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「約束の日まで」サヨナラ。虐待サバイバー×相談員

私は今日、とある相談員の人と電話を最後に「約束」を交わした。


(あ!作り話しブログではないです!私のTwitterからきて下さっている方は勿論ご存じだと思うのですが、ご存じない方もおられるのかな?と!)

話しを戻します!


電話を切ったあと、私は…涙をぬぐっていたタオルを噛みしめた。強く、強く噛みしめた。野生動物に近い雄叫びをあげたかったと思う。

悲しい涙なんかじゃない。

私のこの涙は感謝の塊と、今も苦しんでいる人が大勢いるという現実の悔し涙だ。


政治家たちよ…。どうか、私たちを救ってください。


私たち一市民には出来ないことがたくさんあります。


政治家は、どうか国民ひとりひとりの声を聴いて、私たちを守って下さい。


法律は私たち国民を救うために機能して下さい。


富裕層の方はどうか、シェルターを作って下さい。


もし、まだ学生で、将来の夢が決まっていない方へ。

どうか、社会福祉士などの資格をとって下さい。現場は人手不足です。児童相談所に通告されても、一時預かりになっても、家に帰される子どもが多いです。ひとつの部屋に4人のところを8人もいれられている。そんな現状から、子どもを救って下さい。



子どもには時間はありません。おとなが勝手に作った「成人」という区切りがあります。

私は虐待サバイバーです。

私は「児童虐待被害者支援法」を必ず作る。今、署名活動が行われているが、もしたどりつかなくてももう一度やり直せばいい。でも、無駄にはさせたくない。友だちにもシェアして下さい。※児童という名前だと、制約があるかもしれませんが。今後、専門知識を持っている方と意見交流をしてみたいと思います。



それからなら、もっと…。


私は約束したんです。

「未来を担う子どもたちに、こんなにつらい目には遭ってほしくない。だからね、立ち上がるから、虐待被害者支援法を作りたい。私は、声をあげるから…、私が支援側に回れば…○○さんに…会えますよね?」

「うん…うん…できるよ!会いに行く!必ず、私が○○ですよ!って言いに行くから…うん…」

私と同じように、

成人後になってからも苦しみ続ける人の相談件数は多いとのこと。

その声を聴いて、この国の制度を知る。

そして、全く支援制度がないということ。

そして、支援側も無力感を感じてしまうこと。

何もしてあげられない。ただただ、話しを聞いて寄り添うことしかできない現状を。

相談員側にとっても、これは大きな精神ダメージを受けてしまう。


それが、この「日本」だ。

法改正をしない限り、私もそうだが、今もなお苦しんでいる人を救うことなんて出来ない…。

中には、カウンセリングも公費負担でおちるようになったという方もいるが、考えて欲しい。

回数制限があるということを。

例えば、10回のセッションで解決するのだろうか。

私は30代ではあるが、30年分の歴史を10回で終わらす?そんな容易い問題ではない。

精神科医の和田先生がYoutubeでもおしゃっていたが、



「複雑性PTSD」は深刻な症状なのだ。人生において最大の弊害だ。

私自身、適切な医療を受けることが出来ず、違う病名がついている。

医師は医師で「自分には薬を処方することしかできないよ?カウンセリングを受けているなら、そっちに悩みは言って解決してもらって」そう言われた。


精神科医って、心のお医者さん。最初のイメージでは「心のお医者さんなのだから、きっと心の問題を解決してくれる。」そう思っていた。

自分が長年通院していた病院では、「薬を出すところだから、何か話されても困るよ?」と言われた。




正直、助けてほしい。自分ひとりでは無力だ。

そして、今のままではどうしようもない。このままではスピードが遅すぎる。

相談員はこう言った。

「できるかできないかは別。やったことに意味があるの。私自身も何度も挫折した。でも、今日、お話して、私は勇気を貰った。ありがとう。今日はよく眠れる気がする。こちらこそ、ありがとう…!」


「何もしてあげられないことが私が無力感を感じてしまっている…。あなたがよくここまで生きてきたなって。遠くで気持ちを受け止めるだけで力になれない。身近で支援する人がいないと。あなたが何回も何回も助けを求めて、その度に酷いことを言われて傷ついて…。それでも、人を信用しないで生きていくことが…できない世の中なのよ。同じ県ならば、電話でなくて側にいたい!きっと、あなたは素直で明るい人だったんだろうな…って。優しくて、正直で素直で、それをズタズタにした大人に怒りがいっぱいになる!3回しか電話で話したことにないのに、こんなに大事な人だと不思議と思ってしまう。周りの大人が、外にみえることだけで判断して…。あなたは精一杯いい子なんだよ。いい支援を受けてね。今すぐ抱きしめたいくらい。側にいって抱きしめたい。あなたが立ち上がった時、何かしらの形で教えてね。その時は、○○だよ~って言いにいくからね。支援を切ったらいかん。気にいらないことがあったからってなっても絶対に支援を切ったらいかんよ。年がいってるからそう長くは生きられないけれど、あなたが立ち上がった時は応援するから。必ず。」


