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マイナスな気持ちを認める✧♡

 小林正観さんの本を読んでから、極力、五戒(悪口、陰口、愚痴、不平不満等を言わない)に、気を付けてきたのだが、ある時、ふい、と口に出た。

「あの車、まるで眠っているような運転だな。なんてトロイんだろう!」

 言ったあとで、はっとしたが、口に出してみたら、とても、さっぱりした。
 そのことに驚いた。

 相手を罵るって、なんて、気持ちいいんだろう。

 まあ、今まで、思ってはいても、口には出さなかった。

 思っていることを口にするのは、トテモ、気持ちがいい。

 今まで、言わない様に気をつけていた五戒というのは、実は口に出せば、とても気持ちがいいものなのではないだろうか?

 やばいなあ。

 それは、気をつけなければ、ほいほい言いたくなる言葉なわけだ。
 やはり、言わない様に、気をつけようと思う。

 ゆうべ、見ていた夢が、悔しい夢だった。
 自分が何歳なのかも謎だが、バレエのレッスンに通っていて、同じ場にいた、3人ぐらいのレッスンが終わり、先生が、私がいることを忘れてレッスンが終了し、みんなで先生のお土産のお菓子を食べ始めた。
 夢の中の自分は、ないがしろにされたようで、悔しくて悔しくて仕方が無い。私は、先生に、忘れられた。
 悔しくて目が覚めたら朝だったので、そのまま、起きる。
 この夢は自分に何を伝えようとしているのかを考えてみる。

 今、自分は他人から評価されるというシゴトから離れて、全くの自由で、なんのストレスも感じていないので、誰に対しても、公平で、平和な態度を取れるような生活をしている。
 でも、夢の中では、なんだか頭に来ることが起こっていて、感情に左右されていた。そんな気持ちで、まるでいい人ではいられない!とイライラしていたのだ。それも、自分が得意な絵を描くという習い事ではなくて、自分が全くできないバレエという自分が底にいるだろう分野であった。
 自分が自信のない分野でないがしろにされたら、冷静ではいられないという夢だった。

 妙に、リアルで、起きてからもしばらく気分が悪い。
 自分と言う人間の器の小ささを感じる夢であった。
 覚えていないだけで、繰り返し、似たような夢を見ている気もする。
 現実で、大人になってから通っていたバレエ教室で、先生と気まずい別れ方をしたことを思い出した。夢の先生は、別人だったけど。
 あの時、もしかしたら、先生も、私も傷ついていたかもしれないなと、とても久々にそのことを後悔として思い出した。
 でも、今更、そのことはどうしようもない。今の自分にはどうでもいいことのはずだけど?
 まあ、いいか。残念に思っている傷ついた自分の気持ちだけ、認めようではないか。

 VRは、脳がそれを経験したと思ってしまうそうだという本を読んでいたが、目覚める寸前までの夢の世界も、覚えていて記憶があれば、本当にあった出来事となんら変わりの無い、という体験をするのかもしれない。

 朝、このことを記事にしたいと思っていたが、今の夕方、記事を書いてみると、そんな夢を見たことを全く忘れて過ごしていた一日だった。
 あんなに不愉快で、今日はきっと一日気分が悪いと感じていたのに。
 綺麗さっぱり忘れていたw。

 変なの。

 人間の記憶とか、目の前に起きる現象とか、とてもあやふやで頼りないものなのかもしれない。
 そう考えると、たまたま起きた出来事で、不愉快になったり、人生に困難を感じるという事は、全く意味が無いことなのかもと思う。

 現実を淡々と過ごすうちに、いつもの日常の平穏を取り戻していた。

 さて、今夜はどんな夢を見るのだろうか?
 夢か現か、現か夢か?

 自分の無意識に分け入ってみようか。

 ちょっと、怖い✧♡