目に見えない世界⑧「恐山をなめてはいけない」
青森県には恐山という霊場がある。
初めて恐山と出会ったのは大学生の時に観た寺山修司の「田園に死す」という映画。畳を持ち上げると、そこが恐山の風景に続いていて、寺山の短歌と共に、強烈な印象で、受け止めた。
それから2年後、姉が下北の小学校に赴任していたので、姉の車で、ホンモノの恐山を初めて体験した。
天気の悪いどんよりした灰色の空の下、あちこちに積み上げられた石、風でカタカタ回る風車、賽の河原や、血の池地獄、無くなった方の洋服、おもちゃが奉納してある場所等、恐山らしい風物の数々を見た。
映画そのものの景色の恐山。ドラマチックだ。
初めて見た恐山は、死者に会える場所として、すがるような気持ちの人々が集まる一種重い空気のおどろおどろしい場所という印象だった。
その後、自分自身が40代をすぎて単身赴任した下北の高校では、5月か6月のとても気候のいい日に、耐久遠足と言う名前の行事があった。
学校を出発して普段は自衛隊の基地があって通れない釜伏山の上の方を越え、山を下って、むつ市の公園が終着の場所、というような行事である。
女子は25キロぐらいでほぼ道路を歩くが、男子はそれより長くコースが恐山の山の中まで経由していた。凄いなと思うのは、陸上部や野球部の男子は、かなりなスピードで走ってゴールすることだ。彼らにとってはこの行事はマラソン大会みたいなもので、私のような文化部担当教師にとってはとてもキモチイイ遠足みたいなものである。
あのいい季節を、教室の小さな机にしがみついて勉強に耐えている必要が無いとは、なんと素敵な行事だろう。
後にも先にも、あの行事ほど魂が喜ぶ宇宙の理に合った行事をしらない。
恐山は日常の風景の近くにあり、その後も1~2回、ダンナとドライブで訪れた。次第に恐山のおどろおどろしいイメージは消えて、美しい宇曽利湖のある素敵な場所として認識されつつあった。
そんなお盆前の12日、高校に出勤した。もちろん、今日の勤務が終わったら、八戸市にある我が家に速攻、帰る予定である。
出勤して、しまったな!と思ったのは、この日は学校全体が、停電の日で、パソコンも使えない日だったこと。出勤している人もほとんどいず、退屈して、めったに訪れない図書室に行くと、そこに図書支援員の女の子がいて、彼女とおしゃべりが弾んだ。2人とも、恐山の美しい風景が好きだということになり、誰もいないから、ドライブに行っちゃう?という楽しい計画が持ち上がり、2人で、恐山に出かけた。
恐山は天気によって全然違う見え方をする場所だ。
昔ほど、霊場らしさが無くなったのではないか?
血の池地獄も昔ほど赤くないし、8月の夏休みの晴天の下では、霊場の気配は、微塵もない。2人でおしゃべりしながら、湖の水辺を歩いて、宇曽利湖の美しさを堪能した。
そんな2人がある建物に気が付く。
あれ、恐山って、温泉があったっけ?
温泉好きの私がこれを見逃さなかった。
手ぬぐいも準備も何もないが、ざざっと入って体験してみるか!
2人で、誰も入っていない温泉に、一瞬入った。
夏休みらしい楽しい冒険の後、時間休みを取り、私は八戸市に出発した。
問題が起きたのは次の日のことだ。
朝、起きると、カラダががちがちに固まって、麻痺して動かない。
昨日までは、普通の健康体だったのだが、今日から私は、病を抱えた重病人になったようだ。何かにつかまりながら歩けるものの、動くたびに身体中が痛くて、おそるおそる、ゆっくりしたスピードでしか歩けない。
こうやって、人はいきなり、健康体から病を抱える身になるのだろうか?
