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自分の人生に挑んだチャレンジャーに贈られる奇跡の体験。人生に冒険しよう。『最終章』

こんにちは。Ayari✼です。「人生のどん底から一本歯下駄ippon blade(イッポンブレード)に出会い大逆転した話」のブログに偶然にも出会ってくださり本当にありがとうございます。こちらの物語はファンタジーなリアルストーリー!

第四話までのシリーズ編です。

第一話・第二話・第三話はこちら↓

前回までのあらすじ

離婚して最愛の娘と離れ、公私共に八方塞がりとなった40代女性Ayari✼が、ひょんな出会いから一本歯下駄に出会う。ランニングを全くしたことのない500mしか走れなかった女性が、たった11ヶ月で50kmウルトラマラソンをippon bladeという一本歯下駄を履いてスタートを切った!スタート地点に立つまでの奇想天外なトレーニングと離れて暮らす娘への想い。これまでの全ての苦労が報われるかのように余裕で30km後半までを走り切る。しかし40kmを過ぎてから足が鉛のように重く動かない地獄の時間が始まった。

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自分の人生に挑んだチャレンジャーに贈られる奇跡の体験。人生に冒険しよう。『最終章』

ランニング未経験の、500m走っただけで息が上がり苦しくて走れなかった40代の私が、11ヶ月後には一本歯下駄・ippon bladeで50kmウルトラマラソンの42km地点まで走っていました。そこには奇跡しかありませんでした。

この50kmウルトラマラソンを走る半年前から、私は「疲れない動けるからだになるTENARIオンラインスクール」を運営していて、ここには全国、世界中から受講生が集まっており、皆、少しずつからだが変わり、私と同じようにランニング未経験の女性たちが、どんどんゆっくりと長く走れるようになってきていました。

でも、50kmウルトラマラソンを走る直前に小平天は私にこんなことを言いました。

「あやちゃん、"疲れない動けるからだ"というキャッチコピーを使うなら、自分が体現できてないとね。まだまだ今のあやちゃんは、名前負けしてる。」

小平天は、最高のパートナーで、最高のコーチでお世辞の一つもつけない真っ直ぐな人でした。自分をよく見せるために人間はちょっとずるしたり、どこか取り繕ったりしてしまう。でも、それを皆んなが少しずつやっているから、なんとなくこの社会はうまくバランスが取れている。でも、小平天は、人間のそういう部分を露わにし本人に自覚させ、本当の自分になるための道を仕向けていくようなやり方をする人間でもある。

もう辛くて走れない。足が上がらず思わず歩こうとすると、「あやちゃんは、疲れない動けるからだに名前負けしている。」この言葉が私の脳内にリフレインされて、私は、自分を奮い立たせ意地でも「疲れない動けるからだ」を体現してやる。悔しくて泣きながら、一歩一歩重くなっていく足を、なんとか引き上げ、とにかく歩くように走りました。

40kmから先のippon bladeランニングは、意識が朦朧とし、もうとっくに限界は超えていて身体は休もうと、完全にストップを申し出ていました。

それでも、私は私のことを信頼してくれている生徒さんたちの人生を背負ってるんだ。神様、私は絶対にやめないよ!私はこの試験に降参なんか絶対にしない!

ぶつぶつと言葉を吐きながら、その想いとは裏腹に鉛のように重たいこの足を今すぐにでも引きちぎって捨ててやりたと思うほどこの時間に嫌気が差していきました。

そんな状況に気づけば気づくほど、なんで私は、ウルトラマラソンなんかにエントリーしたんだろう。こんなに無理して走って、指導者として間違っているんじゃないか。ランニングが楽しいなんて、もう絶対に誰にも言えない。あれだけ楽しかった走ることが、今、苦しさしかない。とにかく、正当にリタイアできる理由が見つからないか思考がぐるぐると巡り、そんな弱い自分に気づくと涙がどっと溢れてきました。

涙が出ると同時に、さらに副交感神経にスイッチが切り替わり、からだがもっとゆるんで、さらに足の重みが増していきました。愚痴っぽく、弱音をぶつぶつと吐きながら走る時間がスローモーションのように延々と続き、共にスタートを切ったランナーは殆どゴールしているのか、熱さにやられてリタイアしてしまったのかのどちらかで、瀬戸内海に浮かぶ楽園のような大きな公園に、私はほぼ一人、ぽつんと走り続けていました。

もう、やめたいよ。まだ、私の人生は辛いことが続いていくんだな。

抑えられない涙は子供のようにどっと溢れ出して、我慢が出来なかった。時々、ウウッと声が漏れて泣いた。



その時、私の背中を何かがスーッと押し始めた。

え?