「わたし、必ず伝わるように声をあげるから…。だからね?○○さん…、無力だと思わないで?○○さんのように、寄り添って話しを聞いてくれる相談員は少ないです…。」

「…無力なのよぉ……。本当、いつもそう思う。話しを聞くことしかできない。今の法律では、そういう人たちを助けてあげる制度がないの…。何か出来ないかって色々調べても制度がない。法改正しないと無理なのよ…。」

(話しを聞く相談員側の態度)私はこうじゃないかっていつも思うの!それしかしてあげることができないから…。(詰まるように話している。)」


「だから…○○さん…、○○さんも声をあげてほしい。これが本当の寄り添い方でしょって。」

「わかった。私の周りの人たちに言ってみるね。頑張るから。」

「お願いします…。」

私は次の支援員へと繋がりをもつことになったが、○○さんとはこれで最後の電話となる。

相談員さんが、私の地域の支援はどうなっているのかを調べてくれていて、私さえよければ、許可をすれば、近くの相談員が引き継いでくれるという内容。どんな人が引き継いでくれるかは分からないが、この相談員さんから話しを聴いて「私の方から是非関わってみたい」そうおっしゃって下さっていたとのこと。

これが…この○○さんとの最後の電話になる…。


お互いに泣いた。


「電話での繋がりはここで途絶えるけれど、心は必ず繋がっているから!」

そう言ってくれた。


聴いてほしい。


こんなにも無力感を感じてしまう相談員がいることを!知ってほしい!

それは、この国。日本にそういう法律、制度がないからだ。


相談員だって、ひとりの人間だ。

相談内容によっては、相談員側のモチベーションの起伏もある。中には、辞めていく人もいる。いや、結構いる。


「私から電話きれない…。あなたが話したいことを話して、もうこれでいいと思ったら電話を切ってちょうだい…。」

電話の向こうから涙をこらえているのは、痛いほど分かった。

そして私もそこで…はじめて…、泣いた。そして、上記の言葉を交わした。

…これまで沢山の二次被害を受けてきた。そういったなかで、このような相談員と繋がりがなくなるのは…。(でも私は、相談員さんの勇気が凄いなって思いました。本当に覚悟して言ってくれた。)


一度流れた涙は止まることがなかった。

電話一本で、ボタンひとつ押せば…。もう二度と電話することは出来ないのだから。


私は「虐待被害者支援法」という法を作りたいこと。そして、その支援や援助が受けられるようにしたい。立ち上がること。自分の為ならできない。でも、18歳から成人となる子どもたちに、こんなに苦しくてつらい思いをさせたくない。だから、頑張る。今、私のように大人になってからも傷ついている人もいるでしょ?もう…、そんなの嫌だ…。

相手は政治家や日本という国。時間はかかるかもしれない…、けど…もうこんなに苦しい人を増やしたくない。

そう伝えた。


きっと、今…感情があるまま…政治家の前で話すことが出来たなら…。

動いてくれるだろうな…と思う。


大量の大きな涙と、この会話を聴いていれば…

動かない大人は…いない。


いたとしたら、もう…それは人間ではない。悪魔だ…。(オーメンとか、幽霊とか…そういうものもひっくり返るレベルの悪魔すぎる…。あ、ホラー映画は大人になってから観られるようになりまry)



でも、私は。

スイッチを入れると、普段の私に戻る。


そうすることで、今日という今日まで生きてきた。


「感情を麻痺させることで生きてきた。生きている。」


感情がない人間を世間はどう捉えるだろうか。

勿論、私にも喜怒哀楽はある。

しかし、「普通」ではないのは自分でも分かる。

フィルターがかかっているというか、何か自分とは違う。どこか自分を客観的に見ながら喜怒哀楽を生み出している。ぎこちない。違和感がある。

何層もフィルターがある。


それを、離人症というのかもしれない。(私は適切な医療を受けていなかったから自分が何なのかも分からない。)


けど…、今日…私は…。自分の心に「素直」に泣けました。泣いています。


あなたが、私の感情を生み出してくれた。

私は何十年ぶりに、自分の感情と出会いました。



子どもたちには時間はない!

