ひとつ真理に気づいたかもしれない

ふと、お友達との会話を振り返っていたら
物事の心理に気づいたかもしれない
って思って。

全部ひとつ全部同じ

ってことに
というのも
どんなところにいてもどんなことをしていても似たり寄ったりの不平不満は聞こえてきて
目の前の人が姿かたちの違う能力も違う全くの別人なのに、同じに感じて
同じく愛しい。愛の感じ方は違うのだろうけれど
その違いを感じてみる丁寧さを省いているのかもしれないけど
そんな日々な最近の私と

今日お友達と話していた
死ぬってことだけは等しく決まっているのだから、せっかくだから楽しく死んでいきたい。
何でもありだしなんでも大丈夫だからどんなことも
きっと楽しいって思うんだ
ってこと

なんと達観してるというか 悟りを開いちゃってるのか 疲れてるのか…
と感想を述べられていたけれどね。うふふ

私の目の前に展開される出来事って
自分の研鑽のためにと環境を変えても、
環境を変えたことで気持ちが一新されて とか
新しいことを覚えて勉強できて とか
おんなじ嫌なことに別の方向からアプローチできる機会になる とか
いろいろ意味を付けることはできるんだけど

おなじなんだな と
そこにいる私が何を見て何を感じるか次第で決まる
私が何を決めてそこにいるのか

変わるんです~

その時々で変わっていいし、ネガティブな気持ちでいてもいいしポジティブな気持でもいいしなんも否定しなくていい。

自分でいることに全集中でいること
まだ途中なんだけれど自分を知り、認める、許す、愛する
消して我が儘とか自己中になるわけではなくてね
この感覚でいると相手に自分の気持ちが伝わるのが簡単になるし
相手の言うこととかにあんまり振り回されないしね
なんたっていちいち自分のこと演じたりとかしないでいいので
最高なんだけど

これをもっと伝えたいけど
今の私には限界だな…

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