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斎藤光政氏を囲む読書会✧♡

 当日の朝は、青森県内で唯一奇跡的に雪が降らない土地の八戸市が大雪だった。昨日までは乾いた道路を走っていたのに、今日は一面の雪だ。
 まさに『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』について語るのにピッタリの朝である。津軽の雪とともに斎藤光政さんはやってきた。

 作家を前にしての読書会。
①グループによる話し合い
②グループ代表者発表
③講師のお話
④会食

 というような日程である。
 
 シズピーから、グループの代表者をやってね!と言われて気が気でない。司会を任せ、記録者に徹する。

Aさん
 2年前に北高の読書会で課題本になったが、コロナで読書会は流れ、その本を最近読んだ。私の好きな話でとても面白かった。この偽書事件の時、私は子育てで忙しかったせいか記憶にはない。この偽書を書いた和田さんは歴史マニアだったのだろうが、自治体まで騙してしまうとは驚きだ。

Bさん
 とても面白い。青森県はキリストの墓もあるし面白いところですねと県外の人に言われる。この作り話を作った和田さんと言う人はすごい才能の持ち主ではないか。ロマンもあるし皆が信じてしまった。この偽書がケンブリッジ大学やオックスフォード大学にまであるというのは、凄い。福沢諭吉がこの本から「人の上に人を作らず~」という言葉を引用したと言うのは、よく思いついたなと思った。
 作者の斎藤さんは真実を探求する姿勢が凄い。根城小、根城中卒というのにとても親しみを感じた。安部龍太郎の「蝦夷太平記十三の海鳴り」という本も読んでみたい。600Pという分厚い本なので、読書会には推薦するのが難しそうなのが残念。

Cさん
 和田さんと言う人は地元の人の評判は悪いのに、世間が騙される心理が面白い。和田さんは自分の嘘のために神社まで建てる。人の心の動きに敏感で感じ取れる人。一流の詐欺師やペテン師はたいていそうなのだと思うが、まさに人が欲しがっているものを作って提供する人。浅見光彦のドラマで「東日流外三郡誌」がテーマになっていたので、内容がよくわかった。

Dさん
 東日流と書いて「つがる」と読むことがとても気になっていた。16章のあたりからとても面白い。梅棹忠夫や赤坂憲雄が出てくるところに親近感を感じた。斎藤さんの参考文献の読書量が凄い。小説は好きで読むが、課題本にならなければ読まなかった。今回、読めてよかった。

Eさん
 実は新聞連載時から読んでいたが、今回一冊になった本はとても読み応えがあった。知りたかったことが、次にすぐ解決して書かれているという書き方で分かりやすくてよかった。本の最後の最後まで興味が途切れず読んだ。今回は偽書派の立場に立って読んでいたが、和田氏の言葉から聴いていたら、自分の中にその津軽の物語を信じたい気持ちがあったので信じていたかもしれないと思う。本の中に出てくる浜舘浩二さんは主人の知り合いだったことも面白い。親戚の女の人の言う「はんかくさい」という言葉が印象的。一番の謎は擁護派で大学教授の古田氏。なぜ、インテリが騙されるのか?こんなに偽書騒動が長期化したのか?この偽書がこんなに信じられたのか?時間が経つにつれてエスカレートしていったのだと思うが、オウム真理教まで出てきて、安易に何かを信じてしまうことは怖いと思った。404Pの「優しさゆえに沈黙してはならぬ」と言う言葉、今の私たちに投げかけられる言葉だと感じた。読んだ充実感と読まされた感慨があった。

Fさん
 とにかく面白い。「和田ってけしからんやつだ」どうして騙されるのか。詐欺師、騙り、偉くて学がある人ほど騙される。超古代には分からないことが一杯あるからそこにこの物語は入り込んだのでしょうね。

 それに自分の意見をまとめて発表。まとめる時間が少なすぎ、焦った。大切なことを言い忘れ、ちょっと残念。
 他のグループの発表も大体同じような感じだが、あるグループの代表者がたまたま骨董品を扱うシゴトの人らしく、津軽の方にはにわか骨董屋が沢山いて、古文書とともに怪しげな品物を売って味をしめている、骨董屋である自分自身も気をつけねばならないと思ったという発表があった。

 さてここから作家の講演会。ぶっちゃけた話が出来なくなるから、録音は遠慮させて頂いているとのこと。ということは私の記事にも当たり障りのあることは書けない。面白い話を沢山聞けたのだが、ちょっとさらりと書く。聞き取りなので間違っている氏名、単語がある。

 著者である新聞記者の斎藤光政さんはとてもお話が旨く、講演会も沢山引き受けている。本人も書くよりも話す方が得意というだけあって、会場を笑わせ、楽しく面白く真実もちりばめた講演であった。
 岩手県盛岡生まれで、八戸市育ち、津軽の人間だと思われているが、実は南部の人。デーリー東北に採用が無く、東奥日報に就職した。
 ちなみに県南地区の八戸市の地方紙といえばデーリー東北津軽地区では東奥日報がよく読まれている。
 本人の専門は、訴訟関係(そこから偽書事件を担当)軍事関係等。「東日流三郡誌」関係でも講演するが、軍事関係で講演に呼ばれることも多い。
 八戸市は最北の重要な軍事基地だと言う。確かに陸上自衛隊と海上自衛隊の2つが並んである。地対艦ミサイル部隊というのが全国に6つしかないが、その1つが八戸にある。ロシアと中国の船が津軽海峡を通った時、日本とアメリカは八戸で合同演習をした。八戸の基地からは毎日、宗谷海峡まで飛んで、3~4時間見回りをして帰ってくるのだと言う。
 ロシアが攻めてきたとき大湊の基地から船が行くとぼんやり考えていたが、まさか、八戸が、そのような重要な軍事基地であるとは知らなかった。米軍の三沢基地も近いし、私の住んでいる土地は、意外に、戦争に近い地なのだと気づかされた。どおりで、時折、「なんの飛行機だ?」というような爆音が空に響く瞬間がある。一瞬なので騒音にも感じていなかったが気にはなっていた。