だから、私は…生きている。今の苦しい現状を本当ならば、働くことも出来ないと思う。けど、私はもう止まれない。止まらない。止まりたくない。


繰り返しにはなるが、

こんなに苦しくて、つらくて、不安で、悲しくて、

そんな思いは絶対に!!!!!!!!

させたくない!!!!!!!


今、苦しんでいるサバイバーはたくさんいる。

私は身体が動くかぎり、脳が動く限り、心臓が動く限り、酷使したっていいじゃない。

きっと、「誰かのために生きる。その選択をする家庭環境だった。」と言われるかもしれない。ごめんね?私…きっと、そういう所はポジティブなんだと思う。

「誰かのために動けるなんていいじゃない?自己犠牲?ないない。感じたことがない。自分に与えられた虐待や性被害は、きっと無意味ではない。いやぁ…すっごく無理!耐えられないよ?言葉で感情を表せ!と言われても…え?感情ってなんぞ?ってなる。

けど、

今を生きているのならば、私は立ち向かう為に、使命を持って生まれてきた。そう幼い頃から不思議と思っていた。潜在意識の中に何故か…仕組まれている。だから、今日という今日まで生きているのだと思う。」


自己犠牲…。

今の仕事を始めた頃、沢山の人に言われた。

私は東南アジアを中心に途上国に学校や図書館を建てる仕事をしている。

そして、今では「SDGs」で地球環境を守ろうと言われているが、

公害を出す「加害者」にも「被害者」にも私はなりたくない。


その理念に賛同し、仕事を始めた。


だから…どんなことがあっても、その仕事は続けていきたい。

高校を卒業して、世界には男女差別はまだまだあって、それを利用した犯罪もある…。国事態が法を持っていない。(日本もそうであることに、何度も挫けたよね…。)

昨日だったかな?バングラデシュのシェルターに60人の女性が住んでいる記事を見つけたのは。

バングラデシュには行ったことはないが、カンボジアに行った時、特別に夜の街に連れて行ってもらい、暫く1人で散策していたのだが…

薬局があって、どんなものがあるのか興味深く見ていると、店員さんの方から英語で声をかけられた。

・・・私っぽいことを私は聴くよね?

「避妊具はおいていないのか?」と尋ねたら、「おいてない」と。

・・・。(オーマジカ…。

(それ以上のことは「そこまで英語は知らない」ということで、日常的な会話をしたりした。写真に残して、人と人として「心の思い出」にした。)


日本の薬局には置いてある。いや、コンビニにも置いてあるというのに。

これが国の差なのか…そう思った。

その薬局の横には男性客を対象にしたお店が複数あるというのに。日本も性教育について今はまだ検討している段階のところがほとんどだろう。

けれど、避妊という知識を知らずに、その後のサポートもない国。日本も遅れているが、途上国では…、まだまだ足りない。

同じ人間なのに、国が違うから!という理由で見なかったことにしていいのだろうか!それは違うだろ…、


大きな問題だな…と思い、それを帰国してから友だちにも話した。

地元のイベントでもその現状を伝えた。


教育は命を救う。

生きる術を身につける。

だから、私は生きる為に色々な書物を読んできたのだと思う。

国からの支援もなくて、学校にも行きたくても行けない子どもたちが、日本以外にも沢山いる…。その国を変えるためにも、子どもたちが勉強しないと…。自分たちの文化を大切にしながら、楽しく学んで、夢や希望を持って。

自分の将来に、心をときめかせて。

大人として、出来ることならしたい。それが自然なサイクルで出来るようになっている会社だ。本当に凄いと思う。

提携している現地のNPO団体の方って、本当に凄いな…って。私たちなんて所詮、後方支援だもの…。頭あがらないよね…。


「ひとつのことだけじゃなくていいと思う。」

外国もそうだけど、日本人も昔と違って経済的にも凄くシビアになってきている。同時にすればいいじゃないか。国境なんて線ひいただけじゃない?エジプトの国境線の引き方…。子どもの頃に教師から教えられた時は凄く衝撃的だった。



