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私の心の本当のところのひとつに気づいた話

ちょっとこれは好き嫌いが分かれる内容だと思います。ということを先に断っておきます。

無関心なやつのことはとことんどうでもいい

と いう私がいることに気づいてしまった出来事が続いたのでシェアしたいと思いました。
先日職場に新しいスタッフが入りました。ずっと欠員だったから待望のスタッフさん。既卒で経験もおありだというのですが…正直苦手なタイプでした。
とはいえ露骨な態度などよろしくないので親切にしようと努めてお仕事内容をお伝えするのですが、経験してきたことを確認していた時の話。
急にその方の身の上話が始まったのです。10代の時に…と。
はい、まったく興味ないから仕事戻ろうか。って心の底から思ったってやつだよね。
顔に出ないように頑張りましたよ。共感も同情も浮かばない時間でした。

帰り道、ちょっと考えたよね。
私 薄情者ってやつなの?
どういうつもりで話してくれたのかわからないから、そういう経験をしてきたんだねってしか思わない私は冷たいんだろうか。そういやこの前上司が苦労人らしいよっていってたけど、苦労とか誰だって何かしらあるし。何なら私も苦労人だし。
え ってか ちょっと前ならもっと親身に聞いて大変だったんですねとかなんとかくらい言えたのでは…?とかとか

結論、興味のないやつのことはどうでもいいってこと。それだけ。

そんなことがあった数日後、さらに私にこのことを強烈に印象付ける出来事が起きたのでした。
職業柄、疾患のステージや予後、術式には興味があったけどご本人のことはとことんどうでもいい。だからできれば病状も知りたかったけど、知らなくても構わない。翌日に発熱しているけど意識があるなんてことは職業柄普通に知ってるからね。しかもそのご本人から術後2日目にLINEがきても
マジでどうでもよかった
これは、またまた考えなきゃならないのか。と今日通勤中に考えたんだけど
やっぱりマジでどうでもいいって結論しかない。
近くにいないからか、時間を共有しないからか
はっきり言って職場の子たちのほうがよっぽど心が動く。

愛の反対は憎悪ではなく無関心である
とマザーテレサは言ったらしい。
本当だった。いままさにそれを知った。そんな心境です。
好きが転じて嫌いや憎しみという感情を抱いたことはあると思う。けれど、それは私が成長するための経験であり、成長をもたらしてくれたことにありがとう。人間として深みを増すことができた、痛みを知ることができた。いまの私を肯定できるようになった。ありがとう。だからどうぞお幸せに、さようなら。
このところ何かしらフラッシュバックがあった時に、こんな風にして手放すワークをしていたからか
元々人に対して繊細なところがあってエンパシー強めの私がこういったワークによって他者との境界がはっきりしてきた実感はあって、そのおかげなのか

話は変わるけど
そんなに大きな不満のない今の職場なんだけど、ここでの学びは一通りできた感があってもうこれ以上はない気がしていて、それより自分自身がほかのことも経験したい!これからの自分のキャリアのために(私の仕事の目標は一生現役)もっと研鑽を積みたいって思って転職するんです。
一度は4月からという目標をあきらめかけたんですがご縁があって次が決まって、3月で退職するって肚が決まったらとてもすっきりした。
これについてもまたいつか気づいたことがシェアできたらいいな。

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