです。

結局、時間を切り売りする発想にしかならなくなってしまうのが、自分の中で残念ポイントです ><

仕事観を変えていく!

これじゃ、ライフスタイルを変えられない~~~

本当は、遊ぶように暮らしたい!遊ぶように仕事して、仕事を仕事と思わずにライフワークにしたい!

「THE 仕事時間」の理想は、今の半分かな。
それで、報酬も大きく下げたくないわけだから、「労働」ではなく、「経営」マインドが必要なのかもしれない・・・

自分で自分のライフスタイルを実現できるような稼ぎ方を作っていかなくてはいけないということですね!

こうして、複業を通して、実際に自分が個人事業主として対価を頂くことに対峙してはじめて、自分が会社員マインドから抜けられていないことを実感するのです。

でも、それも含めて面白い気づきだし、一歩踏み出して見えてきたこと。
楽しんでいくぞぉ~!

『exit 消耗ループ=消耗ループから抜け出して軽やかに生きていく!』

消耗ループ:私自身が体験した「無自覚に煽られ、駆り立てられ、走り続けるエンドレスな消耗感」
実は、これは、「私自身の思い込みが作り出していたループ」だとわかり、、、
このループから抜け出すために、私自身の実験・実践禄としてnoteで綴っています!

最後までお読みいただきありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?