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もったいないのは、余白を楽しまないこと

昨日、久しぶりに「バリ島を旅して、人生の余白について考えた」を投稿したところ、たくさんのスキをもらえて、嬉しく思いました。「今の私が感じていることが文字になってるので、本当に共感します」というメッセージもいただいて、改めて気持ちを文章にしていくことの力を感じました。

構成も作らず気持ちのままにダーッと書き上げる文章は、しばらく書いてなかったから新鮮だったし、何より書いているうちに「あ、私はこういうことを思ってたんだ」とふわっとした思考に輪郭ができていく気がしました。

書き始めたときはどこに着地するかわからない文章は、あてもない散策のようで、でも、ちゃんとどこかにはたどり着くし、書いたことで(歩いたことで)見えてくるものもあると思います。

バリ島・クタのホテル敷地内で見かけたリス

バリ島を旅して、人生の余白について考えた」を書いて気づいたのは、私自身の「もったいない」という感覚が変わってきているということ。

フリーランスで、仕事とプライベートの境目があいまいなこともあって、いつも「これを何に(どう)役立てるか」と考えることがクセになってしまっていました。(損得勘定とはちょっと違って、ほんと境界がないのです)

プライベートで出会った人の取り組みが面白くて、企画を立てて取材仕事にする、なんてことができるのもフリーライターの醍醐味ではありますが、諸刃の剣というか、特別な体験をしているときも「これを文章にするなら」と頭が動くし、「何かに使うかもしれないし」と写真を撮ってしまいます。

バリ島・ウブドのホテル敷地内にあった不思議なかたちの樹

仕事も旅も「もっと予定を入れられるのに、詰め込まないのはもったいない」と考えがちだった私。

でも、バリ島で何もしないで数日間を過ごしてみて、むしろ詰め込みすぎてタスクをこなすのに一生懸命になってしまい、目の前のものを味わいつくせない、余白を楽しめないことのほうがもったいないのかも、と思いました。

自分のキャパシティが10あるとして、今4しか埋まっていないとしたら、「無駄に6を遊ばせておくのはもったいない、何か予定を入れなくちゃ」と考えるのではなく、今ある4を存分に味わうと決めてもいいんですよね。

スミニャックビーチでサンセットを楽しむ人たち

バリ島ではスイッチを切ったようにゆるりと過ごして、バリ島の緑の木々の濃い香りを嗅ぎ、鳥のさえずりやゲッコーの鳴き声、夜中に茅葺屋根を打つ雨の音を聴き、オレンジ色に染まる夕暮れの海や星空を眺めて、リラックスできました。これはきっと、私が余白を作ったから味わえたこと。

仕事も、プライベートも、余白を残しておけば、予期せぬ魅力的なできごと(やってみたかった仕事かもしれないし、うれしいお誘いかもしれない)が舞い込んできたとき、「やります!」「行きます!」と答えられます。

バリ島・スミニャックのプール付きヴィラで夜の水遊び

そうは言っても、隙間を埋めないことで不安になることは、この先もあるでしょう。(予定がスカスカだと、自分が誰からも必要とされていないように感じてしまうかもしれない)

そんなときは、バリで感じた「余白を残すなんてもったいない、ではなく、むしろ余白を楽しまないほうがもったいない」という気持ちを思い出したいです。

「できること」「すべきこと」があるのは幸せなことだけれど、それで隙間が埋め尽くされて、「したいこと」がわからなくなってしまわないように。

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