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感想をもらうのが苦手な私が全力で喜ぶために心掛けていること

趣味で小説を書いているあやしななせと申します。
底辺をペロペロしているweb小説家で、普段はエブリスタで活動しています。

さて、webで小説を公開しているとありがたいことにたまに感想をいただけることがあります。ファンの方から頂ける感想は私にとっての励みであり喜びの源です。
作品の○○の部分が良かったとか、感動して泣きましたとか、文章が読みやすかったとか、悪意がないものならどんな感想でも嬉しいですし、読んでいただけること自体幸せなことだと思うタイプです。

ですが私はこの感想を読むという行為が苦手で、毎回緊張しながら拝読しています。

短文だろうが長文だろうが毎回こんな顔して読んでいます。

しかも、感想の存在に気付いてもすぐ読めません。
Twitterや小説サイトから「感想が来た」という通知が来てから最低1時間くらい置いてからみます。

これは、これからは感想をくれるなとか、書くなとか、作品を読むなという話では決してありません。
私は貪欲に感想を求めています。
自己顕示欲と承認欲求の塊です。
小説を投稿した後はページビューをガン見して見張っています。
なんなら「いつも小説を読んでくれる○○さんから何のリアクションもない!😭」と1人で咽び泣いています(近所迷惑だね)
こんな承認欲求の塊なのに、感想に対しては毎回目を細めるプーさんになってしまいます。変な女だね。

通常は感想をいただけるのは嬉しいことのはずですよね。それなのに感想を読むのが苦手という意識の裏には「酷評されていたらどうしよう……」という不安があるのだと思います。
さらに私の場合ですが、その内容が絶賛するものであると分かった後でも、2度目を読むのには少しのためらいがあります。理由は「褒めれられていて嬉しいけどこれは本心だろうか」という疑心暗鬼があるからだと思います。

この「感想苦手問題」、恐らく「褒められるのが苦手」と似た心理状態ではないかと私は考えています。
褒められるのが苦手、な方の特徴をいくつかあげると

①自己肯定感が低い
②褒められるために無理をした過去がある
③褒められたことで傷付いた過去がある
④あまのじゃくな性格

https://woman.mynavi.jp/article/230614-16/


があるそうです。私の場合は、①、③が原因かな…。

①の自己肯定感の低さについては自覚があります。
幼少期から『私なんか・・・・褒めてもらえるはずがない』と心のどこかで諦めています。

こうなったのは多分ですけど、幼少期に褒めてもらった記憶があんまりないからじゃないかなと。
叱られることの多い子供だったし、構ってほしくても親が多忙で構ってもらえない事も多く、願い事もほぼ叶わない(例:誕生日プレゼントにリクエストしたものは貰えない)などの積み重ねがあったからだと思います。
そして「望みどおりにならないのは私が素晴らしい人間ではないからだ」と思い込むようになり、自分が褒めてもらえるはずがないという呪いがかかったからと推測します。

これについては先に言っておきますが私は親を恨んではいません。
そりゃ、子供なんだからもう少し良いように扱ってくれても良かったんじゃない?という気持ちは1つや2つありますが、親にも事情があっただろうし(お金や心の余裕など)、今さら恨み言を伝えたところで何も解決しないので、自分の中では整理をつけた話です。
大体、毎日3食食べさせてくれた上に大学まで出してもらえただけで感謝してもしつくせません。それだけは断言できます。

しかしあまり褒めてくれなかったというのも事実。自己肯定感の低さがそれを物語っている。
自己肯定感の低さは、自分への称賛を受け止めるさいの障害となります。


③の「褒められたことで傷付いた過去」についてですが、少し話は本筋からずれますが「良いことがあっても自慢するな」と親からきつく言いつけられてきたのが原因じゃないかと思います。
これは、「人の妬み・嫉みは恐ろしいので慎ましくいなさい」という親なりの【自分を守るための教え】であり、優しさだったと思うのですが、私の場合はそれが裏目に出て、
「嬉しいことは素直に喜んではいけない」と歪んだ解釈をしたまま成長したせいのように思います。一種の呪いを自分にかけてしまったんでしょう。


また①~④のどれにもカテゴライズされていないのですし、本当に性格が悪い話なのですが
・自分が褒め言葉を軽々しく口にすることがあるから
というのが「褒め」を素直に受け止められない一番の要因だと思います。
褒められたということは、何か裏があるな?と勘ぐってしまいます。