 

仮想敵国は中国ーー自衛隊の現在地。

〈本州最北端にある青森は沖縄に次ぐ基地県なんです。陸・海・空の3つの自衛隊に、米軍を合わせて4つの軍事組織が揃っているのは、この2県だけ〉――。
その青森で島嶼防衛を想定した日米合同訓練が行なわれた。沖縄からやってきた米軍海兵隊と自衛隊による国内最大規模の合同演習の舞台になぜ、青森県が選ばれたのか? 素朴な命題からスタートする本書は、東奥日報紙で2022年から月一で掲載された大型連載をまとめたもの。筆者は、沖縄に次いで米軍基地の多い青森県で精力的に取材するジャーナリストで、東奥日報編集委員の斉藤光政。
仮想敵国を中国に想定した自衛隊が、南西諸島の防衛に舵を切っている現状、津軽海峡を通過する中国・ロシアの艦艇、日本に配備されているハイテク戦闘機F35、北朝鮮ミサイルなど、日本の防衛をめぐる現在地を余すところなく活写する。新冷戦と称される緊迫した国際情勢の中で、石垣島や与那国島などの南西諸島、マーシャル諸島など豊富な現地取材を通じて、日本の軍事力、防衛力の現状を検証していく。自衛隊は今、どこまで戦えるのか? を問う意欲作 。

作品内容より

 斎藤さんの『戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」』に対する講演は、先ほどの各グループの感想の発表に答える形で行われた。

 各グループで話題になっていた和田喜八郎と言う人物像に詳しく迫ってくれた。

 生まれついての詐欺師。飯詰が産んだ歴史好きの少年。
 旧家でもなんでもない貧しい家に生まれ、勉強はできず、働くことが大嫌い。しかし、歴史だけは突出してできた。あることだけは物凄くできるというアスペルガー的なものがあるのかもしれない。(和田の偽書は千、2千?を越えている)
 国民学校だけの学歴、兵役の経験もない。しかし、海軍に入り、次に陸軍の中野学校にいた等、経歴を詐称している。
 心に抱いている貧しさや学歴へのコンプレックス。
 和田喜八郎の中央政権にコンプレックスを持っている津軽人としての怨念と、実際の自分の出自の貧しさに対する怨念が掛け合わさってこの本が出来た。斎藤さんはそれをルサンチマンと言う。
 地元では誰も相手にしない男の言葉に遠くの人、中央の頭のいいヒトたちがひっかかった。
 それがどうやら、偽書事件の真相のようだ。

 ダークサイドミステリーというNHKの番組に特集されたことがあり、これを見ると「東日流外三郡誌」のことがわかるでしょう、と15分ぐらいの映像を見る。
 中に出てきた偽書研究家の呉座勇一氏の言葉を記して置く。

その1.面白過ぎるものは疑え

 人間はいろいろな事物に、見たいものを見てしまう。
「歴史とは現在と過去の絶え間ない会話である」という有名な言葉があるが、面白過ぎるものに出会った時に、まてよ?という疑いを持って欲しい。
 物事に惚れ込むことがあるが「惚れ込み」は対象の過大評価につながる。願望通りの物語が眼の前に表れるとそのことを批判できなくなる。

その2.歴史の真実には要注意

 「こうではないのか?」という自分の説に、ぴたっときた史料があったとしても、「まてよ?」と思うようにしている。

 和田喜八郎の人物像も不思議だったが、それを擁護した古田教授の方がもっと不思議だった。古田武彦の本に「失われた九州王朝」という本があるのだが、「東日流外三郡誌」に、その証拠が書いてあり、そこに古田氏は感激して飛びついた。それが、古田氏が擁護派になるきっかけだったらしい。
 しかし、皮肉なことに、本当は、和田喜八郎こそ、古田武彦のファンで、偽書により、古田が欲しいものを眼の前に提供したにすぎないのだ。
 まだまだオフレコのお話が在ったが、これ以上聞きたい人は、私に会いに来てくださいw

 最後に印象的な話を一つ。

 津軽人的には、はんかくさくて、ツボケで、えふりこきの人物像の和田喜八郎。どこか津軽の大ぼら吹きの印象で、ちょっと憎めないキャラの立った人物だ。私は今回偽書だ!と断言する立場の本から入ったが、もし、逆に和田に先に出会っていたら、偽書の方を信じてしまったかもしれないという危うさを感じる話であった。

 和田喜八郎は、嘘をつきつづけることによって、大勢の人々を巻き込み、傷つけていった。そしてそれに傷ついたのは斎藤さんも例外ではない。

 この本は、斎藤さんの本の中では、新聞記事の連載だけではなく、書きおろしなのだそうだ。この本を書いてくださいと言われた時、正直、この50~60の記事を読み直して、書き下ろすのは、思い出すのも嫌だと思った。

 人を騙そうと言う人と接していると、自分の心が傷つく。

 この本を書くことが「東日流外三郡誌」に終止符を打つことになると気を取り直して書いた。そして、書くことによって心の傷は治まったのかというと、治まらない。

 真実を追求するという事は命がけだ。命を削りながら取材して、事実を暴き出す。トルーマン・カポーティが残酷な犯罪者を取材した「冷血」を書いてから、何も書いていない。

 amazarashiの歌詞にある、血の混じった作品ってあるんだと思った日でした。