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何者にも成れなかった私

「あなたはずっと文を書いていきなさい。」

縦にも横にもとにかくでかい、熊のような当時の現国の教師は、私の小説(もどき)を読んだあと、そう言った。


小さい頃から本が好きで、学校の図書館にせっせと通った。

親はおもちゃやゲームは許してくれなくても、本ならばなんぼでも買い与えてくれた。ノンタン、こんなこいるかな、ぐりとぐら、山田詠美、唯川恵、村上春樹、シドニィ・シェルダン、ダニエル・スティール・・・読解力は自然に鍛え上げられ、現代国語においては勉強をしなくてもある程度の点数はとれるようになっていた。

中学では文芸部に所属し、引き続き図書館の本を読み漁った。

そんな折、学生の小説コンテストのようなものに、文芸部全員の作品を応募することになり。私も原稿用紙に書き上げ、意気揚々と顧問の現国の教師に提出した。

たしか、人間の言葉をしゃべることができる猫と少年の織り成す、短編小説だった。今思い出すと本当に小説「もどき」であり、他の有名小説のいいとこどりというか見よう見まねというか、とにかく今となっては黒歴史もののこっぱずかしい代物であったことは間違いない。


しかしその作品で私は見事大賞を受賞し、その中学生とは思えない表現力から世の中から一気に注目され、最年少小説家として華々しくデビューを飾り今でも第一線で大活躍



・・・なんてことにはならなかった。お察しのとおり。

私には根拠のない自信があった。絶対自分の書いた作品が大賞をとるだろうと信じて疑わなかった。

結果的に私はなににもかすることもなく、ひとつ上の学年の先輩が書いた小説が大賞をとった。その小説は読む気になれなかったが、タイトルだけはしっかりと今も覚えている。

とにかく、恥ずかしかった。私の自惚れが。自分には才能があるという過信が。先生に「結果出た?」と何回も聞きに行ったことも。


ねえ先生、私は今でも本を読んでるよ。近くに図書館があって、あのときに借りた本をまた懐かしがって読み返したりしてるよ。こうやってたまには文も書いてる。


でも私、何者にも成れていないんだよ。中学の時調子にのって「自分には文才があるんじゃないか」なんて思っちゃったけど、本当に井の中で。世の中にはもっともっとすごい人たちがごろごろあふれてて。

文を書いてそれを生業にするとか、稼ぐ人なんてのはもっと必死なんだよ。書きたくて書きたくてたまらない人たちなんだよ。私のようにちょろっと気まぐれでパパっと書いて、それで小説家になるなんておこがましいにもほどがあるんだよ。

先生そんなことわかってたよね。大人だから。国語のプロだから。

なんであのとき文を書き続けろって言ったのかな。今思い返しても、私が書いた気取った小説(もどき)にはなんの才能のカケラも見えなかったはずなのに。書くことを生業にすることなんてできないのに。


私は書くことでなにかを生み出すことはできないけれど、仕方がないからこれからも自己満足の駄文を書き続けていくよ。


それでいいかね先生?



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