背中のあたりに暖かい何かが手を添えて、私を後ろから風のように押し始めたのです。少しびっくりして、驚きながらも、私はその場で足踏みを続けると、そのままスーッと進んでいきました。何だろう、この不思議な感覚。ゆっくりと目を閉じると、そのまま私の足は目を閉じたままでも、安定してコースの真ん中を走っていきました。

ippon bladeで走りながら目を閉じて走ったのは、これが初めてでした。疲労困憊のリタイア寸前の私の身体が急に軽くなり、全くブレずに真っ直ぐにただただ進んでいきます。制限時間は日没17時37分、沈んでくれるなと願っていた太陽は、私のからだをオレンジ色に優しく包み込むように照らし、ヤシの木から放射線状に漏れる黄金色の光のラインはまるで周回コースを照らしてくれるかの如く、この瞬間のこの時だけは自分がどこの世界にきたのか全くわからなくなるほどの美しい景色と走りやすいコースに変化していきました。焦る気持ちはどこかに消え、閉じた瞼の上から感じる黄金色の光の道しるべを頼りにトントントンと地面を軽くタップするかのように駆けていくと、さらにそのリズムで緊張がほぐれ、深部から一気にからだがゆるみました。息を深く吐いて肩の力を抜き背中を押してくれる何かに、身を委ねれば委ねるほどからだは楽に進み、グシュグシュと泣いていた私の顔は少しずつ泣き笑い変わり安堵で益々力は入らなくなっていきました。

私は、いま、一体、どうやって走っているのだろうか。

苦しいこと=悪

痛いこと=間違い

私はずっとそんな風に思ってきたし、そこから逃げに逃げてきたし、そんな苦労は女はしなくて良いと思って生きてきました。でも、そこから立ち上がらずチャレンジすることをやめていたら?

この体験には、絶対に辿り着けなかった。

そうか、神様は自分の人生に不器用でも挑んだものに、奇跡の体験を与えてくれんだ。座って祈っているだけでは、絶対に辿り着くことはできない。

お金を積んでも、成功哲学セミナーばかりを受けていても、本を読み漁ってばかりでも、ダメなんだ。

頭ばっかりの擬似体験は自分自身の血肉にならない。

神仏のすべては、真実のみを見ている。

自分の人生に行動する人を

自分の中に深く深く潜っていく人を

自分の人生に冒険心を抱き、飛び込んでいく人を!

なんだか、とても大切なシンプルなことに気づけた気がする。

もはや、42kmから先を走っている私の姿を見た人がいたとしたら、泣いたり笑ったりが忙しい変な女にしか見えなかったに違いない。

その女は、一本歯下駄を履いて走っている。変な女の突っ込みどころがさっぱりわからない。

実力と限界をとっくに越えた私のからだを、ただただ背中を押してくれる何かが、42kmからの先の8kmは運んでくれた。

からだのことを指導しているプロでありながら、この8kmを「こうすればこうなるよ。」などと説明ができない。

言語化できないことが、プロとして失格と言われるならば、致し方ない。

人間が想定できることを超えて起きる世界が本当に、ある。


50kmのゴール地点に、小平天が待っていた。実際のところ、ゴール地点よりもだいぶ、いや随分と手前で待ちきれずそこにいた。

目尻が下がり安堵の表情で、ビデオをセットして待ち構えている。

その姿は、まるで、、、運動会で子どもを撮影する父親のようでした。

「あや、人類皆兄弟、お金じゃないんだよ」それが口癖の私の実の父親と重なり、私は確かな人と出会えたんだと。天ちゃんが私の本質を見出したように、父も学校に行かない私の本質を見出し、厳しい自然の中に連れ出しては、本物の体験を与えてくれた。山の中では熊のように自由自在にからだが動く人で、私はこの人からの人間としての在り方を自然と体得していたようでした。

50kmのゴールでは、大会運営のスタッフの方々が私のゴールをずっと待っていてくれて、たくさんの拍手で迎えてくれました。

「おめでとう!一本歯下駄で本当に50kmも走ったんだねぇ。すごいね!五位入賞だよ!」

5位・・・???