昨日まで自由に動けていたカラダのことを思うとなんだか涙が出てくる。
今日から家族との楽しいお盆休みだというのに、突然の、謎の病の発症に、お盆中でも開いている救急病院を調べ、ダンナの運転で、整形外科に車を走らせた。車に乗っている間も、ちょっとした道路のアスファルトのツギハギの段差が痛みに響く。
病院の先生に症状を訴え、レントゲン写真を撮った結果、どこにも異常はないということ。つまり原因不明。絶望的な痛みを抱えたままじっとしているしかない長い一日だった。
ところが、夕方になるにつれて、ちょっとずつ動けるようになり、当時、いつもダンナと出かけていた居酒屋に行った。冷たい日本酒とおかみの作った美味しいお通しを楽しんだ。
人間というのは単純なものだ。
朝は、不治の病に泣きそうになっていたのに、夜はもう楽観的な気分でいた。もしかして、治ったのじゃないか?
次の朝目覚めると、またカラダががかちんこちんに固まっていた。
やはり治ったと思ったのは気のせいだった。
身動きとれず、何をしていたものか、長い一日を過ごした。
そして、夜になると少しずつ、動けるようになる。自分でも書いていて呆れるが、同じようなスケジュールを3日間、過ごした。
最終日は、居酒屋の帰りに、近くの公園で行われていた盆踊りを見かけて参加し、輪に加わって踊っていた!
後にも先にも、この日しかやったことが無い盆踊り体験である。
次第にダンナが、
「お前の、その病気を治すのは、病院じゃないんじゃないの?」と言い始め、私も、道すがら通りかかる神社が気になり始めていた。
お盆と共にやってきたこの意味不明の病は、お盆と共に去るのではないか?
16日の朝、次第に意識がはっきりしていく頭の中で、きゃはは…と何人かの楽しそうな笑い声とバタバタっと朝日の中に去っていく足音が聞こえた。
目覚めて起き上がると、カラダに痛みは残っているものの、明らかに、私のカラダは、自由に動けるようになっていた。
なんだったんだ?
このお盆中の病気になったという絶望と
治ったかもしれないという歓喜の繰り返しは( ^ω^)・・・。
その話を、死んだ愛犬がまだ玄関でガサガサしていると話す霊感の強い友人に話すと、
「アラ、貴方、すごくいいことしたね!
たぶん恐山で、霊をのせてきたんじゃない?
それでさ、美味しいお酒を飲んで、美味しいお料理を食べたり、
盆踊りを踊ったりしたんだから、みんな楽しんだわよ。」
褒められたけど、単身赴任中の、貴重な家族と過ごせる休みを、身動きとれず(日中は)過ごした私としては、全く、嬉しくないのであった。
そういえば、お盆は地獄の釜の蓋も開く日だと母がよく言っていたっけ。母が休みに入る直前だったり最中だったりするお盆の近辺に海水浴とか、楽しいイベントがあった。そんな体験から、お盆の前の12日に、うっかり、恐山ドライブをしてしまったので、こんな羽目になった。ちなみに、私と一緒に行動した若い女の子は、何もなかったらしい。(なぜ?私だけ?)
皆さん、くれぐれも、恐山に、お盆近くに行くのはお気をつけ下さい。
その後、図書委員会のある少年に恐山での体験の話をしたら、
「あ~あ、先生、そんなところに行ったら、まず水辺に近づいたらダメなんだよ!」と言う。確かに、温泉も、水辺ではある。
「俺なんか、お父さんと神社とかに行っても、そういう時に温泉に寄ったりとかも、しないもの。」と言うのである。その少年の一家の風習なのか、彼の勘なのかわからないが、彼は霊感があるらしく、私に色々な話を教えてくれた。
一週間後、彼は私に言った。
「俺もう、先生とそういう話しないから。
そういう話をすると、しちゃダメ!みたいなしるしが起きるんだよ。
鳥の死骸を連続してみせられるとかさ。」
「わかった!ごめんね」霊感がある人はある人で、大変なのである。
その後、この恐山の話は、美術の時間のちょっと涼しくなるかもしれない話として、夏休み明けのボーっとした生徒に向かって話された。
「今日は、ちょっと暑いので、先生の体験した涼しくなる話をしましょう。」と言うと、キラキラした瞳で、こちらを見る男子がいる。
そんな瞳をした観客に、自分の体験した数少ない霊体験と思われる話をするのは、楽しかった。(つづく)