私は社交辞令で褒める場合、口から思ってもいない誉め言葉がぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん出てきます。
もちろんこれは社会で生きるために必要な社交術でありスキルです。でも、これが【褒められたら素直に喜べない問題】の一番の妨げになっていると思います。
社交辞令で褒める理由は簡単です。
嫌われたくないからです。そう思うと①の自己肯定の低さと似ています。
そして私は、自分がそうだから、みんな同じように社交辞令で褒めあっていると思い込み縛り付けているのです。

まとめますと
・自己肯定感が低い
・褒められたことで傷付いた過去
・自分が社交辞令を言いすぎるから、みんな同じように考えているはずと思い込んでいる
以上3つが私の素直に褒めを受け止められない困ったちゃんの性格を生み出しています。



さてここから本題です。
これらを踏まえて「感想をもらうのが苦手な私が全力で喜ぶ」ためにやっている事を羅列してみます。

感想をもらうのが苦手な私が全力で喜ぶために心掛けている3つのこと

対策1.言葉を素直に受け止める。
これが一番ですね。「○○がよかったよ!」と言われれば「○○が良かったんだ!」ときちんと自分に言い聞かせてあげる事です。
たったそれだけ。簡単だね😉
この話は終わりだね。~fin~

……いやそれができねえんだよ!!!!!!

だって自己肯定感が低いから!!!!!!!


くぅ~どうして言葉を素直に受け止めるためにこんなにエネルギーを使う人生を送っているんだ私は!
簡単なことじゃないか!Aという言葉をAとして受け止めるだけ!
なのに私は肯定的な気持ちにマイナスの掛け算して、わざわざ否定しているのです。一種の自傷行為だね!
勝手に言葉の裏を読んで、勝手に悲しんで、勝手に損をしているのです。
なんてばからしい!オラそんなのは嫌だ!

ということで、こういう時私は
「私ちゃんの小説褒めてもらってるよぉ♥うれしいねぇ♥」
と自分に言い聞かせるようにしています。
正確には、「イマジナリーフレンド的な自分を作り、その子を褒める」ようにしています。
褒められたのは私じゃなくて、自分が生み出したイマジナリー自分だということにして、褒められたことをその子にきちんと教えてあげるのです。
褒められているのは褒められる用に作り出した仮の自分ですからいくら褒められても当たり前だと受け止めるようにするのです。
するとあら不思議。少し褒められることへの拒否感がましになります。ほんの少し素直に受け止められるようになる、気がします。
真似する場合は変にこじれない様に気をつけてくださいね。褒められてるのは本人だからね。


対策2.社交辞令の使い過ぎを止める
正確には「軽々しく社交辞令で褒めない」ということです。
これは、他人を全く褒めず、孤立して作品を制作しなさいという意味ではなくて、相手を尊重しすぎないということです。きっと「え?どゆこと?」と思う方もいるでしょうが、癖になってる人からするとこれがなかなか難しいんです。
「嫌われるのが嫌」というのは一種の生存本能です。そう簡単には拭い去れません。

ですが私のように社交辞令を使いすぎるせいで褒めが苦手な人は
「相手に何か言わなきゃいけない」
「相手も義務感で話している」
という意識を一度捨てる必要があると思います。つまり他者とのコミュニケーション方法に若干の欠陥があるのです。
そう言う場合、無理に褒めない自己訓練をして、素直になる必要があります。

例えばAさんの作品について感想を述べるタイミングがあったとします。そして作中で10個お気に入りの場面があったとします。
社交辞令が癖になっていると無理やりひねりだした11個目を褒めとして使うようになります。10個だけ褒めてりゃいいところを11個目を無理やり作り出そうとするのです。
するとどんどん、「他人も11個目を使っているはずだ」と無意識に思い込むようになります。

でも本当は11個目なんて言わなくていいのです。無理やりひねり出した褒めはAさんもきっとそれとなく気付きますし、本人も嘘をついているようで苦しいと思うようになります。
素直な気持ちだけを述べるようにするのです。そうならないために無理に褒めない自己訓練をする必要があります。

訓練内容ですが、例えばお気に入りの10個全てを感想には取り上げず、一番気に入っている1つを取り出して褒めるのが良いと思います。
10個全てを本当に気に入っているとしても、大量の褒めを言葉にするうちに、自分が無理をしているような感覚に陥りやすくなります。つまり褒めるために疲労するのです。
避けるために褒めの数を少なくしましょう。そしてその1つに熱意を込めて褒めるのです。
Aさんの作品の特にここが好きだ!ということを、素直に、実直に褒めましょう。あれもこれも褒めなきゃ、という意識を持ったまま相手を褒めると知らず知らずのうちに人は疲弊します。それを避けるために褒めを最小限にしてしまうのです。