そんなはずはない、私の後ろに誰も走っていなかったはず。制限時間より約20分ほど前にゴールしたのです。でも、私は確かに5位に入賞していました。人生で初めてのメダルだった。銅色のメダルカラーは、私を導いてくれた黄金色の太陽の光のように輝いて見えて、最高に最高に嬉しかった。メンバーのリストを見返すと、女性ランナーは11人エントリーしていて、恐らく熱さのために途中でリタイアされたか、このような時節柄もあり大会当日に棄権されたのか、何かしら理由があるのだろう。人それぞれの事情の中で、私は神様のお情けで繰り上げ繰り上げで、入賞5位をいただいた。

後で見返した、ビデオに映っていたゴールシーンの私は、まるで50kmを走った人には見えないいつものノリが軽い私が映っていた。まぁ、私の性格だと少し恥ずかしかったりで、そんなものだろう。

「じゃじゃ馬は、翼が生えれば天馬になる」

天ちゃんが、ある日、私を見てふと呟きました。どういう意味なのだろう?あの時は笑い飛ばして終わったのだけれど、50kmを走り切って、私は恐らく、じゃじゃ馬から天馬になれたのかもしれない。そして、もっと立て髪のフォルムが風に軽やかになびくように、磨きをかけ続けたり蹄(ひずめ)を整えたりしていこう。走ることを止めることはないだろう。人間の本能なのだから。

迷いながらも本質を生きようとする人に、魂が震えるような感動の体験は、必ず待っている。

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そこから数ヶ月が経ち、大会を終え、娘に会ったときには、もうこのストーリーは私の中でどうでも良くなっていた。もう、終わったことで、私は次の未来を見ていました。

彼女の人生と、私の人生は、離れて暮らしていても、同じ地球で、違う人生を共に生きている。

私のiPhoneをたまたま覗き込んだ彼女が、私のInstagramを見て「え、これ、お母さん?」と言いました。

ippon bladeで走っている姿だった。

「あ、そうそう。」動画を再生して見せた。

「すげ!進撃の巨人みたい!」娘が言った。

進撃の巨人?何それ。

ネット検索すると、原始人のような巨人が豪快に走る映像がアニメで出てきた。

私「お母さんね、これでこの前、50kmを走ったんだ。」

娘「それはすごい。」照れ臭そうに言いながら頭の中でイメージして深く感動している様子だった。

私「今はね、お母さんみたいに走るのが苦手な人たちと、オンラインでつながって世界中の人をガイドしながら走っているんだよ。みんな、どんどん走れるようになっているんだよ。」

娘「え〜!すごい。」

私「お母さんはね、みんなが感動する仕事をしているの。苦手なことが得意になったり、できないことができるようになるって感動の体験なんだよ。」

私「やってみたい?いつか一緒にやろうね」

娘「うん。やってみる」

ネット世代のアニメとゲームにハマる娘は、オンラインでランニングというのに興味を示したらしい。

走ることは、時代とともに多様性を帯び新しく形を変えながら、走ることの本質は私たちが狩猟民族だったころから何ら変わらない。

自分に向かって走ることは、偽りの自分から、本当の自分へと変わっていく行為なのだ。

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自然に長く走れるようになった今の私は、2年前の自分とは全く別の人生を生きています。自分の体験をもとに、さらにメソッドを確立したことで、そこに共感してくれた多くの人たちが、同じように苦手なことにチャレンジし、本当の自分の道へと走り始め、人生を展開させています。

私が代表を務める株式会社AYARIは、ヨガや癒しを含めたリラクゼーションの分野から、山伏のようにippon bladeで山を駆け巡るような、歴史と文化を肌で感じられる新進気鋭なスポーツと融合され、人間の基本的な「立つ、歩く、走る」を生物の進化から見直し、原点回帰と進化を遂げる会社として、社名を2022年3月春分から株式会社TENARIに改め、小平天と共に会社は共同創造されさらなる発展を目指しています。

TENARIとは、TENとAyari✼が融合した名前であり、男性性と女性性の統合を意味しています。「社会の固定観念で決められた女性らしさ、男性らしさを追うことをやめ、生物として逞しくしなやかに生きる」という理念が込められています。さらに、TENARIとは茶道で「手なり」とも書き、理に沿って道なりに生きる。そんな意味も含めています。

私たちの願いは、人々がからだと向き合うことで、自分自身とのつながりや気づきを深め、それぞれの人生がその人らしく展開していくということにある。

そう、世界に一つしかないあなたらしい人生の冒険が始まる!

そもそもランニングはスピードを争い、自我を満たすための手段ではなかったし、狩猟民族だった頃の生物としての本能を蘇らせて楽に長く走れるようになることは、自分に自信がつき、生きることの全てを底上げしてくれます。

生物として自信がついたものは、自分自身に深く潜ることを恐れず、人生を自分で切り開くことができ、夢や希望を無限に具現化することが可能です。

今こそ、立ち上がれ!

生物として進化しよう、ippon blade アマゾネス。


終わり


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

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