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私はなぜ本が読めなかったのか?

久しぶりに「読む」ブームが訪れています。

ブームというよりも、やっと再び読書ができるようになったと言ったほうが正しいかもしれません。

なぜなら、少し前の私は本が読めなかったから。

小さい頃は読書が好きでした。
学生時代もよく読んではいました。
社会人になり、だんだんと本を読む頻度が減っていき、最近は年に2、3冊読む程度。それと裏腹に読みたい本はあって、年に5、6冊買ってしまうので積ん読は増えていくばかりでした。

読書が嫌いになったわけではありません。積ん読をしていることから分かる通り本は読みたいと思ってはいるのです。
ただ、いざ読み始めると文字が文字としてしか認識できなくて、言葉や意味が頭に入ってきません。

いわゆる、「目が滑る」の感覚です。

SNSやネットニュースなどの比較的短い文章なら大丈夫でそれはよく読んでいました。
おそらく、長い時間文章と向き合うのが無理だったのだと思います。

1冊の本と向き合うには、多くの時間を要します。
その時間を以前の私はもったいなく感じていました。「本を読む時間があるならもっと別なことしよう」と。でも結局はダラダラとSNSを見たりして、結局はムダな時間を過ごしてしまうんですよね。

それに、たとえ読んでいても「今何ページくらいかな」や「あとどのくらいで読み終わるだろう」と、早く読み終わることばかりを考えていた気がします。だから、目が滑っていたのでしょう。


先日読んだ『限りある時間の使い方』。
この本において、現代人が以前より本を読めなくなったことについての指摘が非常に的を得ていました。

本を読む時間なんかない、と人は言う。
実際には、時間はあっても、読書に気持ちを集中できないだけだ。

時間をコントロールしたいという僕たちの傲慢さを、読書は許してくれない。無理に急いで読もうとしても、意味がすり抜けていくだけだ。
何かをきちんと読むためには、それに必要なだけの時間がかかる。

『限りある時間の使い方』より

何かをきちんと読むためには、それに必要なだけの時間がかかる。
それは当たり前のことなのに。
指摘通り、以前の私はそれを受け入れられることができなかったのだと思います。
それに、何かに集中するにはそれだけのエネルギーが必要です。
そのエネルギーが足りなくなるほど、日々疲れ切っていたのも事実です。

今はこの本を読了できたことが証明してくれるように、ちゃんと本が読めるようになりました。
読書ってやっぱり良いですね。言葉によって心が揺れ動かされる感覚がたまりません。


そして、先日さらなる積ん読候補になりそうな、今回のnoteの話題にピッタリな本を見つけました。

気になっていた内容そのものです。
ぜひ今度買って読んでみようと思います。
また読んだら感想を投稿しますね。

ちなみに、最近は電子書籍が流行していますが、私は本は断然紙で読みたい派です。
電子だと目が疲れやすいのと、単純に紙の本にしおりを挟むことが好きだから。気になる箇所には付箋を貼ることもあります。
それに、紙の本だとどこまで読んだのか一目瞭然です!
最近、本屋が少なくなってきたというニュースを目にしましたが、本屋でしか出会えない本がたくさんあるので、絶対に無くなってほしくありません。
微小ですが売り上げに貢献するため、これからも本屋で紙の本を買い続ける所存です。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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