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ことばを使いこなすという言語力

8月25日に手話スピーチコンテストが行われ、福島の柏原力樹さんが優勝したという記事を読んだ。

そして、https://note.mu/take/n/ncfd170c05fec

こちらのnoteを読んで、「言語力」とは何だろうと、ふと考えた。
もちろん、これまでも言語力については色々考え、子どもたちの言語力を伸ばすためにできることも考えて続けている。
聴覚障害児は基本的には音声情報の入力が制限されるため、言語を獲得することが困難なため、聴覚障害児療育や教育における最大の目的は「日本語の習得」と言っても過言ではない現状がある。

ただ、多くの療育・教育担当者が想定する「言語力」に私は違和感を感じることがある。

言語力とはなにか?

文部科学省では、言語力を以下のよう解釈している。

知識と経験、論理的思考、感性・情緒等を基盤として、自らの考えを深め、他者とコミュニケーションを行うために言語を運用するのに必要な能力

こうであるとするならば、言語力とは、深く思考する、自分のアイディアを掘り下げていく、自分らしく社会と交わるためのものであると思うのだ。

決して「音声言語でしゃべれること」「文法的に正しい文章が書けること」のみが言語力ではない。
もちろん、社会と適切に交わるためには相手に「ことば」という共通の記号を文法的に正しく用いるということは、自分の内にある考えやイメージを相手と共有するために前提となるものではある。

文章が正しければそれでいいのか?

しかし、正しい文章を書ける、言えることを目的とするのは、少し違うと私は考えている。

重要なことは、正しいとされる文章を書いたり言えたりする力を用いて「何を考え、伝えるか」なのではないだろうか。

外の世界からの情報を取り込み、整理し、考えを深め、社会と共有する。
書けたり言えたりすることは、共有する過程を支える一部にすぎず、すべてではない。

自分の中に生まれた感情に「ことば」という服を着せて歩かせてみる。
そこには、表情・目線・身振りなど様々なアクセサリーがあって然るべきでもあるだろう。

ふと浮かんだイメージはそんな感じだ。
この私の中に生まれたイメージだって、私が持っていることばを使って皆さんに伝えることができる。
けれど、これが絵であってもいいわけである。
ただ、絵にするためには自分の中でことばを用いて思考する必要がある。

たとえ目に見える形ではなくても、どこかに「ことば」は息づいているのではないだろうか。

それこそが本質的な言語力だと思う。
手話スピーチコンテストの記事は、そんな考えを深める機会を私に与えてくれた。





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