そして、今日。違う人からこう言われた。

「あなたの味方は沢山いるのよ。怖がる必要なんてない。向こうが言ってきたら、私にはこれだけの味方がいるのよ?どうしたの?って 笑」

そっか…。私の鎖が少しずつかもしれないが、解放されてきた。

ほんの少しずつかもしれない、また再び鎖を自ら締め付けるかもしれない。


けど、私はもう…。沢山の仲間を作ってきた。

18歳の頃とは何が違う?年齢だけじゃなくて、仲間がいる。

でも、これは…。私の力ではない。みんなが寄り添ってくれたおかげ。

私ひとりだったら、きっと…もう、命は無かった…。


18から築き上げた財産は、お金ではなく、仲間と心なんだ…。


そのことに気付かせてくれた支援の方、仲間。

ありがとうございます。

けど、本当のありがとうは…。

私ひとりが救われるんじゃない。

サバイバー皆が、救われてはじめて「本当のありがとう」が生まれると思う。


そして、虐待のない世界へ。

お父さん、お母さんが、子育てに対して抱えている悩みに寄り添うことが出来る社会の仕組みへ。


「人生というのは、不可能を可能にするもの」

そう私自身の人生においてはそう思っている。


少しの悩みやトラブルは、私にとって「うわー、チャンスきた!どうやって乗り越えるかな?乗り越えたら、その経験から救える心もあるんだろうな。」と頭を使う最高の瞬間。

乗り越えた時に達成感があるのか?と尋ねられたら「NO」かもしれない。

あまりそういったトラブルに関しては引きずらない。

なんなら、「次の課題は何なのか…。」って思っているかもしれない。(これは仕事のこと!虐待とか…そういうのはもうゴメンだ!)


仕事によるものは、ある程度適応が出来るんだと思う。


中には職場環境で適応障害になってしまったり、それがトラウマとなって私生活に影響を及ぼすこともある。だから、これは弱いとか強いとかの問題ではなくて、置かれた立場や家庭環境も大きく影響していると、今の段階では述べておきます。(私の勉強不足分野なので、誤解を招いたらごめんなさい!適応障害の支援も勿論必要ですし、何処までからモラハラ…なのか…。そういうのも理解していないと!ですよね!…こいつは分かっていないだけ!ふざけるな!…くらいで堪忍…)


…でも、正直「あ…やばい!適応障害かもしんない!やばい…!」って思ったことは過去にあります。が、その問題をどう解決するか…主観ではなくて客観的に考え、相手を刺激することなく、自分自身も納得がいく形で終わらすことが出来るか。…困っているのだけど、人生ゲーム感覚で向き合うというか。(たぶん、これは人生ゲームのように捉えることによって、生きてきた。生き残る方法だった、と言われると思う。)


「No」かもしれないと先に述べたが、

次から次へと自分を成長させる階段は前に出てくる。

私は現状を解決した後は、高速道路にのろうと思う。

とある人からこう生き方もあるって教えてもらった。


「普通の車道を走っていると、ゴミが落ちていたとしたら、それが目に入るよね?でも高速道路にのるとビューンって、ゴミも目に入らない。目標に向かって走ることができる。」

あぁ…そういう考え方もあるのだと。


私はいつも思う。

飛行機に乗って一番好きな時間が離陸する時だ。


滑走路を走り、空に飛び立つ。

スピードを加速して、離陸する。

そう…何毎にも加速度は大切だ。

「人生もこれなんだよなぁ…。」毎回そう思って、窓の外を見る。離陸した後は飛行機の翼を見るのが好きだ。

どういう仕組みなのかは私は調べていないが(マニアックすぎる!)、

微妙に羽で調整している。

「人生、微調整しながら進むんだよなぁ…。」


「約束の日」を目標に、私は微調整しながら、加速していくのだと思う。


高速道路にのれるその日の為に、準備をしながら。


今という現実と向き合いながらも、しっかりと「目標」を持つ。

「目標設定」について、例えば…

エレベーターに乗った時に、行きたい階数を押さないと動かない。

人生って、どんなことからでも気付きなんだと思う。そして、学び、自分の人生にも応用させていく。

最近少し、応用させることに困難を感じているが、いつかきっとまた出来る日はやってくるよね。


ただ、人間というのは…とても残酷な心を持っている。

その話しは後日にしようと思う。


一度心に宿した炎は、必ず持ち続けてほしい。

例え消えそうになっても、どんなに小さな灯火になろうとも、

保ち続けてほしい。

一度消えてしまうと、着火するエネルギーはなかなか難しい…。

けど、「目標」を見失いそうになった時は、泣けばいい。

助けて!って言えばいい。

「もう、わけわからん!Give up!!」そう言って周囲の友だちにSOSを伝えていいと私は思っているよ。

私のこのブログを読んでいる中に、リアルに会って、同じ仕事をしている子もいる。

私は私で発散方法を見つけているから、

これまでのように、悩みを抱えて、自分でどうにも解消出来なくなったり…

人生に行き詰まった時は、これまでのように連絡してきてね!

「話したいけど…忙しいだろな…」という悩みはゴミ箱に捨ててください!笑


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