結論を押し付けてはいけない
約20年、15歳から親しくしていた友人から結婚式ドタキャンのLINEが挙式の2日前に届く。私には、
「ドタキャンするけど、お祝儀払えばよいよね。」
と読めるメッセージに、結婚式に穴を開けることの悲しみを彼女は分かっていないのかと怒りが湧き上がる。抑えられない感情をコントロールするために、この先のやり取りは夫に頼むことにした。
「司会者にもあなたとの思い出エピソードを頼んでいる。プロフィールやエンドロールなども準備しており、困るよ。だから彼女が信頼する相手を代わりの方として呼んで欲しい。夫と相談して下さい。」
と。
それからLINEを非通知にし、これまでの彼女との関係を思い出す。毎日一緒に学校に通って、毎年誕生日を祝うこと20年。呼ぶほどにお金がかかる会場での挙式のため、新婦側の友人枠は5人しかなかったが、彼女を呼ぶことに迷いはなかった。それが直前に、電話の1つもなくLINEで簡単に、一方的なキャンセルの連絡。私が築き上げてきたものは、お金で代替可能なチープなものだったと思うと、情けなくなる。
……………
彼女の言い分も分かる。しかし、LINEから始まった逃げ腰のキャンセルは、どんどん歯車が噛み合わなくなる。
「業者呼ぶのは?」
との彼女からのメッセージで、私は携帯電話の電源を切った。
このやり取りに対し、夫が
「仕方ない。」
と私に告げると、悔しさと悲しみは止まらなくなる。それは夫にも向かった。
「それなら私も挙式には参加しない。」
と、言って、別居婚をしている私自身の自宅に籠もった。もはや結婚式のリハーサルが出来る環境ではなくなった。
もっとも、その後、義母が夫に、
挙式のキャンセルは何があってもやってはいけない悲しいこと、
義弟の挙式でキャンセルが出て新郎新婦がキレて大変だったこと、
だから今回の挙式には親族側からはいとこを補欠として準備していたこと
の説明があり、理解した夫と、滞りなく披露宴を迎えるには至った。
………………
全てのプログラムが終わった今、彼女のことを思い返す。結局、披露宴に来てくれはしたが、まるで2人の関係はここまでかのような雰囲気に入場の時から涙が収まらなかった。
今でも、挙式のドタキャンが正しいことか否かは私には分からない。私個人としては、ドタキャンは如何なる場面でも許されないとは思うが、それは常識か否かは判断しかねる。もしかすると自分が我慢しさえすればよいことだったかもしれない。
しかし、私はよりすぐりのメンバーで迎える挙式において、それは出来なかった。
ただ間違えなく誤りだったのは、話をするために彼女の下に行かなかったことだろう。同じ都内にいながら、LINEでお互いに自分の言い分のみを伝え、理解し合うことすら出来ないやり取りであった。
結論はどうでもよい、ただ全員の話を聞きたい。それは仕事でいつも行っていることであるが、本来、プライベートでも全うしなければなかなかった。例え相手が一方的だったとしても、私は悲しみから逃げずに話をしなければならなかった。
理解し合うことや、結論の云々や正しさなんて、二の次であったはずである。
………………
理想を押し付けあって、話をせずにお金で解決しようと逃げた時点で、対話は消えてしまう。かけがえのない長く深い関係も、LINEによる金銭補填の提案で壊れかねない。
そして、例え理不尽な提案をされても、逃げずに話をしなければならなかっただろう。人との関係は、お金では買えない。労力と時間を惜しまず費やさなければならなかった。
とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)