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毅然と振舞うから、尊敬で繋がる人間関係ができる

初めから違和感はあった。「この歓迎会はなんだろう?」心に感じる何かを見ないふりして愛想笑いを振りまいた。きっと段々良くなるはずと考えることにした。他人の気持ちはコントロールできないから。
しかし時とともにコントロールできないものが多くを巻いて巨大化していった。
支配者の感情は、感染する。1人の「面白くない」がみんなの「面白くない」になり、それがチーム力を高めていった。
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面接の時「特にコンプライアンスをやって欲しい。」「そうゆう考え方ならこの会社で何をやっても良い。」「職歴書を2回読んだ。自信があるとよくわかる。」
そう話してもらいトントン拍子に進んだ。

「ここなら自分の能力が発揮できる」と心から嬉しかった。他をお断りして迷うことなく決めた。
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コンプライアンス業務は3つのステップを踏むことにした。
「①知る→②考える→③実践する」
教育資料が完成し、社内規定、ガイドラインの作成、役員への説明。
順風満帆に進むほど息苦しくなる事態が起こる、まさに鬼瞰之禍。
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証券会社からの私宛の電話は全て「不在にしています。」目の前にいてそれである。

挨拶は返ってこない。

お土産飛ばし。

トイレについて来ては見張られる。

文具の使用禁止。

いつ何をされたか記録することにした。
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一般職の女性3人は元々仲が悪かった。
社長秘書の子が工場長の娘をいじめて出社できなくしたところで、
子会社社長夫人のおばさんを入れ工場長の娘側に付かせた。

そんな3人をまとめたのが、女性初の総合職と目立った私への嫌がらせだった。

面接の時、3人が縁故採用で動かせない絶妙な関係との説明が欲しかった。口が軽い同僚の話を聞いたとき、私は既に渦中のど真ん中だった。なんとも泣けてくる。
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いじめられていた工場長の娘が、私の使っている自費購入のクリアファイルを、
会社の物を勝手に使い込んだとでっち上げたとき、決意した。

他部署の人が、社長秘書に茶碗洗をさせられている私をみて「部長に話しなよ、俺から言おうか?」と背中を押してくれた。
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誰にいつ何をされたかのメモをそのまま部長にメールした。感情入れず担々と事実のみを言う。

部長からは「なにか言われた?彼女たち、仕事がないの。結婚するまでとの条件で社長や工場長からお預かりしているから。」との返答だった。
渾身のメールは、泡のように消えた。

「誠に恐れ入りますが、それでは当方から直接、お話しさせていただくことをご了承願います。」
役員から文句無しのご承認を頂いたコンプライアンスのルールに沿って「実践する」ことにした。
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その日の朝、言うのは今日だとわかった。
何度も後輩と練習した話し方を頭の中でシュミレーションする。

秋葉原駅での乗り換えのとき、ふと「会社辞めたら」との言葉が過ぎった。
しかし、私はもう逃げる生き方はしない。なぜなら自分が変わらないと同じ困難が繰り返されるから。
何より、みんなと仲良く働きたかった。
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電車の遅延で遅刻した。出社時には、無論変わらず挨拶はない。それでも踏み出したい。

そこで深呼吸し、
「千○さん、電話を回してくれない、無視をするのはなぜでしょうか?」
率直に聞いてみた。
回答は、「あなたは、私と話す権利はない」とのことだった。

この人は、自分が社長秘書ではなく社長だと思っている、だから、許されると思っていたのだ。よくわかった。
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私との会話の後、まわりが彼女に飲まれるのを目の当たりにした。
口の軽い同僚は「千○さんに歯向かわないように」。
背中を押してくれた男性は、そっぽ向いた。

人って八方美人何だと思った。
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手のひらが返され何もなかったことにされそうになったのを、部長に送ったメールが助けた。

部長がそのメールを管理職の男性陣に見せ、事情説明をしてくれたのだ。
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しかし、女性3人の嫌がらせはとどまることを知らず、ヒートアップした。
彼女らは、自分らが注意されたのは面白くない、意地悪は正しいとヤケになった。

その状況が変わったのは、40代男性が異動してきてからのこと。標的が代わったのだ。
彼は私の異動によって業務を引き継ぐはずだったが、数週間でメンタルになり、退職した。
彼のメンタルからの退職が、私へのいじめを立証する形になったがそれは彼女らを強くするもの以外何ものでもなかった。
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彼が退職したところを見ると、
私も言わなかったら同じ様にメンタルをやられていたのがよくわかる。
口の軽い同僚も、「彼女らの嫌がらせを我慢したらメンタルになるけど我慢して」と言っていた。

結局、言っても言わなくとも彼女らから嫌がらせはなくならない。

しかし、自分はとても大きくなったと思う。ウジウジしていた頃は、周りから見てもうざったかっただろう。だから「代わりに言おうか」なんて心の隙に入り込みたい人が寄ってきたのだ。

私が屈することなく毅然と本人たちに話したことは、複数の役員に評価され、未だに一目置かれる。
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言った相手は変わらないし、それで良いと思う。
「嫌がらせを辞めて」と話す理由は、
自分が悪意を引き受けない自分として舐められず生きていくかどうかである。本人たちに通じないし通じる必要はない。それをみていた人がついて来てくれ、居場所ができ、結果、自分のあるべき場所で仕事するために言うのだ。
そしてその居場所は、いじめや悪口で繋がっているところではない。尊敬と感謝で繋がっているかけがえのない前向きな関係である。
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時は流れる。
あの時、部長からの状況説明を受けた管理職の男性の一人が次の標的になり席を離された。
更に、後入り役員も標的になり辞任した。

人は行き着くべきところへ行き着く。
嘲笑で繋がった女性陣の末路は決まっている。

私は勇気を手に入れ、今は最も尊敬する役員と二人で働くことができている。踏み出した先には、もう彼女らに心を侵食された私はいない。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)