旅先でお世話になった人を好きにならなくていい
ひとりで見知らぬ国に行く。そこで人に親切にされたときの感動は何倍増しにもなる。だって、右も左もわからない。海外であれば意思疎通さえも困難。とある国で、知人を通じて紹介された欧米人の女性に滞在中とてもお世話になった。
車で街を案内してくれる。家族を紹介してくれる。「何かあったら連絡してね」と言ってくれる。心底ありがたかった。
でも、私はその人に居心地の悪さも感じていた。ランチに行こうと誘ってくれたのだけど「もう、行かなきゃ」と、食事を急がされたことがあった。飲みに行こうと誘われるも、ほとんど自分の話ばかり。日本語はペラペラだけど、そもそも文化も何もかもが違う。知識が追いつかず、時折質問するのだけど「何で知らないの? もうっ」と冗談っぽく怒った素ぶりを見せる。それが半分本気な気もして、少し怖かった。
いやいや、こんなに良くしてもらってるのに、文句言うなんてあり得ない。しかも、そんな些細なことで。滞在中はそう思った。英語が話せない私は、ある程度その人に頼るしかなく、不満が出ること自体、恩を仇で返す感じがした。
最終的にその人に対してのモヤつきがキレイに残ることとなったのだけど、今思うと問題はこれだと思う。
「旅先でお世話になった人=好きにならないといけない」という思いこみ。
冷静に考えれば、そんなことあるわけない。そういう美談が溢れているからだろうか。いや、私自身もお世話になった人のことは大体好きになる。でも、例外もある。
帰国間際、その女性にソーセージの詰め合わせをお土産にもらったのだけど、その大きさにイラついた。スーツケースの中の荷物とどれだけ戦っているかという話を散々したし、それに加工食品は控えているという話もした。そのときはグッと感情を押し込めたのだけど、今考えると私とは徹底的に気が合わない人だという解を得ることができた。
感謝はしてるけど、その人のことを丸ごと好きにならなくていい。そもそも「感謝」と「好き」は、「行動」に対してか、「人」に対してかで向けられる対象も違う。だから矛盾なく、キレイに切り分けていい。
そして切り分けたら、不純物がなくなったかのように、澄み切った気持ちで感謝することもできた。「とても感謝してます!(あなたが好きかどうかは別として)」という風に。そっか、これで良かったんだ。
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