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目に見えない世界⑨「日常の小さな不思議」

 今までいろいろな観点から目に見えない世界について考えてみたが、他にも、不思議な出来事に、いくつか会っていることに気が付いた。

 高校時代から親しい友人と地元の同じ大学に進学し、一緒に同じ講義を受けていた1年生の頃。私は何かの拍子に、友人Aにふざけかかっていた。
 Aが困って笑う様子が可笑しくて、調子に乗っていたわけだが、校舎から校舎へと移動しながら外に出た時に、

「あやのんくん、そんなにふざけていたら、カラスにふん、ひっかけられちゃうよ」とAが言った。
 
 その途端、ほんとうに、カラスの糞が、頭の上に、落ちた。

 Aはさらに腹を抱えて笑っていたが、私は笑うどころではない。
 トイレに飛び込み、あわてて頭を洗って、次の講義は欠席した。

 50代すぎて、また集まるようになった高校時代の仲間たち。
 その中にAもいたので、カラスの話覚えてる?と聞くと、社会の高校教師であるAの授業で話す鉄板ネタとのこと。ネタにされてたかw!
 Aは、その時、あるカラスの動きを見て、これは、来るな!と思って言ったら本当に起きたのだそうだ。
 ちょっと意外だったのは、全くの偶然ではなく、Aが意図的にカラスのやりそうなことを言ったということ。それが見事に当たって、私がカラスに懲らしめられた。あれ?不思議でもないw?

 もう一つ、Aの話。彼女の家は岩木町にある農家で、高校時代、1年に1度、仲良しで泊まりに行くのが恒例で、ものすごい楽しみだった。
 家の裏が山になっていて、そこに小さな祠があった。
 あの時親切に我々を迎えてくれたお父さんお母さんにお礼を言いたいものだね、と話していたら、残念なことに、早くして2人とも他界、実家は空き家になっているということだった。先日、見に行ったら、ヘビの脱皮した皮とかあって、気持ち悪かった~とAは言った。

 でもさ、空き家でもいいけどさ、あの祠が無人の家の裏にあるのはまずいなって、ずっと気になっていたの。だから、あの祠をどこかに移動する手はないか調べたら、高山稲荷が引き取ってくれるらしい。いい日を見つけて、家族総出で、祠をトラックに載せて、高山稲荷に運んだのさ。
 ところがさ、車から降ろすときに、祠が重くて、頑として動かないの。
 積むときだって重かったけど、割と簡単にみんなで載せたよ。
 でも、本当に、重くて重くて、やっと下ろして帰ってきたのさ。

 祠は、高山稲荷に下りるの嫌だったのかなw?

 高山稲荷の景観が好きで、いつも美術部員でスケッチ旅行をしていたという顧問の先生がいて、ある時、生徒が1人おかしくなったことがあって、それ以来、スケッチ旅行は辞めましたと話していた。
 私にアドバイスをくれた霊感の強い少年は、子供時代、爺ちゃんばあちゃんと一緒に行っていた高山稲荷から最近、呼ばれるって言っていた。
 母の故郷にある高山稲荷。いつも矢印のついた看板を見るだけで一度も行ったことはない。なんとなく、なんとなく、恐山と同じで軽々しく訪れる場所ではないような気がしているのだ。

高山稲荷(つがる市)

 芋づる式に思い出される話笑。
 今は閉店したが、よくいく居酒屋があった。常連仲間が次第に出来ていくのだが、その中の1人、T先生の不思議体験だ。

水源地公園(大湊)


 T先生は、建築科の先生で、古い建物の図面を書く仕事をしている。大湊の水源地公園のダムを守った人だ。三内丸山遺跡にも関係していたと聞く。
 そのT先生が、弘前市にある高照神社で建物の調査をしていた時の話。
 仕事をしていると、1人、若い女の人が表れて、

「殿様がまんじゅうを食べたがっておられます」

 と言って立ち去った。
 T先生は、いつも黙ってお酒を飲んでいる方で、いろいろなことを知っているが、「わかりません!」が口癖で余計なことはあまり言わない。
 我々も、そんな先生に根掘り葉掘り聞くことはせず、その女性がどんな風体だったのかとか、どんな雰囲気の人だったのかとかあまり尋ねなかった。
 その建物は、受付があって、必ず人のいる受付を通るようになって、先生が作業していた奥の建物へと進む。作業が終わって、奥から出てきたT先生は、さっき、こういう若い女の人が来たけどね?と話すと、受付の人たちは、いいえ、誰も来ていませんと顔を見合わせたという。

 じゃ?あの女の人は一体誰?
 しかも、殿様が饅頭食べたいって?
 わざわざそのために、出現した?