3.褒めの本質を思い出す
一番重要なポイントなのですが、実はAさんの作品を読んだところで「感想を伝える義務」なんてこの世にはありません。
そう。感想って実は言わなくったって全然大丈夫なんです。えぇー!?マジ?って思わん?感想ってほんまは言わんくてもいいねん。(急な関西弁)
抑えきれない感情を綴ったものが本来のファンレターや感想であり、褒めです。義務感からではありません。自発的なものです。

ファンレターや感想を相手に送るという行為は「感動したことを相手に伝えたい」という純粋な気持ちが原動力になっているということを思い出す必要があります。
映画や音楽に感動して泣いた瞬間、そこには裏の気持ちなんてないはずです。純粋な感動のみがこの世に実在することを思い出してください。
そして自分が本当に感動したことをAさんに伝えてみてください。Aさんはその1つの褒めだってきっと喜んでくれます。

そして自分が貰った感想が本来「その人がわざわざ書かなくても良かったもの」だったことも思い出しましょう。
別に、小説でも漫画でも何でも、読んだら読んだでそれきりでいいんです。
日本が誇る「ワンピース」や「名探偵コナン」でさえ、作者にわざわざファンレターを送る人がこの世に何人いるでしょうか?
最新作を読んでTwitterなどに感想を書く人が、読者の何割を占めるのでしょうか?私はきっとそんな人たちは物凄く少ないと思います。

名作でさえそんななのに、それでもその人は貴重な時間を割いて、感想をくれたのです。
「褒めなくてもいい」し「話題にあげなくてもいい」のに、です。
褒めの本質を見失っていると他人からの純粋な気持ちを見失いがちです。
いただいた感想にネガティブな気持ちを抱くのなんてもったいないですし、何より相手に失礼です。
相手の言葉を素直に受け止めて、感謝することが褒め、感想苦手民にはもっと必要なのだと思います。


まとめ
ここまで長々と述べましたが、私はいまだに感想を読むのが苦手です。
一朝一夕で治る物ではありません。
また他の理由で感想を貰うのが苦手な方もいるでしょう。その場合は上記のことは全く当てはまらないと思います。それなのにここまで読んでくれた方いらっしゃったらマジで感謝です。

また耳障りの良いことばかり書きましたが、無理やりひねり出した感想というのがこの世に実在するのも事実だと思います。社交辞令感想や「お前を褒めたんだから俺も褒めろ」というやらしい気持ちが透けた感想は実在しますしこれから一生消滅することもないと思います。

そういう褒めや感想を貰った時はね、うふふありがとうと愛想笑いだけして、適当に返事するか無視しましょう。
真面目に相手する義務はありません。傷付く必要もありません。

フリーレンのようにこう思いましょう。
社交辞令感想は、獲物をおびき寄せるために発せられた魔物の言葉だと。割り切ってしまえば随分気が楽だと思いますよ。


もしこのnoteに心底同意してくださる方がいたとすれば私は絶対に
「今日から超ポジティブになっちゃお⭐」
なんてこと言いません。
だって根っからの自己肯定感低低人間は絶対に自己肯定感高高人間にはなれないですもん。心に空いた穴は簡単に埋められるものではありません。
それでも「自己肯定感低すぎるうえにかまってちゃんだけど、それも含めて自分だよね」だと割り切って、そのままの自分を一度愛したまま自己研鑽を続ければ、ちょっとは感想や褒めを貰っても身構えなくなるかもしれません。

そしてこれも大事なことなのでもう一度言うのですが…

私は感想めちゃくちゃほしいタイプの人間だから、このnoteを見ても遠慮なんかせず、めっちゃ感想書いてほしいです!!!!いつでも何度でも感想はください!!!!!これ私の小説がまとまってるページですhttps://estar.jp/users/519129485!!!!!ちなみに私は「あ゛っ!」から100の感情を読み取ることができますよろしくお願いします!!!!!あと私が書いた感想に社交辞令はないです!ガチです!!よろしく!!!!!!!!!!!!

褒められたことに対して、素直に嬉しいと思える人がちょっとでも増えますように。


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