 この不思議な話に、居酒屋では大いに盛り上がった。
 そして、殿様が食べたい饅頭は、きっと弘前の大阪屋の薯蕷饅頭だろうという話題になった。マスターが元の仕事は経営コンサルタントで、大阪屋にスーパーへの出店をお願いした時に「世が世であれば、我々のお菓子は、殿様しか口にできなかった」と言って断られた話を面白おかしく話していたのだ。確かに、昔から、津軽の商売は殿様商売と言われたし、津軽の殿様御用達の和菓子屋と言えば大阪屋に違いない。

 居酒屋でT先生と会う度に「先生、殿様にいつか、饅頭、届けないといけませんね?」と何かと話題に出ることになった。
 なぜなら、T先生も私も大のあんこ好きで、特に大阪屋のお菓子と言えば、2人とも心惹かれるものだった。殿様が饅頭を所望しているのであれば、そうとう食べたいのだろうなと、自分事のように想像がついたからである。
 そして、私は、ついに、ある夏の日に、T先生夫妻と待ち合わせて、実際、殿様に、饅頭をお供えに行った。作戦は決行されたのである。

 岩木山神社と違い、あまり人の訪れることの少ない高照神社は、鬱蒼としていて、夏の日だというのに、背の高い木に覆われて、暗く静かだった。
 先生の説明を聞きながら、落ち葉の降り積もった道なき道を歩き、殿様がいらっしゃるだろうところに、お饅頭の箱を供えた。

 殿様!ついに持ってきましたよ(⋈◍>◡<◍)。✧♡!

 調子に乗った私は、その後、母とも、大阪屋の饅頭を買って、2度目の訪問を果たしたのであった。

 殿様も何度も、お饅頭をたべてもいいじゃない?

 しかし、神社と言う場所は、どこに行ってもその浮かれた気持ちをひんやりさせる厳かさがあるのが不思議である。神が鎮座するその場所は、どこであっても、どんな小さな場所であっても、面白半分に、尋ねる場所ではないのかもしれない。(恐山の体験然り、である)
 T先生は、殿様に饅頭を届けた次の年に、鬼籍の人となった。
 もしや、饅頭を届けなければ、もう少し、生きておられたのではないか?不思議な女の人に言われた通り、饅頭を届けて、殿様に気に入られたのではないか?と一瞬、頭をよぎったが、そうだとしてもそれもまた運命だ。

高照神社(弘前市)

 こうやって思い出してみると、ずいぶん不思議なことは、身の回りにあるものだと思う。目に見える世界が5%で、目に見えない世界が、95%なのであれば、たしかに、不思議なこと、説明のつかないことが、身の回りにあふれていても不思議はない。
 しかし、こうやって文章に起こすまでは、不思議5%、シゴト95%で、毎日忙しく、そのことに気付かず、生きてきた気がするのである。
 仕事を卒業した今、この目に見えない世界の不思議を、続けて、静かに探求してみようと思う。

 最後に私の不思議体験。

 ハワイの修学旅行のあった学校で。美術工芸コースの生徒たちに「写ルンです」という簡易カメラを渡して、写真を撮ってこさせ、それを現像して作品を作らせようと思いついた。(まだスマホもデジカメも無い時代)生徒から実習費は集めてあったから、予算はあったものの、果たしてどうかな?と迷い、逡巡していた。毎日、目の前の仕事に忙しく、カメラの売っている量販店に辿り着いた時、午後8時、ちょっと前ぐらいだったろうか。
 生徒にカメラを渡すチャンスは明日しかない。
 えいやっと、決心し、買い物かごにカメラを人数分、入れた。

 会計に持って行ってお金を支払うと、財布のお金が、一円残らず無くなった。レシートに印字された会計と私の財布の持ち金が、全く、ジャストの金額だったのだ。

 なんだ!あんなに迷うことなかった。
 初めから買うことになっていたなんて(確信)。

(探求は続く・・・一旦終わりw)